─8─過去

 皇女姉妹は、幼い頃からよく似た外見をしていた。

 おっとりしていて思慮深いが、病弱な姉メアリ。

 勝ち気で頑固ではあるが、曲がったことが大嫌いな妹ミレダ。

 外見とは異なり、性格は全くと言って良いほど正反対だった。 


 ルウツの法では皇位継承権は男女に関わりなく長子が持つ。

 二人には従兄もいたが、メアリの即位は既定路線となっていた。

 物心が付く頃から、既にミレダはしかるべく時は姉を護ることを自らの役目と理解し、その為に剣を学んだ。

 そんな彼女の師となった人は、ルウツ皇国神官騎士団長のアンリ・ジョセという人物だった。

 優れた師についたことにより、天性の才能が開花したのだろうか、彼女の腕はめきめきと上達していった。


 そんなある日、ミレダは途切れ途切れに子どもの泣き声を聞いた。

 宮殿内の衛兵や侍従の居住区域には無論その家族と子どもも住んでいるが、それが後宮まで聞こえてくるはずはない。

 けれど悲痛な声は途切れ途切れに響いてくる。

 どうしてもそれが気にかかり、ミレダは姉に尋ねた。

 だが、メアリは予想に反してこう答えた。

 何も聞こえない、と。

 自分がどこかおかしくなってしまったのだろうか。

 一人思い悩むミレダの耳に入ってきたのは、うわさ好きな侍女達の他愛のないお喋りだった。

 この間、皇都で一斉に行われた『草刈り』で、一人の子どもが捕まったらしい、と……。


 もしかしたら。


 そう意を決し、ミレダは師であるジョセに相談した。

 いかに親が敵国の間者かんじゃだったとはいえ、その子供に罪はないはずだ。

 納得がいかない。

 何とかする事は出来ないか。

 けれど、その言葉を受け止める師の表情は厳しかった。

 不安げにこちらを見つめてくる皇女に、ジョセは重い口をようやく開いた。


「恐らく、その子は正規の裁きは受けていないでしょう。我々が救い出しても、誰も異を唱えることは出来ないと思われます」


 その言葉に、ミレダの顔に一瞬安堵の表情が浮かぶ。

 が、ジョセは目を伏せ首を横に振った。


「問題はその後です。果たしてその子は、まだ正気を保っているかどうか……」


 ジョセはミレダとは異なり、ことの顛末てんまつを全て聞き及んでいた。

 その子は錯乱状態で剣を振るい、訳も分からぬまま多くの人の命を奪ってしまったということだった。

 我にかえり全身を返り血に染め泣きじゃくっているところを、踏み込んできた別働隊に連行されて来たらしい、と。

 その心中を思えば、当然のことだった。

 そして、改めて真剣な面持ちでジョセはミレダを見つめた。


「一つだけ、お伺いしたいのですが……殿下は一人の人間の命を背負う覚悟をお持ちですか?」


 思いもかけない師の厳しい一言に、ミレダは息を飲んだ。

 今まで彼女は『皇帝の娘』という立場上、漠然と上に立つ者としての心構えという物を理解しているつもりだった。

 だが師匠からの一言で、それはあくまでも『つもり』でしかなかったことを理解した。

 命は玩具ではない。

 飽きたから、手に負えないからと言って、放り出せる物ではないと言うことを、初めて実感したのである。

 うつむき暫しの沈黙の後、ミレダは宝石のように輝く青緑色の瞳を師に向けた。


「私にそれだけの力があるかどうかは解りませんが……出来る限りのことをして護ります」


 ようやくジョセの灰色の瞳にいつもの穏やかな光が戻った。


「解りました。では私も出来る限りの力を尽くしてみましょう。殿下は何を問われても知らぬ存ぜぬを通してください。不本意であるかもしれませんが」


 うなずくミレダに一礼すると、ジョセはその場を後にした。


     ※


 それから数日が何事もなく過ぎた。

 いつものように中庭の一角で、ミレダは侍従を相手に剣術の稽古をしている。

 メアリはその様子をテラスで微笑みながら見守っていた。

 そんな穏やかな昼下がり、事態は急変した。

 常ならば鳥のさえずりしか聞こえてこないはずの庭園に、耳障りな甲冑のぶつかり合う音が響く。

 何事かと剣を構え直すミレダの前に、突然一個分隊が乱入してきた。


「何事か! 世継ぎの殿下の御前であるぞ!」


 叫ぶと同時にミレダは構えていた剣を、大人顔負けの無駄のない動きで彼らに向ける。

 その圧力に慌てて彼らはかぶとを手にひざまずいた。

 顔に全く見覚えのない彼らの甲冑には、もれなくマリス侯の紋章が刻まれている。

 つまり彼らは宰相の私兵、と言うことである。

 正規の近衛である『朱の隊』をさしおいて、何故こんな所に。

 苛立つミレダに、有責者と思しき人物が恐縮しながら告げた。


「突然のご無礼、どうかお許しください。現在我々は宰相閣下の命にて、宮殿内に侵入した不審者を追っているところでございます。両殿下におかれましては我々に御身の安全をお委ねくださいますよう……」


「無用だ! 私たちを護る者は衛兵たる朱の隊や神官騎士団で充分である。そなた達は、早々に出ていけ!」


 幼い少女の凛とした声に、隊の面々は目に見えて青ざめた。

 メアリはそんな彼らと妹とを、不安げに見つめている。

 不意にミレダの青緑色の瞳に炎が揺らめく。

 危険を察した隊長は恭しく頭を垂れた。


「大変失礼いたしました。では、急ぎ両殿下のお心が休まるよう、尽力いたします」


 再び頭を垂れると耳障りな音を立てて彼らは新緑の中へと消えていく。

 それを見送ってから、ミレダはメアリに向き直り、深々と一礼する。


「私も、賊を探してまいります。姉上はどうぞお戻りください」


 そう早口で言うと、ミレダは庭園へ走り出していた。

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