─5─軍議にて
本陣は言うまでもなく、陣の中央にある。
その本陣の前で呼吸を整えてから、恐る恐るユノーは入口の幕を上けた。
広い内部には、ルドラ地方の地図が広げられており、事細かに敵の布陣状況が記入されている。
上座に座るセピアの髪の司令官は、面白くなさそうにそれを見つめている。
申し訳なさそうに足を踏み入れ、邪魔をしないように細心の注意を払いながら最末席についたユノーには、全く興味がないようだった。
そして、各小隊長級以上の人々が三々五々入ってくる。
その度毎にユノーは一々立ち上がり、黙礼する。
それに気がついたシグマは、にやりと笑いながら親指を立ててそれに応じる。
共に入ってきたカイは、先程の話などまるでなかったかのようにいつもの穏やかな笑みを返してきた。
やがて全ての席が埋まる頃を見計らうかのように参謀長が姿を現し、それを合図に軍議は始まった。
まず発言したのは、最新の状況を実際に目にしてきた斥候隊長である。
押し殺したような声でぼそぼそと戦況が述べられ、その言葉に応じて地図に書かれた矢印は長く伸ばされる。
そして敵軍進路の延長線上には、やはり古都バドリナードがあった。
「直接バドリナードを陥とそう、という訳か。確かにそれが一番手っ取り早いか」
面白くなさそうに言う司令官に、参謀長は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「そのように悠長なことを言っている場合ではありません! 一刻も早く物騒なエドナの逆賊共を……」
「見る限り、相手の補給線はぎりぎりの所まで伸びている。周囲の村を二つ三つおさえれば、勝手に自滅してくれるだろう」
「しかし、それでは時間がかかりすぎます! 陛下よりお預かりした貴重な兵員を、長期間危険にさらすような愚かな策は……」
立ち上がり、さらに激高する参謀長。
だが、司令官は眉一つ動かさない。
「確かに参謀長殿の言葉にも一理ある。だが、一人でも多くお預かりした兵員を無傷でお返しするのも、俺に科せられた義務だと思うが」
鋭い藍色の瞳を向けられて、流石の参謀長も黙り込む。
その様子に失笑が漏れた。
ユノーは呆れながらも視線を地図から上座へと移した。
自分とさして歳の変わらない司令官は臆することなく、自分より年長且つ身分も上である参謀長をからかっているのだから。
器が違うな。
そんなことをぼんやり考えながら、ユノーは再び地図に視線を戻した。
完全に参謀長の口を封じることに成功した司令官が、作戦と各隊への進路を告げ始めたからだ。
「……最後に、残り二千が側面の山間から敵軍を突く。これで大方、敵の戦意は喪失するだろう。正面から一足先にぶつかる先方隊を……」
緊張のあまり上の空になっているユノーの耳を、次々と各隊への命令が通り抜けていく。
「……して、司令官殿はいずれの指揮を執られるおつもりです? よもや後ろで何もせずに……」
「俺は最後の二千を持つ。参謀長殿にも是非ご同行していただきたい。何しろ俺は家柄もない若輩者だから、何かと然るべき方の助言が必要だ」
言いながらシーリアスは冷たい笑みを浮かべてみせた。
流石の参謀長もこう下手に出られては不本意ではあるがうなずかざるを得ない。
全ての配置と攻撃内容が決定し、一同は一斉に立ち上がる。
そして散会しようというその時、司令官の口から何の前触れもなく聞き慣れぬ言葉が発せられた。
あれは一体……。
首をかしげるユノーの脇を、ぞろぞろと列席者達は通り過ぎていく。
やがてユノー一人がその場に残された。
すると、未だ座したままのシーリアスは僅かに笑いながら言った。
「……戦の守護者よ、我に宿り賜え。祈りの言葉だ。気休めだがな」
驚いたようにそちらを見つめるユノー。
けれど、この人は大司祭の養子なのだ。
祈りの言葉を知っていたとしても不思議ではない。
だが、肝心の自分がここに呼ばれた意味が、まだ分からない。
「……あの、失礼ながら、何故自分をこの場に? 」
ようやく我に返ったユノーは、戸惑いを隠そうともせずに言う。
恐らくそれを予想していたのだろう。
シーリアスは、先程までの厳しい表情をおさめて答えた。
「一つ、直接確認したいことがあった」
言いながら立ち上がり、シーリアスはユノーに向かい歩み寄る。
驚いて身を引くユノーをよそに、シーリアスはその真正面に腰を降ろしおもむろに口を開く。
「行軍中、貴官はこの戦で死んで家名を復す、と言うようなことを口にしていたが」
その言葉に、ユノーはうなずいた。
ろくに実戦訓練を受けていない彼が汚名をそそぐ方法はそれ以外に考えられないし、上も彼と同じ事を考えているのだろう。
だが口ではそう言いながらも僅かに震えているユノーに、シーリアスは更に続けた。
「もしこの戦を生き延びたら、その後は一体どうするつもりなんだ?」
思いもよらなかったその言葉に、ユノーは水色の瞳をシーリアスに向ける。
果たしてその人の端正な顔からは、いかなる感情も読みとることは出来なかった。
鉄面皮はさらに問いかける。
「聞くところによると、貴官は代々武門の家柄だとか……」
ユノーが頷くのを確認すると、シーリアスは続ける。
「この戦を生き延びれば、朱の隊とは行かないまでも、騎士として皇帝陛下に仕えることになるんだろ? 普通に考えれば」
違うか、とでも言うように自分をみつめる藍色に瞳に、ユノーはただうなずくことしか出来ない。
その様子に、平民出の自分が言うのも妙なことだが、と前置きをしてからシーリアスは言った。
「貴官は俺が見たところ、死ぬ覚悟はそれなりに有るようだが、生き延びた後については考えていないようだが、どうか?」
一瞬ためらった後、ユノーは首を横に振った。
「そんなことは……あり得ないと……無理だと思っていますので」
「俺の部下となる必須条件は地位や名誉じゃない。生き抜こうという貪欲さ……生への執着だ。死ぬためにここに来たのなら、今すぐ皇都に帰れ。その方が貴官のためだ」
厳しい言葉に、ユノーは押し黙る。
相変わらず冷たい藍色の瞳は、そんな彼を見下ろしていた。
行き場を失って彷徨うユノーの視線がある一点で止まる。
シーリアスの腰に納まっている短剣に。
柄にほどこされた細工の溝には、変色した血液らしい物がこびり付いているので、使われたことがあるのは確かだろう。
そう思った瞬間、ユノーの脳裏に再びあの光景が浮かぶ。
血の池と化した床と、その中に倒れ伏す男女。
二人の墓標のように床に突き刺さる短剣。
そしてこちらに向けられる無数の白刃。
「……聞いているのか?」
不機嫌そうなシーリアスの声に、ユノーの思考は現実に引き戻された。
慌てて彼は言葉を継ぐ。
「自分に科せられたことは、家名の復興です。何もしないままむざむざと皇都に逃げ帰るのは、本意ではありません」
「ならば生きて帰ると覚悟を決めたんだな?」
念を押すような司令官の言葉に、ユノーは慌ててうなずいた。
深い藍色の瞳に、初めて穏やかな光が浮かぶ。
「では、貴官への命令だ。ロンダート卿、以後俺の後背に付け」
驚いたように瞬くユノーに、言葉は更に続く。
「戦に必要な最低限のことを、体で覚えるんだ。後は、自分の直感を信じろ。今俺が言えるのはこれだけだ」
言いたいことだけ一方的に言うと、シーリアスは呆然としているユノーをそのままに、本陣を出ていった。
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