心からの言葉だった1

 ハッと気が付いたらそこは真っ白い空間でした。

 慌てて顔を上げると、膝を着く私の目の前には倒れている少年がいた。


「ユリウス!」


 名前を呼んでも動かない姿に、慌てて肩を揺する。触れた肩がやけに細い気がしました。


「大丈夫? しっかりして……──っ!?」


 うつ伏せの身体をひっくり返して言葉を失う。

 ──姿が幼くなっている。


 中学生くらいかと思われていた姿が、もっと、多分、小学生低学年くらいに。

 けれど驚いたのはそのせいだけではありません。おそらくこれは過去の姿なのでしょうか。そのぶん、その……顔を覆っていた髪の毛も短くなっていて。


 私は、初めてユリウスの素顔を見た。


 予想通りとんでもなく整った顔の美少年がそこにはいました。瞼を閉じていても、長い睫毛と通った鼻筋がその造形の良さを物語っている。

 でも、それらよりも目を引くものがその顔には浮かんでいたのです。


 ユリウスの目の周囲には、両目とも眼球を取り囲むような位置に見たことのない文字と思われる羅列が、びっしりと細かく何重にも刻まれていました。

 それはまさに呪文のようです。


 きっとこれが、ユリウスの魔力を封じているものなのだろうと直感的に思った。

 ルーディーがユリウスの素顔を前に苛立ったのも、きっとこれを見たからでしょう。と思ったところで、閉じていた瞼が震える。現れたのは髪と同じく真っ黒な瞳でした。


「……ここは?」

「わかんな──」


 起き上がったユリウスが周囲を見回したとき、景色が変わった。

 ただの真っ白い空間だった場所は、白い絵の具が流れ落ちていくようにドロドロと様相を変えていく。白の向こうは教会のような荘厳とした建物の中でした。

 周囲はおびただしい数の蝋燭の灯りに囲まれて、けれど他に灯りのない中見上げた高い天井はただただ暗闇が広がっていた。その先は見えない。

 ゆらゆらと揺れる蝋燭の灯りに合わせて、景色も揺れる。頭がクラクラしてくる。


 目の前には棺が二つ並んでいた。


 異様な光景に驚いたけれど、私以上に、ユリウスの様子がおかしい。

 唇を震わせ短い呼吸を繰り返しながら、フラフラとした足取りで棺に向かう。


「ここ、知ってる場所なの?」

「……父と母だ」


 それは言わずもがな、この棺に入っている人が、だろう。


「それは──」


 一体どういうことだと訝しむと同時に、ユリウスの周りに人影が現れた。

 文字通り、床から人の形をした黒い影がズルリ、ズルリと這い出てきてユリウスを取り囲み、何事かをささやく。

 数が増えるたびに人々のざわめきは大きくなり、洪水のように渦巻いた。


 ──なんてひどいことを。

 ──人間は最初からこのつもりだったのだ。

 ──我々はだまされた。

 ──到底許せるものではない。

 ──よりによって我らの魔王を。

 ──裏切られた。ひどい。許せない。無念。


 ──そう思いますよね?


 一人残されただろう子供に向かって、あんまりな言葉の数々だった。

 自分の親の死がいかに報われないものだったかを、なぜこんなに懇々と言い聞かせられなければいけないのか。なぜ誰もこの少年を気遣ってあげないのか。

 細かな事情は知らない。でも幼い子に向けていい言葉でないことはわかる。握った拳に、爪が食い込んだ。

 

 声高々と叫ばれる憎しみと怨嗟の声に呑まれたように、ユリウスの身体が沈んでいった。まるで沼に沈んでいくように、傾いた身体は床に落ちた彼自身の黒い影の中へ消えていく。


「ユリウスっ!」


 声は水の中で叫んだように、反響することなく私自身にまとわりついた。

 駆けようと踏み出した足が、床を突き抜けてユリウスと同じく自分の影に沈んでいく。

 え? と思ったときには周囲の風景がザァッとノイズのように流れていきました。


 ドスン。と落ちた先は、また違う景色。


 それこそファンタジーなマンガやアニメで出てきそうな、豪華絢爛なお城の一部屋といった場所。

 けれど、やはりどこか暗澹とした陰鬱な空気が漂っている。目に映る景色の色彩には全く鮮やかさがなく、息苦しささえ感じる。吸うたびにのどへ張り付いてくるような空気が重い。


 その部屋の中央で、ユリウスが玉座とも言うべき存在感ある椅子に腰かけていました。

 頭を抱えて俯く幼い少年をまたも人影が囲んでいる。


 ──先代はとても素晴らしい方でしたよ。

 ──常に我らの事を慮り守ってくださる方でしたよ。

 ──それなのに人間たちが……っ。

 ──だが御子息がいれば安心ですな。

 ──我ら魔族をお守りくださることでしょうね。

 ──あの先代の御子息ですよ。心配いらないでしょう。


 ──そうですよね?


