なんだかんだ魔王様がすごい1

「──はぁ……っ!」


 まるで深海から浮上してきたかのように、私は口を開いて大きく息を吸い込んだ。なんだか本当に、つい今しがたまで溺れていたかのような息苦しさを覚えて必死に喉を開く。なぜかひやりとした感触を右頬に感じる。

 突然の覚醒に意識がついてこない。


 なにこれ。私、今どうなってるの?

 ついさっきまで変な空間にユリウスといて、小さいユリウスやルーディーもいて、それで──その前はどういう状況だったんだっけ?


 どうやらうつ伏せで転がっている。

 起き上がろうと手を付いたら、下はやはりひんやりとしていて、この感触は……う、鱗?


「え──っ!?」


 跳ね起きたのと、バサリと大きな羽ばたきの音がしたのは同時でした。


「無事に戻ったようね、約束を違えるんじゃありませんわよ!」

「え、えええええええっ!?」


 叫ぶマルゴさんを私は叫んだ。

 左右を見れば大きな蝙蝠みたいな翼、目の前には黒いたてがみのような毛が揺れて、その先の頭がこちらを振り返る。黒いたてがみの隙間から、ルビーみたいにキラキラと月光を反射した瞳が私を見据えました。


「──は……っ!?」


 あまりのことに悲鳴すら出なかった。

 私は、大きな黒いドラゴンの背に跨っていたのです。ドラゴン……? うん、やっぱりドラゴンだよね!?

 象より一回り以上は大きい翼の生えたドラゴンに乗っている!


『大丈夫か?』


 頭の中に声が響いた。

 聞き覚えのない低い声だったけれど、偉そうなイントネーションの口調は聞き慣れたもので。それは間違いなく下のドラゴンさんからで。


「ユリ、ユリ、ユリウス……?」

『そうだ』


 そうだ!? どうなっているの!?

 唖然としていたら、下から呆れたようなマルゴさんの声がしました。


「言ったじゃないの。彼らは人と獣、二つの姿を有していますのよって」

「だからってドラゴンは聞いてない!!」


 なんてワーワー言っていると、大きな舌打ちが聞こえた。見やれば、起き上がるルーディーの姿。

 ヴェンデルは……熱い光に包まれる直前と変わらず、沙代と対峙したままです。とても長い間あの変な空間にいた気がしたけれど、どうやら現実では大して時間が経っていないように思える。


「綾姉どうしたの!? 大丈夫!?」

「だ、大丈夫!」


 大してどころか、ほんの一瞬の出来事だったらしい。いまだに混乱する頭だけど、なんとか状況がわかってきた。


「おい、なんであの状態から戻ってこれんだよ──!?」


 憎々し気にユリウスを睨みつけていたオレンジの瞳がツイッと動いて、上に跨る私と目が合った。


「お前か……っ」

「あの女? なんの戦力にもなっていなかったが」

「だろうと、半端だったとはいえ俺の術を破った原因はあいつだ」


 何気にヴェンデルの辛口評価が心抉られますね。でも確かに神社ではなんの役にも立ってなかったし事実です。なのに、双子がめちゃくちゃ見てくる。睨みつけてくる。


『──っ、掴まってろ!』


 焦るようなユリウスの声が聞こえて、とっさに目の前のたてがみを掴んだら再びの羽ばたき音と浮遊感。……浮遊感!?


「と、と、飛んでるーーっ!?」

『おい、振り落とされるなよ!?』

「そんな無茶、なあああああああっ!」


 私の叫びを余韻に残してユリウスが裏山の上空を旋回した。すると、あとを追うようにあの先端鋭い岩が次々と下から発射されてくる。それらをユリウスが火を噴いて撃墜した。


 ──火を噴いて撃墜した!?


 信じられないことの連続に、さっきから私は目を剥いてばかりです。その間にも放たれる岩とユリウスの炎が何度もぶつかる。けれどいかんせん数が多い! 脇腹を狙うようにあわやぶつかるかという直前、薄く白い盾のような光がそれらをはじき返してくれた。

 慌てて下を見れば、案の定足元に白い魔法陣を光らせるマルゴさんの姿。けれど、気付いたルーディーがそちらへ跳んだのが見えます。そのあとを沙代が追撃する。ぶつかりあう金属音と同時に、飛び散るような火花がチカチカと見えます。


