─6─行軍

 司令官の気まぐれにも等しい独断で突然配置換えになったユノーを待っていたのは、お飾りの式典仕様ではない、実戦向けの基礎訓練だった。

 カイは、小休止の度にそれこそすぐに使える且つ最小限必要な剣技をユノーに叩き込んだ。

 始めのうちこそカイの剣を受けるのもままならず、あちらこちらに切り傷をこしらえていたがユノーだったが、三日程たつとそれなりに打ち合いを出来るようになっていた。


「……どうでもいいけれど、妙な癖を付けさせんなよ。何事も基礎が大事なんだろ?」


 あきれたように言うシグマに、カイは穏やかに反撃する。


「だから、それじゃ間に合わないから、坊ちゃんはここに配置換えになったんだろう?」


 二人の間で困ったように立ちつくすユノー。

 その輪の中に、何の前触れもなく皮肉な笑い声が割って入った。


「……痛み分けだな。まあ、あえて口出しはしないが。最低、本番までには敵の攻撃を受け流せる程度になってもらわないとな」


 あと、余計な先入観を持たせるな、と付け加えるシーリアスに、ユノーは首を傾げる。


「先入観……ですか? 」


「見たところ、貴官にはそれなりの素質がある。だが下手に揺り起こして、殺意を暴走させたくない。万一そうなれば敵も味方も仲良く全滅だ」


 何気ないその一言に、ユノーは何故か底知れぬ不安を感じた。

 だがそれを口にする前に、気まぐれな司令官は姿を消す。

 そんな彼らを忌々しげに見つめる視線にユノーは気が付いた。

 この先頭集団で唯一好きになれない人物。

 言うまでもなく宰相マリス侯直参の参謀長だった。

 この人は宰相の名を口にしてその権威を振りかざし、何かにつけて司令官に異を唱えた。

 何より行軍途中の補給地では、自分が部隊を率いているかのように振る舞っている。

 確かにシーリアスは『大司祭の養子』という特例で、平民の身でありながら司令官の肩書きを持ってはいる。

 しかし頭の固い宰相以下の貴族達は、あくまでもその権限を戦時における作戦指揮のみに限定した。

 その結果、戦闘以外のあらゆる内外に対する交渉権はこの参謀長が握るという不文律が生まれた

 そして当の司令官も、余計な波風が立つのを嫌ってか、或いは単に面倒に感じている為なのか、交渉が伴う場所ではいつの間にか姿を消していた。

 だが、どうしてもユノーはこの参謀長に嫌悪感を抱かずにはいられなかった。


     ※


 突貫工事にも等しい訓練が始まってからさらに数日。

 最後の補給地であるマリス侯領トルーマの地にたどり着く頃には、どうにかユノーは戦場に立てる最低限のレベルに達していた。

 ユノーの安堵をよそに、参謀長は意気揚々と補給の指示をあれこれ下していた。

 けれど、ふいにその周囲が慌ただしくなる。

 トルーマの補給担当の役人が、司令官の決済を求めたのだ。

 けれど、例の如くその人が姿を消していたのである。

 忌々しげに参謀長はその行方を探すよう手当たり次第に怒鳴ったが、いつものこととでも言うように、蒼の隊の面々は誰もその命令に従おうとはしない。

 唯一ユノーだけが、生真面目にその人を捜して走った。

 土地勘が無いトルーマの街を駆け回ること暫し。

 ようやく街全体を見下ろすことが出来る丘の上に、甲冑も身につけず平服のままで空を眺めるように寝転がるその人を見つけた。

 その姿にユノーは黙って立ちつくす。


「ここが最後の人里だ。少し羽根を伸ばしたらどうだ? 」


 その気配を察したのか、シーリアスは起きあがることなく言った。

 確かにこの街を出れば、再び街道から外れ山岳地帯と大平原が延々と連なる荒野を行くことになる。

 けれど、冗談にも似たその言葉に、乱れた息を整えてからユノーは答える。


「参謀長殿が……決済の署名を頂きたいと……司令官殿を……」


「適当にあいつが書けば良いじゃないか。誰も困るわけじゃないし。自分が好きでしている仕事だ。俺がとやかく言う筋合いもない」


