─2─無紋の勇者

 『蒼の隊』。

 それはルウツ皇国の中でも極めて特異な存在だった。

 ルウツの主な戦力は、色分けされた名で呼ばれるのが習わしである。

 かつてロンダート家が所属し、皇宮警備や皇都の治安維持を主な任務とする皇帝直属の『朱の隊』。

 皇帝を支える代表的な五つの伯爵家がもつ『緑』・『白』・『黒』・『黄』・『紫』の各隊。

 そしてユノーが今回配された『蒼の隊』である。

 『蒼の隊』はいかなる門閥にも属さない、流れの傭兵や、のし上がろうとする平民、そして失地回復をもくろむ没落貴族などから構成される、いわば混成部隊だった。

 そのありとあらゆる階層出身の混成部隊を率い、由緒ある五伯家以上の働きをさせているのは、格を重んじる皇国で唯一の平民出身の司令官だった。

 記録上の軍歴は約二年半。

 だが初陣より一部隊を率いて以来、未だ敗戦を知らない。

 その平民出身の彼のことを、庶民は尊敬を込めて、敵国はこれ以上ない畏怖の念を込めて、そしてルウツの高官や名だたる貴族達は蔑みを込めて、こう呼んでいた。


 『無紋の勇者』と。


 だが、華々しい働きとは裏腹に、その素性はあまり人々には語られていない。

 解っているのは、司祭館にある孤児院で育ち、ルウツの大司祭であるカザリン=ナロード・マルケノフの養子となった、という事。

 もっともこの養子縁組は、平民である彼が一部隊を率いる『勇者』の位を得るために、子爵家の出身の大司祭が動いた形ばかりのものだとも言われている。


 シーリアス・マルケノフ。


 それが、その渦中の人物の名前だった。

 彼を直接知る人は、口をそろえて言う。

 あの人は得体の知れない人だ、と。

 深い藍色の瞳は常に無表情で、何を考えているのかを決して他者に悟らせることはない。

 そして、自分以外の存在はおろか、自分自身にさえも関心が無いように見える。そう評する人もいた。

 噂には当然尾ヒレが付いているだろうから、何処までが本当で、どこからが憶測なのかが解らない。

 何より、ユノーは辞令を受け実際に出陣するとの段になっても、その人の顔を一度も見ることはなかった。

 理由は簡単である。

 平民であるという出自のため、司令官たるその人は、戦場以外での公の場で陣頭に立つことを許されていなかったからだ。

 まさかとは思ったが、実際に宮殿に入りユノーを待っていたのは、それこそ『蒼の隊』という名前にくくられた雑多な身分の人々の群だった。

 そして聞き及んでいた通り、司令官の姿を見つけることはできなかった。

 仮待遇とは言え、初めて騎士としてユノーが閲兵式に参加した時、陣頭に立っていたのはマリス侯の血縁者という参謀長だった。


「見ろよ。宰相の腰巾着の顔をさ。まるで自分が司令官になったつもりでいるみたいだぜ」


 緊張のあまり硬直していたユノーに話しかけてきたのは、豪農の出身で騎兵でありながら事実上の副官と言われている、ロー・シグマという人だった。

 気さくで話好きな彼は、声を潜めて更に続けた。


「坊ちゃんは運が良いな。下手に五伯家直属に回されてみろよ。家柄だけの指揮官に手柄を横取りされて、都合が悪くなれば見殺しにされるのがオチだ」


 その言葉に、周囲からは失笑が漏れる。

 話しかけられたユノーはといえば、はいそうですかと曖昧に笑ってみせるのが精一杯だった。

 その肩を、もう一人の腹心と目されている人が叩く。

 イータ・カイと言う名のその人は、かつてのロンダート家と同じく、下級の貴族の家柄だという。


「その点、うちの大将殿は性格はともかくとして、実力は折り紙付きだから。神官騎士団長の弟子って話聞いたかな? 武官籍と神官籍、両方持っているらしい」


 一瞬ユノーは耳を疑ったが、司令官の出自にまつわる様々な憶測を思い出して納得した。

 だが武官よりは神官に近い立場にいた彼が、何故わざわざ実戦部隊に身を置く決意をしたのだろうか。

 ふとユノーは考えるが、さっぱり見当がつかなかった。

 けれどそんなユノーの内心を気にするでもなく、穏やかな口調のカイの言葉にシグマはうんうんと頷いてみせる。


「実際のところ、あの人が戦場で宝剣を天にかざして祈りの言葉を叫ぶのを見ると、負ける気がしないからな」


 その時、怒りを孕んだような参謀長の視線がこちらに向けられた。

 宰相からの監視役でもあるその人にとって、存在を認めたくない司令官に対する賛辞の言葉は、許しがたい物だったのだろう。

 悪戯小僧のようにぺろりと舌を出して、ようやくシグマはおしゃべりを止めた。

 だが、ユノーにしてみれば、どれだけ身内からの賞賛の言葉を聞かされても、気休め以外の何物でもない。


 皇都を出る前に、その人に会ってみたい。


 しかしその願いは果たされることは無かった。

 結局ユノーは自分の命を委ねるその人の顔を知らぬまま、ろくな訓練を受けることもなく、そして誰からも見送られることもなく『蒼の隊』を形成する一人として皇都エル・フェイムを出発したのである。

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