心からの言葉だった2
気付けば、薄暗い森のような場所に立っていました。
横にいたユリウスと顔を見合わせたら、首を横に振られる。どうやらユリウスの記憶にある場所ではないらしい。
やはりここにも、ドロッとまとわりつくような嫌な空気が漂っています。けれど先ほどよりももっと、どこか殺伐としたような──
『いたぞ!』
響いた叫びに振り返る。
後ろから、誰かが走ってくる音がします。
ガサッと草木をかき分けて現れたのは、おそらく親子だった。長い髪をなびかせた女性が左右それぞれに幼い子供の手を引いている。
彼女たちは私とユリウスなど見えていない様子で目の前を駆け抜けて行った。
けれど、なによりも私たちの目を引いたのは女性が連れていた子供たちでした。
それぞれ白とこげ茶の髪をした顔立ちには、嫌と言うほど見覚えがある。
「ルーディー、ヴェンデル……」
私の頭に浮かんだものと、同じ名前をユリウスが口にした。
「そうか……割り込みがあったせいで、発動はしたものの失敗扱いとなったのか。そのぶん本人にも幾ばくか跳ね返っている」
なにやら私を見てユリウスが納得しています。
とはいえ、こちらはなに一つわかりませんが。……割り込みって、私のことかな?
「ここは、ルーディーの術の中だ」
「……え!?」
私の驚きは、響いた怒声に掻き消される。
『卑怯な魔族と手を組みやがって!』
『裏切者! 出ていけ!』
『そんな子供さっさと連れていけ!』
逃げるように走っていく親子の背中へ、憎しみのこもった言葉が次から次に投げつけられた。
しまいには、信じられないことにいくつもの石が飛んでいく。明らかに幼い子供を狙っていたそれに息を呑んだとき──庇った母親の頭に当たった。泣き叫ぶように母を呼ぶ子の声がする。
「ひどい……」
見るに堪えない光景でした。
庇い合う親子の姿に目を覆いたくなる。
でも親子を追い立てる人たちの言葉は、さっきの幼いユリウスが聞かされていたものとは正反対のことを言っていて、なにか違和感を覚えた。
卑怯な人間たちと魔族は言っていたけれど、人間こそ卑怯な魔族とお互いに憎んでいる。
抱いた矛盾を考える暇もなく、周囲の音は雑音となってまた次々と場面は変わっていった。
──その場面全てが、胸糞悪くなるようなものばかりだったけれど。
彼らの母親はあばら屋としか言えないようなところで、衰弱したまま息を引き取った。
父親を頼って魔族の地を目指すものの、行く先々で人間からは疎まれまともな扱いは受けなかった。
散々罵られて追われて傷つけられて、ようやく辿り着いたのに──彼らの父親はとっくに死んでいたのだ。
それらの映像が、まるで映画でも見ているかのように次々と目の前を流れていく。そのたびに不穏さを増し、チリチリと肌を焼くような空気に息が苦しい。彼らの抱く黒い感情がブクブクと歪に膨らんでいく様が嫌というほど伝わってきた。
そして、ある一場面で映像が止まりました。
わずかに開いた扉の向こう。漏れてくる灯りを覗く子供たちの視線の先では、幾つもの人影が、嘲笑うような声で密談をしていた。
──人間と子供を作るなんて愚かにもほどがある。
──最後まであの双子を案じていたのは見物だったな。
──あれの魔力は継いでいるのだろう?
──でなければ拾いなどするものか。
その瞬間、心を焼き尽くすような憎しみで空間が満たされたのが、わかった。
視界が真っ赤に染まる。目の前の景色がすべて炎に包まれる。この炎がなにかなんてわかりきっていた。彼──ルーディーの怒りと憎しみそのものがより一層勢いを増して燃え上がっている。
濁流のように、呪詛のようなドロドロとした感情が私にも流れ込んできた。
魔族のせいで母が死んだ。
魔族に父は殺された。
全ては魔族のせいだ。こいつらさえいなければ。こいつらが。魔族が、魔族が──なのに、自分にもこいつらと同じ血が流れていることが憎くて仕方がない。
こんな血など、体中から一滴残らず絞り出してしまいたい。
そんな激しい憎しみだけが視界を埋めていく。
頭が焼き切れるほどの熱を持った炎の中、二人の子供が手を繋いで立っていた。お互い以外は全て燃やし尽くしてもかまわないとばかりに。
彼らの心は、ずっとこうやって、マグマが煮えたぎるような憎悪で燃え続けていたのだろうか。
すると、ザアッと再び目の前の景色が流れて変わる。
そこは豪華絢爛なお城の一部屋といった場所。
見覚えがある場所だった。
部屋の中央にはやはり玉座。座っているのはいつもの髪型で目元が窺えないユリウス。そしてその向かいには──今までの燃え滾るような剥き出しの怒りと憎しみが嘘のように、感情が削げ落ちた顔で立ち並ぶ、双子の少年。
「…………あ」
小さくこぼれた呟きに隣を見れば、ユリウスが真っ青な顔でその光景を見つめていた。
『彼らは非常に珍しい混血でして』
『しかしそれ故に人間からはひどい扱いを受けていたようです』
『なんと嘆かわしい』
『我らの友好の証ともいえる存在だというのに』
『やはり人間は──』
ゆらゆらと揺れる人影たちが、口々にそんなことを言う。
そして、それを聞きながら無表情で玉座の魔王を見据える双子。
『……そうか』
頷いた魔王は立ち上がって双子に歩み寄った。
「……やめろ。よせ……っ」
「ユリウス?」
隣で尋常ではなく唇を震わせるユリウスが、何度も首を振ってやめろと呟く。
「言うな……」
『それは辛かっただろう。だが安心するといい』
「それ以上言うな──っ!」
『お前たちにも、俺と同じく高貴なる魔族の血が流れているのだからな。その血を誇るがいい』
