─6─静かな冬に

 冬はあっという間に訪れた。

 暖炉には赤々と炎がたかれ、ほの暗い室内を柔らかく照らし出す。

 その暖かい光の中で、彼は相変わらず本を写すという作業を続けていた。

 その作業に一体どんな意味があるのか、ボクにはまったく解らない。

 一心不乱に作業を続ける彼を、丸まりながら見つめる日々が過ぎていった。


 そんなある夜、彼はいつもよりかなり早くその作業を切り上げると、頬杖をつきながらボクに言った。


「今日は『年越しの祭』だ。孤児院……猊下からお誘いを受けているんだけど、来るか? あまり気は進まないけれど……」


 それって、逆にすっぽかす方がまずいんじゃないの?


 寝台から飛び下りると、ボクは彼の足元で鳴いた。

 諦めた、とでも言うように小さく吐息をつくと、彼は静かに立ち上がると、大きく伸びをした。

 防寒用のマントを神官の長衣の上から着込むと、彼はボクを促して外にでた。

 はりつめたような冬の外気に身震いするボクを、彼は問答無用で抱き上げた。


「降って来たら雪だろうな」


 呟く彼の胸元で、ボクは注意深く周囲を見回した。

 どこの部屋にも明るい光が灯っている。


 みんな、静かにお祝いしているんだろうな。


 そんなことを考えるボクの頭上を、彼の声が通過していった。


 最後に家族で過ごしたのは、いつだったかな、と。


 そのうち、家族で過ごした時間よりも一人の時の方が長くなる。

 そう言う彼の表情は、夜目がきくボクにもはっきりとは見えなかった。


 やがて、目の前には石造りの建物が現れた。

 無言で彼が扉を叩くと、音もなく開かれた。


「まあ、ずいぶんと他人行儀じゃない。早くお入りなさいな」


 優しい微笑みを浮かべながらボクらを迎え入れた『導師さま』に向かって決まり悪そうに一礼すると、彼はボクを床におろした。

 同時に子ども達の歓声が聞こえてくる。


「たまにはこちらにも顔を出しなさい。……ここも貴方の『家』なんだから」


 後ろ手で扉を閉めながら、彼はつまらなさそうにうなずく。


「猊下も首を長くしてお待ちよ。貴方と来たら、出陣の時も帰還の時も、挨拶一つしなかったそうじゃない?」


 ……かなり、まずいんじゃないの?


 見上げるボクを完全に無視すると、彼は大股に歩き出す。

 あわてて後を追おうとするボクに、導師さまは笑顔を浮かべながら言った。


「あなたも一緒なのね。少し、安心したわ」


 どういうこと?


 首を傾げるボクをなでながら、導師さまは寂しげに笑った。


「何に対しても心を閉ざしていたあの子があなたを連れて来た時は、正直、ほっとしたのよ。あの子にもまだ、人間らしさが残っていたんだ、って」


 そうなのか。だからあの時、導師さまは許してくれたんだ。


 妙に納得して、ボクは彼を目で追った。

 突き当たりの扉の前で、彼はボクを見ていた。


「この子のことなら、かまわないわよ。あなたとこの子が来るのを、猊下はお待ちなのだから」


 首を傾げる彼に、導師さまはころころと笑った。


「一緒に過ごした家族でしょう? さあ、早くお入りなさい」


 ボクは急ぎ足で彼の隣に駆け寄る。

 追い付くとほぼ同時に、彼は突き当たりの大広間に続く扉を押し開いた。


 まず、飛び込んで来たのは、子ども達の明るい歓声。

 突然現れた『動く玩具』であるボクに向けられた物であるのは、言うまでもない。

 ボクが取り囲まれるのを見図るかのように、彼は暖炉に近い長椅子に座り室内を暖かく見つめている女性の元へと歩み寄った。

 どこか気まずそうに一礼してから、彼は静かにひざまずく。


「大司祭猊下におかれましては、お変わりもなく……」


「そんなことを言っていないで、もっと近くにいらっしゃいな。顔を良く見せてちょうだい」


 瞬間、ためらったあと、彼は更に猊下に歩み寄る。

 すい、と猊下の指が、彼の頬に触れた。


「……少し、痩せたのではないの?」


「いえ……そのようなことは、ないと思いますが……」


 痛い所を付かれて返答に窮する彼を、ボクは始めて見た。

 殿下と言い合っている時、言い負かすのは、いつも彼なのだから。


「でも、その格好で来るなんて……。今度は昇官試験、きちんと受けてくれるのかしら?」


 ショウカンシケン?


 聞き慣れない単語に、ボクは耳をぴん、と立てた。

 それこそ彼と猊下の会話を一言も聞きもらさぬように。


「導師になれば、神官騎士団へ入れることは、貴方も知っているでしょう? そうすれば皇都を離れることも……」


「大変ありがたいお言葉ですが、自分にはそれだけの力量はありません。……それに、自分はまだ……」


 彼は一度、言葉を切る。


「それに、どうしたの?」


 寂しげな猊下の声が響く。

 それに抗うかのように、彼は硬い声で続けた。


「それに、まだ自分は許されたとは思っていません」


 二人の間に、沈黙が続く。

 ようやく子ども達の手から逃れたボクは、その間に割って入り、彼と猊下の顔を見比べた。


 感情が凍りついたような彼。

 言葉そのままに寂しそうな猊下。


 その時、新年の訪れを知らせる聖堂の鐘が高々と鳴り響いた。

 二人の真ん中で立ち尽くすボクの襟首を掴み、自分の方へ引き寄せながら、彼はひざまずき深々と頭を垂れた。


「不肖の息子ではありますが、引き続きご鞭撻いただければ幸いです」


 頑なな彼の様子に、猊下は悲しげに笑った。

 それから導師さまを交えて他愛のない話をする事、しばし。

 遊び疲れた子どもが一人、また一人と部屋から消えていく。

 すっかり静かになった部屋の中で、暖炉にくべられた薪が勢い良くはぜる音が響く。

 今晩は泊まっていったらどうか、という導師さまと猊下の提案を丁重に断ると、彼は招待に対するお礼の言葉を口にして、ボクを伴い外へ出た。


「……降ってきたな」


 短く彼は言うと、ボクを抱き上げる。


 いい加減、ボクを子猫扱いするなよ。ボクらの方が一人前になるのは早いんだから。


 抗議の声を上げるボクの目を見つめながら、彼はわずかに笑みを浮かべて言った。

 この方が俺も暖かいし、何よりお前に雪が積もらないだろう、と。

 確かに正論なんだけれど、彼の口から出るとどこか皮肉に満ちあふれて聞こえてくるから不思議だ。

 そんなボクの内心をいざ知らず、彼は恐ろしい予言を口にした。


「ところで、あの式典嫌いの妹姫殿下の我慢は、いつまでもつかな? 長くて二日と俺は見たが」


 確かに殿下は、格式ばった所が似合うとは言えない。

 綺麗なドレスを着て踊っているよりも、彼と剣を振り回しているほうが数百倍も似合う。


「どんな顔で乗り込んでくるか、見物だな」


 それって、『不敬罪』ってやつになるんじゃないの?


 呆れて声も出ないボクを知ってか知らずか、彼は静かに言った。


「安心しろ。とりあえずお前も、殿下に気に入られているみたいだし。……万が一の時は、いっそ殿下のお世話になったらどうだ?」


 年明け早々、縁起でもないこと言わないでよ。第一、元野良のボクが宮殿で暮らしていけるはずがないじゃないか。


 抗議の声は、雪の中へと消えていった。

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