 渦巻く言葉の数々に吐き気を覚えそうだった。

 周囲が当然と疑わずにかけてくる期待が、重く圧し掛かってくることを私は知っている。それらが容易く心を潰してくることを知っている。


『……ああ、当然だろう』


 顔を上げて影に答えた少年の口元は、不遜にも思えるほど口角を上げていたけれど──黒い瞳は虚ろだった。

 ユリウスは、今までずっと、こんな目をしていたのだろうか。

 すでにその瞳にはなにも映っていないようでした。


 駆け寄ろうとしたのに、またも景色がザァッと流れて変わる。 

 現れたのは同じ部屋だった。

 けれど暗澹たる景色の中、玉座だけは色彩を取り戻しひと際輝いていた。そこに腰掛けるユリウスの姿はいつものもっさり頭の少年に成長していて、見慣れた生意気そうな態度で足を組んでいる。

 口元には嘲笑するようなあの笑みを浮かべて。


 けれど、反してこの場の空気はさらにドロリと重さを増していました。

 息苦しい。上手く呼吸ができない。息を吸えば吸うほど肺が重くなっていくかのようです。


 ──王がいれば安心です。

『もう人間に魔族を害させない』


 ──我らの中でもあなた様の高貴な血は別格ですな。

『当然だ。俺には父と母の血が流れている』


 ──騙し打つような下賤な人間などとは違いますね。

『魔族を守るのが、当然の義務だから』


 ──卑劣な人間が我ら魔族を誑かしたという、酷い話もあるようです。

『やはりあいつらは信用できないな』


 口を開くほどに、空気は鉛のように重さを増した。少年の心情を表しているかのように。

 あの生意気で面倒くさい態度の陰でこんな息苦しさを抱えていたことを知れば、いてもたってもいられませんでした。

 こんなの洗脳だ。全部押し付けて都合のいいように言い聞かせて。

 ようやく、今まで引っかかっていたいくつもの疑問が解けた気がした。


 濁った泥水の中を進むような感覚の中、ユリウスに向かって走る。

 するとユリウスの足元の影から、ニュッと、黒い腕が何本も生えてきてはその足に絡みついた。まるで影の中へ招き入れようとするかのように瞬く間に数が増えていく。ここで呑まれてはいけない。と、直感的に強く思った。


「うるっさい!」


 叫びながら腕を振り回してユリウスを取り囲む人影を払い、腕を掴んで引っ張る。ブチブチと音をさせながら、絡みつく腕から足を引き剥がした。


 こんな玉座に座ってはいけない。

 ユリウスを連れて来た沙代の気持ちがわかります。私だってそうする。

 引きずり降ろされたユリウスは、呆然とした顔で、ようやく私を見た。


「ユリウスは、すごく……頑張ったんだね」


 そんな言葉しか出てこなかった。でも、それが私の伝えたい全てだった。

 周囲の期待に応えられなくても、家族の愛情に恵まれた私は諦めるという手段を取れた。けれどユリウスは違う。

 もしも家族に恵まれていなかったら、なんて、考えただけでも心が引き千切れてしまいそうだというのに、実際その渦中にいたんだ。しかも私よりもずっと重いものを背負って。


 逃げ場のない期待と、魔族の命を全てその細い肩に積み上げられて、求められる魔王様になるしかなかったのだ。たった一人で。それが当然だと思わされて。言われるがまま人間を憎んで。

 勇者ご一行ではないけれど、確かにこれは、魔族なんてド腐れ野郎じゃないか。


「えらかったよ、頑張ったよ。ユリウスすごいよ」


 少年の白い手を握ったら、私の目からはポロっと涙がこぼれた。


「俺は……頑張った、のか……?」


 呆然としたように呟く声に、何度も大きく頷いた。

 全て当然のことなんかじゃない。ユリウスが必死で努力したからだ。と少しでも伝わってほしかった。

 ようやく、虚ろだった瞳にわずかな光が戻ってきたような気がしました。


「そうか……」


 黒い瞳から、涙が一粒こぼれ落ちる。


「最初、勇者たちの言っていることは、訳のわからないことばかりだった……何を言っているのか理解ができなかったが、あいつらは両親の仇である憎むべき人間で、俺の守るべき魔族を傷つける敵だったから……理解する必要なんてないと思った」 


 ポツポツと、ようやく彼は語り出してくれました。


「だから敗れた俺は、出来うる限りの残虐を尽くされ無残に殺されるのだろうと思った。のに……そうはならなかった」


 うん。それどころか、異世界なんてところに連れてこられちゃいましたしね。


「魔力を封じられて、魔王という玉座を降ろされて、異世界に来てみれば……俺が見ていたものはなんだったのだろうと思った」


 ──漆間のおじいちゃんの畑から、心を奪われたようにして田舎の田園風景を見下ろしていた背中が、思い起こされました。

 珍しくもないのどかな山あいを、初めて目にしたかのように立ち尽くしていたユリウス。


「憎いはずの人間が、下賤で卑劣なはずの人間が、そうではなくて。今なら勇者たちの言っていたことが、わかる──っ」


 そう言うなり、ユリウスの瞳からは次々と涙が溢れました。


 だから、沙代たちはユリウスを連れて来たのだと思った。

 彼らはユリウスを魔王扱いすることなく一人の少年として接していたし、それを見て私たちもいつも通り虫取りをしてアイスを食べて、みんなでご飯を食べた。

 全てから切り離して、彼をただの少年にしたんだ。


「早く、戻らなければ」


 顔を上げたユリウスが言った。

 けれど、その言葉にハッとする。


「そういえば、ここって……?」


 今更ながら、ですけど。

 一体ここはなんなのだろう。


「ここは──」


 ユリウスが口を開いた瞬間──またノイズが流れた。今までよりも激しく、耳障りな雑音を伴って空間が歪む。

 周囲の景色は崩れ落ちて消え去ると、再び形を変えた。

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