 そしてその間、空の上で変な悲鳴を上げている私。

 ミサイルみたいに飛んでくる岩を避けるユリウスの鞍上は、絶叫マシンなんて目じゃないくらいGがすごい。少しでも気を抜いたら確実に振り落とされる。

 なんて思っていたまさにそのとき──

  

『このまま突っ込む! しっかり掴んでおけ』


 突っ込む!? どこへ!? という絶望を乗せて、


「きゃあああああああっ!!」


 一度高く上昇したユリウスは、そのままクルリと身を翻して真下に急降下したのです。私の悲鳴が夜空に情けなく響き渡る。今この手を離したら死ぬ。

 落ちる先には、今このときもユリウスに狙いを定めていたヴェンデル。ダークブラウンの瞳が大きく見開かれたのが見えた。


 ──ぶつかるっ!

 ぐんぐん近づく地面に大きな衝撃を覚悟したけれど、それは一向に訪れませんでした。代わりに、しがみついていたドラゴンの感触が消えたと思ったら、ジェットコースターもビックリの急転直下から一転してふわっと小さな浮遊感。そして、トスッ、と誰かに受け止められる。


「…………え?」


 なにがなにやら。

 気が付けば、ポカンとした顔で私は誰かに抱えられていたのです。いわゆるお姫様抱っこで。そろそろと視線を上げれば──


「…………は?」


 さっきから間抜けな声しか出していないのは重々承知ですが、これは仕方ないと思うのです。

 見上げた先には見慣れたもさもさ頭に覆われた顔。これが誰かなんて考えるまでもないはずなのですが、なんというか、まず視界が高い。ユリウスに抱えられている割には視界が高いぞ。そもそもユリウスが私を抱えるなんてできるのだろうか。いや、あのもやしっ子には絶対できない。

 極めつけは首に見えた喉仏。正直言って二度見した。


「悪かった。無事か?」


 降ってきた声は、あの黒いドラゴンと同じ低い声でした。それと、私を支えるのはもやしっ子とは思えない、ほどよく筋肉の付いた腕と薄めながらも硬い胸元。……基準が兄なもので、どうしても辛口になるのは仕方ない。が、それよりも、


「ユ、ユリウスが大きくなってるよぉ!?」


 目の前にいるのは中学生なんてもんじゃない。ルーディーやヴェンデルと大して変わらないだろう青年でした。丁寧な所作で降ろされてから改めて見れば、ゆるゆるだった黒のタンクトップはいまやピッタリで。七分丈に折り曲げていたビジュアル系ズボンなんて膝が出ている。

 それでも、可愛らしさのあった少年姿とは打って変わって、もう、それはもう、嫌になるくらいビジュアル服を着こなせていた。つまりとんでもなく似合っている。

 ここで、ユリウスは私が何に狼狽えているのかようやく察したのでしょう。


「魔力が戻ったからな。元の姿に戻ったんだ」


 あっさりとそんな摩訶不思議なことを言った。


「いや、え、元って──」


 何を言っているんだ? なんて私の疑問が解消される間もなく、後ろからのとんでもない鬼気迫る気配に振り返る。それとユリウスが前を向いたまま後方に手を掲げたのは同時でした。

 掲げた手のひらの先に赤い魔法陣が生まれて、何かと激しくぶつかり相手を弾き飛ばす。


「──クソッ!」


 弾き飛んだ先で、地面に手を着いて着地したルーディーが悪態を吐いた。前を向けば、これまで涼しい顔をしていたヴェンデルまでも見間違いではなく冷や汗を浮かべています。

 と、その瞬間、


「────っ!?」


 今までの比ではない激しい耳鳴りが鼓膜を貫いた。そして全身に感じるズンッと重力が増したのかとすら思える圧。

 それほどまでに、隣から感じるあまりに禍々しくて重苦しい空気に、身体が引きずられる。

 後ろを見やれば、ルーディーの更に後方で沙代やマルゴさんまでもが耳を塞いで膝を着いていました。あの二人でもこれは耐えきれないらしい。そうですよね、私なんてもう鼓膜が破裂しそうです。


 そのまま視線を戻して隣を見上げる。

 すると元凶ともいえるユリウスが、ちょうど前髪を掻き上げた瞬間だった。


 そこにはもう、目を取り囲むような不気味な文字の羅列はありませんでした。

 真っ黒い瞳でもありませんでした。


 さっきのドラゴンと同じ、ルビーのように赤く美しい瞳が輝いていた。

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