─3─別離と出会い

 その年、冬はいつもに比べ足早にやってきた。

 ほとんどの食糧を敵に略奪された直後、空からちらほらと白い物が落ちてきた。

 蓄えが満足に無い状態で、凍てつく寒さに堪えられるかどうかは賭けに近かった。

 火をおこすのもおぼつかない家の中で、わずかに残された食糧を分けあって食べる日々が続く。

 せめて、暖炉に火が欲しい。

 そんな思いから、僕たち子どもは裏山へ毎日通い、落ちている枝を拾い集めたり食べられそうな木の実を探した。

 慣れない弓を引っ張り出して、兎や鳥などの小動物を狙う人や、長めの枝を細工して釣竿を作り、池や川に糸を垂らし魚を釣る人もいた。

 村の惨状を、主任司祭様は何度も首都の『偉い人』に訴えてくれた。

 けれども戻ってくるのは、『何とかする』という口約束ばかり。

 集会でそのことを伝え、僕ら村人に深々と頭を下げる司祭様に、大人達は口々に言った。


「お手を上げて下さい! 司祭様は何も悪くはないです!」


「そうだ! 悪いのは、首都でふんぞりかえっている奴らだ!」


「もとはと言えば、あいつらが肝心な時にいないのがいけないんだ!」


 ランプに照らされた薄暗い聖堂の中に、あふれる人々。

 そんな独特の空気と空腹も手伝って、怒りはやがてあらぬ方向へと向けられていった。

 聖堂の片隅で邪魔にならぬよう、隠れるように立っていた僕と母さんに、異様な光を放つ目が向けられる。

 押さえつけられていた疑問が妬みに変わり、そして怒りに発展するには、さして時間はかからなかった。


「お前は首都に逃げたあいつから、何か口をきいてもらっているんだろう?」


「どうせ、裏では困ってる俺達を見て笑っているんだろう?」


「一体いくら貢がせているんだ? えぇ? この売女め!」


 言いながら人々は、僕ら二人を取り囲む。

 あわてて僕は両手を広げ、母さんの前へと飛び出した。

 こちらに向けられる大人達の目は、等しく赤く血走り、殺意という名の狂気に捕らわれていた。


「何をしているんだ! やめないか!」


 異変に気付いた主任司祭様は声を上げる。

 けれどそれは、大人達の耳には届いていなかった。


「やめろ!!」


 叫びながら立ちふさがる僕は、前触れもなく伸びてきた太い腕に、あっという間に吹き飛ばされた。

 抗うことができずに壁に背を強く打ち付けられた僕は、ずるずると床へ崩れ落ちる。

 瞬間、息が止まり、大きくむせかえりながら立ち上がる僕。

 その時、母さんを取り巻く人々の輪から、戸惑ったようなざわめきが聞こえてきた。

 あわてて僕は人波をかきわけて、母さんの所に駆け寄った。

 そんな僕の先で、人波はそれこそ引き潮のように散っていく。

 その輪の中心には、石畳に倒れ伏した母さんの姿があった。


「母さん……」


 転がるようにひざまずく僕の脳裏に写し出されたのは、黒い石畳を濡らす深紅の液体だった。

 その真っ赤な泉は、倒れている母さんの頭からどくどくと湧き出していた。


「司祭様! 司祭様早く!!」


 我に返り、冷静さを取り戻した女性が叫ぶ。

 右往左往し、互いに責任を擦り付けあう男達の間を縫って、主任司祭様がやってきた。

 すぐさま司祭様は僕の隣にひざまずき、青ざめた母さんの額に手をかざし、重々しく『癒しの言葉』を唱え始める。

 けれどそれは、生きている人間にしか届かない物だ。

 言われなくても、僕はそれを理解していた。

 ガラス玉の瞳からこぼれ落ちた透明な液体が、深紅の泉に吸い込まれていった……。


     ※


 春が来た。

 雪に閉ざされていた大地が、草の若芽に包まれて、柔らかな緑色へと変わっていく。

 火の気の無い居間で、僕は何をするでもなく虚空を見つめていた。

 もっとも、僕の目には何も映らないのだけど。

 不意に、扉を叩く重い音が、凍りついたままの空気を揺らした。

 誰だろう。

 いつも心配して僕の様子を見にきてくれる隣のおばさんは、こんなに他人行儀なことはしない。

 ゆらり、と僕は立ち上がり、おぼつかない足取りで玄関へと向かう。

 そのまま扉へともたれかかり、抑揚の無い声で言った。


「……誰?」


 そして、待つことしばし。

 けれども返事は戻ってこない。

 疑問に思って僕は扉を押し開いた。

 そこに立っていたのは、見覚えの無い一人の男だった。

 真っ黒な髪に、同じ色の瞳。

 腰に長剣をさしているので、多分武人だろう。

 男は驚いたように、僕を頭の先から爪先まで眺める。

 そして、僕と目を合わせるなりこう言った。


「君がダナの子か……。君の目は……」


 そこまで言いかけて口をつぐんだ男。

 多分、僕の瞳の動きからそれを察したのだろう。

 けれどそれを気にとめず、僕は答える。

 初めて会った父さんに。


「ダナ? 母さんは、この冬に死んだ。確かに僕の目は見えないけど、別に不便じゃないし」


「何だって?」


「頬の傷、母さんは知ってる? それとも僕らを捨てた後にできたの?」


 僕の一言に、男は反射的に古傷を押さえた。

 『見えない』けれど『見えている』。

 僕の持つ『力』を、父さんは理解したようだった。


「……置き去りにしてすまなかった。ダナ……母さんのお墓に案内してくれないかな? 何より謝りたい。それと、主任司祭殿の所へも」


 何故、とでも言うように首をかしげてみせる僕に、父さんははっきりとした声で言った。


「ダナとの約束したんだ。必ず一緒に首都で暮らそう、と……」

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