 素っ気なく言い返してくるシーリアスを、ユノーは唖然として見つめる。

 一方見つめられる側は、いつまでそこに立っているつもりだ、とでも言うように藍色の瞳を向けてくる。

 仕方なく一礼してから、ユノーは僅かに離れたところに腰をおろした。

 それを確認してから、何気なくシーリアスは口を開く。


「……家族から手紙が届いているんだろ?」


「……はい。恥ずかしいことですが、少し戦場に行くのが怖くなりました」


「それが普通の感覚だ。この世界にどっぷりつかると、目の前で何人死んでも何とも思わなくなる。正気の沙汰じゃない」


 自虐的に笑うシーリアスに、ユノーは口を閉ざす。

 自然に口をついて出てきたであろうその言葉の裏に、何とも言えない空虚さを感じて。

 だが当の本人はそれを全く意に介さず、常の感情を感じさせない声でユノーに問うた。


「……で、家族は何か言ってきたのか?」


 この人からそんな言葉が聞けるとは。

 予想外のその質問に一瞬ためらった後、ユノーは切り出した。


「あの……不躾ぶしつけではありますが、皇都への帰還はいつ頃を予定されておられるのですか?」


「どうやら本気で生き残るつもりになったようだな」


 意地悪く言い返してくるシーリアスに、ユノーは恥ずかしそうにうつむく。


「はい。ひと月ほど先……父の死んだ日に、帰還は間に合うか、と書いてあったので……」


 毎年、二人で墓前に詣でているので、その時に良い報告が出来れば、と続けるユノーに、無感動な声が応じる。


「運が良ければ家名の復興を報告できるだろう。あまり長引かせても仕方がないし……俺もそれなりに野暮用がある」


 それきり、暫しの沈黙。

 堪えられなくなったユノーは思い悩んだ末、目の前にいるその人に抱いていた疑問を口にした。


「……失礼を承知でお伺いしますが、司令官殿は、お一人でお住いなのですか?」


「大司祭猊下げいかの所……孤児院を出てからは一人だ。それが何か?」


「……その、いつもお一人では、お寂しくは無いのですか?」


 再び沈黙。

 やっぱり聞くべきでは無かったとユノーが後悔した時、視線を合わそうとせずにシーリアスは答えた。


「寂しいと思う資格は、俺にはない。それも俺に科せられた罰の一つだ」


 謎かけのようなその言葉に、ユノーは思わず黙り込む。

 だがそれを全く気にも留めず、セピアの髪の司令官は更に続けた。


「……もっともその程度で、俺が許されるとは思ってはいないがな」


 何をおっしゃっているんですか。


 そう問い返そうとしたその瞬間、また『あの光景』がユノーの視界をよぎった。

 今回のそれは今までの物とは比べ物にならないくらい鮮明だった。

 こちらに白刃を向けている騎士達は、紛れもなく朱の隊の装備を身にまとっていた。

 その標的になっているのだろうか。

 耳を塞ぎたくなるほどの子どもの絶叫が空間を支配する。

 同時に騎士達は為す術も持たず、ばたばたと倒れていく。

 一体何が起きているのか理解できずにいるユノーの耳には、今度は泣きじゃくる声が入ってきた。


 ごめんなさい、許して……。


 泣きながら繰り返すその声の主を捜そうとした、その時……。


「そう言う貴官は、誰が帰りを待っているんだ? お母上か?」


 悪意の欠片もないその自然な問いかけに、ユノーは暗い表情を浮かべて首を横に振った。


「……母は、死にました。罪を犯した父を追って、自ら……」


 残っているのは祖母だけです。

 そう言うユノーに、珍しく司令官は自分の非を認めた。

 嫌なことを聞いて申し訳ない、と。

 驚いたように見つめてくるユノーに、シーリアスは微笑を浮かべる。


「安心しろ。ひと月以内にカタをつけてやる」


 その言葉には、妙な説得力があった。

 ユノーはこの人の言葉を信じよう、そう思った。

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