あの生意気な笑みを浮かべた口が、そんな言葉を当然のように紡いだ。
その瞬間少年であるルーディーの、感情の無かった瞳に──激しい憎悪の炎が燃える。
ブツン。と、テレビの電源が切れるように、突然全ての映像が途切れた。
再びただただ白い空間に、私とユリウスは放り出されていた。
這う様な恰好で四肢を着いた少年は、激しく肩を上下させる。
「俺は、俺は……っ」
ユリウスの過去を思えば──かけた言葉はある意味当然で、彼にとっては最高の励ましだったのだろうと、わかる。
けれど双子の過去を思えば──その言葉は到底許すことのできない、憎しみにしかならないものだっただろう。
それこそ、
「全ての原因は、俺だったのか……」
魔王と勇者が対立するような、大きな争乱を起こしてしまうほどの。知ってしまった事実に少年は胸を掻いて言葉を吐く。
すると、そのユリウスの足元が透け始めていることに気が付いた。
それだけじゃない。透けたところからサラサラと砂のように崩れて消えている。
──あいつは相手の精神を撹乱させる。
確かルーディーの魔術のことをそう言っていた。
「ユリウス、しっかりして!」
慌ててうずくまる背中を揺すった。このままではユリウスが消えてしまう。
そのとき、突然ふと背後に気配を感じた。
「久しぶりに見ても、ひでぇよな」
振り返ると、こげ茶色の髪をした少年が無表情で立っていた。
かけられた声に、ユリウスが顔を上げる。
「ルーディー、違う、俺はそんなつもりじゃ……っ」
「ああ、なんかそうみたいだな。やっぱり魔族はみんなクソだわ」
無表情から一変、オレンジの瞳を怒りに染めてルーディーが口元に笑みを浮かべる。
その言動から彼もユリウスの過去を見たのだと察しました。そして自分自身の過去を追体験したのだとも。本人にも魔術が幾ばくか跳ね返っていると言っていたのは、こういうことなのでしょう。
けれど、
「だからって、もうそんなの関係ねえよ。魔族も人間も、全部滅びればいい。俺はあいつさえいればそれでいい」
過去を知ったところで、もはや彼にとってはどうでもいいことなんだ。彼らにとって、自分の片割れ以外は全て敵。
「だからお前は魔力だけ置いてけ」
「ルーディー!」
サラサラと崩れ始めているユリウスの足を一瞥して、少年は姿を消した。とたんに、白い空間の上部に亀裂が走る。そこから空間は崩れ始めて──白の向こうには、なんの光もない暗闇が見えた。とにかく向こう側はまずい、という空気だけはビンビンに感じます。
「ユリウス、早く戻ろう! どうしたらいい!?」
呼びかけても、揺すっても、愕然としたままユリウスは動かない。
「俺は、守ろうとしたんだ……。なのに、俺のしたことは、最初から全て間違っていたのか……?」
荒い息を繰り返してユリウスはどこかを見ている。
己の血に誇りを持ち、魔王として同族を護るよう言い聞かせられ続けていた彼にとって、その全てを崩壊させた原因が自分自身だったなんて──残酷すぎる事実だ。それは、期待される魔王であろうとしたユリウスの存在そのものを、否定するも等しいから。
だとしても、だ。
「一度言ってしまったことは、してしまったことは……無かったことにはできないよ」
私の言葉に、ユリウスの肩が怯えたように跳ねる。
辛いけど、でもこれが事実だ。私だって誰だって、戻らない言葉や行動に後悔したことはある。
「だからこそ、次こそは正しく守ってあげたらいいじゃない」
ポカンとしたように口を開けて、少年が見上げてきた。
「あの二人を守ってあげたいと思ってるんだよね?」
これまでの魔王としての自分に、疑問を持った今でも。
私の問いに、目の前の頭は迷うことなく頷いた。
「俺は、言われるがままの酷い王だった……でも、あの二人を守りたいと思ったのは本当だ……っ!」
経緯はどうであれ、魔族を守ろうとするユリウスの気持ちが本物なのは私も知っています。
だってどんなに憎まれても悪態を吐かれても、ギルベルトにルーディーを傷つけさせまいとしていたのを見た。あんなに激しい攻防を繰り広げていた騎士と魔族の間に、躊躇なく飛び込んで行ったのを私は見たのだから。
やり方を、言葉を間違えてしまったのならば、
「次こそは間違えたくないんでしょ? なら、そうしたらいいじゃない」
もう一度やり直せばいいじゃない。
間違えたくないと言った彼の言葉を引用すれば、黒髪の頭はゆっくりと、私の言葉を噛み締めるようにして頷いた。
「だったら、魔力だけあげちゃうわけにはいかないね」
「……その通りだな」
上手く伝えられたかはわからないけど、ユリウスがゆるりと立ち上がる。透けていた足元は少しずつだけれど形を取り戻していた。
重く沈んでいた空気を吐き出すように少年が大きく息をする。
「この俺の秘められし力で、深淵に足を踏み入れんとする二人の手を掴んでやろう」
「お、その意気だよユリウス!」
いつもの感じ出てきたんじゃないかな!?
お馴染みの謎台詞が出たところで拍手をしたら、その手をギュッと握られた。
「できるなら……」
「ん? なに?」
なにやら口ごもるユリウスに耳を寄せる。
「できるならば、それを側で見ていてほしい、アヤノ」
「──っ、え、名前……!?」
初めて呼ばれた名前に目を見開いたと同時、眩い光が弾けて視界を覆ったかと思うとパァンッとガラスが破裂したような音が響いた。
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