鎮魂曲
─1─地位と名誉と
下級とは言え、貴族の物としてはあまりにもみすぼらしい墓石に、老婦人は持ってきた花束を手向けた。
そしていつものように合掌し深々と頭を垂れる。
この冷たい石の下には、彼女の一人息子がその妻と共に眠っている。
隊長命令に背くという武官としては致命的な行為を犯した息子と、将来を悲観しその後を追った妻が。
その結果老婦人とその孫の家は、代々受け継いできた騎士籍は皇帝預かりとなり、貴族籍より除名という厳しい処分を受けた。
今では周囲からは裏切り者と後ろ指をさされながら、皇都の片隅でひっそりと身を隠すようにして暮らしている。
改めて老婦人は、墓石を見つめる。
除名された貴族籍への復活と預かりとなっている騎士籍とを取り戻すという悲願のため、最後に残された肉親である孫が今戦場へ引き出されようとしていた。
けれど彼女にとって、今更身分などはどうでも良いものになっていた。
とにかくその無事の帰還を祈るため、彼女はここへやって来たのである。
けれど墓石は何も語ろうとはしない。
深く溜息をつき、彼女はその場を離れた。
人気のない、木漏れ日が降り注ぐ共同墓地の中を、老婦人は背を丸めながら家路につく。
近く皇都を離れる孫のために、好物を用意してやろう、と思いながら。
と、その時だった。
墓地の中でも一際じめじめとした所にある、皇国に仇なす逆賊者達が埋められている場所へと向かう苔むした脇道から、前触れもなく一人の青年が姿を現した。
殆ど訪れる者もない、忌まわしい場所へと続くその道から。
年の頃は、老婦人の孫と同じくらいだろうか。
一目見てそれと解る下級神官の質素な長衣を身につけ、首からは何やら古代語が刻まれた護符を下げている。
全く癖のない真っ直ぐなセピア色の髪は背に届くほど長い。
自分を見つめる視線に気が付いたのか、青年は一瞬驚いたように顔を上げる。
そして、僅かに会釈をすると足早に遠ざかっていく。
ほんの刹那、交錯する両者の視線。
殆ど黒と言っても良い青年の藍色の瞳から老婦人が感じ取ったのは、言葉に出来ないほど深い後悔の念と寂しさだった。
遠ざかっていく青年の後ろ姿を、老婦人はなぜかずっと見送っていた。
※
ユノー・ロンダートは悩んでいた。
いや、むしろ困惑していると言った方が正しいかもしれない。
彼の目の前には、たった今皇帝からもたらされた二通の命令書が置かれている。
一つは仮待遇の騎士として『蒼の隊』へ着任せよ、という内容の物。
もう一つは『蒼の隊』に属する者として、隣国エドナのマケーネ大公との国境紛争が起きているマリス侯領ルドラへ出陣せよ、という物だった。
元々ロンダート家は代々ルウツ皇帝直属の近衛『朱の隊』に籍を置く騎士である。
下級ではあるがれっきとした武門の家柄として皇帝に仕える貴族だった。
が、現在は貴族籍を剥奪され、騎士籍も皇帝の預かりとなっている。
全ては十年前。
皇都における『草刈り』……敵国間者の摘発にあたっていたユノーの父親が何故か隊長の命令に背き、結果所属分隊が全滅したのがその理由なのだという。
後に伝え聞いたところによると、踏み込んだ『草』の家に、子どもがいたらしい。
いかに命令とは言え、自分の息子と同じ年頃の子どもを手にかけることをためらってしまったのだろう、と周囲の人々は口々に噂した。
けれど、現場で一体何が起こったのか、当事者が全て死亡してしまったので、全ては憶測でしかない。
差に言ってしまうと、部隊全滅の原因が本当にユノーの父親のせいだったのかも定かではない。
だが真実を知る人間がいない以上、残された家族は命令に従うことしかできなかった。
そんな理由で、ユノーの父は公文書上は『殉死』ではなく『死を賜った』と記されている。
そして、残されたユノー達は皇都の片隅で、人目を逃れるようにひっそりと暮らすことを余儀なくされた。
ただ一つ救いだったのは、除名処分証の文末に『嫡男が然るべき時に汚名をそそぐまで』、と加えられていたことだった。
そして今年、ユノーは成人となった。
つまり『然るべき時』が来たのである。
この二つの命令は、ロンダート家に汚名を返上する機会を与える、との皇帝の意思表示といって良かった。
だが、それがあくまで形式的な物に過ぎないと気が付くまで、さして時間はかからなかった。
ユノーは今まで戦闘訓練、つまり騎士に必要な武術や馬術の鍛錬を殆ど受けていない。
いや、正確に言えば受けることを許されなかったのである。
そのユノーにいきなり最前線へ出ろと言う命令が下されたのだ。
命をもって親の罪を償え。
そう言われていることを、彼はすぐに理解した。
名乗る者のいない家名を復しても、皇帝には何の支障もないのだから。
唯一の家族となっていたユノーの祖母は、二通の命令書を前にして黙り込む孫に向かって言った。
行くな、と。
優しい祖母は、夫と息子に続いて孫までも失うことが堪えられなかったのだろう。
無理もないことだ。
しかしユノーの『家名を復興する』という決意は揺るがなかった。
父祖伝来の武具を修理し磨き上げ、支給された馬に古びた鞍をのせる。
そして腰には父の形見の剣をはいた。
『蒼の隊』の一員として住み慣れた家を後にし、皇宮へと向かった。
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