もうバンド結成したら1

 とんだ思い違いに気付いてからは、呑気に考えている余裕なんてなかった。


 足音荒く廊下を走り抜けて、つんのめりながらもスニーカーに足を突っ込む。

 ドタバタやかましく物音を立てて飛び出して行く私に、何事かと茶の間から覗き見る母の視線を感じるけれど、ごめんなさい答えている暇はありません。

 この間も心臓はバクバクと激しく脈打つ。痛いくらいに。


 玄関を出たところで門扉もんぴから駆け込んでくる人影と鉢合わせた。日の沈んだ中でも、彼の金髪は目に留まる。


「ギルベルト!」

「アヤノ、すまない少し遅くなっ──」

「は、早くっ! もしかしてユリウスはもう一人の方に、あ、それに千鳥が……っ、とにかく早く行かないと!」

「……んん!? どうしたんだ、とにかく落ち着いて」


 伝えたいことが多すぎて、説明すらもどかしくて言葉が詰まる。

 そんな私の肩に手を置くと、ギルベルトは「どうどう」だなんて言いながら宥めにかかってきた。……私は馬か! でも悔しいかな落ち着く!

 胸に手を当てて深呼吸をひとつした。


「ごめん大丈夫。ひとまず、はいこれ」


 焦る心を落ち着けてから、布でグルグル巻きにされていた聖剣を手渡すと「おお!」なんて感嘆の声をいただきました。


「それと、多分だけど……こっちに転移してきたっていう魔族は、さっきの人だけじゃない。もう一人いると思う」

「あの男の他にもか?」


 息を整えて改めて告げると、ギルベルトの瞳が大きく見開かれました。

 彼の呟きに頷いてから、先ほど千鳥の部屋で見た『カフェ&モカ』について簡単に説明する。眉根を寄せた難しい顔をしながらも、ギルベルトは「なるほど」と頷いた。


「カフェモカという名の元になったキャラクターは二人組だったと。となればチドリたちが世話をしていた猫も二匹であり、その猫が両方とも魔族である可能性が高いということだな」

「そう、そうなの!」


 さっき私が言いたかったこともこれです。上手いことまとめてくれてありがとうございます。けど心配はそれだけではないんですよ!


「実は、千鳥が由真ちゃんから連絡を受けて出かけて行ったらしいの」

「一緒に猫の世話をしていた、あの子か?」

「うん。ちょっと今電話してみるから、少しだけ待ってて」


 告げながらスマホを取り出します。このじれったさを抑えたくて、たまらずその場で足踏みをしながら、昼間かかってきた千鳥の番号をリダイアル。このタイミングで出かけていったということにどうしようもなく嫌な予感がする。

 早く早くと、私の思い過ごしであることを願いながら、呼び出し音が鳴るまでのあの微妙な間がいつも以上に長く感じられてもどかしい。


 そんな中、なんとなしに視線を彷徨わせれば、何かに気付いたようなギルベルトが不意に中庭の方へ歩いていくのが見えました。

 ん? どうしたのかな。なんて思っていると、そこには母が取り込み忘れただろう洗濯物がいくつか物干し竿に干しっぱなしです。『ああ、お母さんってば道着と袴干したまま忘れたんだな』なんてぼんやり考えていたら、耳に当てたスマホから呼び出し音が聞こえて心臓が跳ねた。


「千鳥早く出てー……っ」


 三コールののち、私がふと再度中庭に視線を向けたのと、コール音が途切れたのは同時でした。


『もしもしあや姉? どう──』

「ちょっとギルベルトなんで脱いでんのおぉーっ!?」


 待ち望んでいた千鳥の声が、今このときばかりは頭から吹っ飛んだ。だってギルベルトが中庭で半裸になっている! 意味がわからない!


『え? え?』

「あ、気にしないでくれ。袴に着替えるだけだから」

「気にするから! やめて、パンツ一丁はちょっと待って!」

『ねぇどうしたのー!?』

「やめろと言っている!」


 イケメンの生着替えはさすがに私ごときには刺激が強いです! 自分でもびっくりするくらい視線が泳ぐ。

 我が家の中庭に現れた露出狂に気を取られていたら、振り回した手のスマホから『あやねえぇぇー』と呼びかける千鳥の声が漏れ聞こえた。

 どうしよう、あっちにもこっちにも気を取られてパニックですよ! あの残念なイケメン何してるの!? 私の顔が手元のスマホと露出狂との間を二度三度と往復する。

 ええい、とにかく今は千鳥だ!

 自分の頬に軽く気合のビンタを食らわせてから、スマホを耳にくっ付けた。


「今どこにいるの! 由真ちゃんと一緒なの?」

『うん。あのね、ゆまちゃんがカフェモカみたいな猫を見かけたって言うから……』

「な──」


 こんな時間までごめんなさい。と、夕食の時間を過ぎても外にいることを怒られると思ったか、声がどうにも尻すぼみ。

 けれどそれよりも。

 私は案の定的中してしまった嫌な予感に、冷や汗が噴き出す。

 ええと? つまり、神社から消えたカフェモカに似た猫を見かけた由真ちゃんが千鳥に連絡をして、それで二人で探しに出たってことですよね。


「あのさ、千鳥……」


 そして、一番大事なことを確認しなければならない。


「そのカフェモカなんだけど──猫は、二匹なの?」

『え? そうだよ?』


 あっさりと告げられた答えに、なんともいえない脱力感。当たり前でしょ? とでも言いたげなきょとんとした声が耳に響く。


「とにかく千鳥は家に戻りなさい。今どこ?」

『……裏山のあたり』

「えっ!?」


 少しムスッとした千鳥の声とは反対に、私の声は上擦った。

 だって、裏山とは神社裏にそびえる山の通称だ。現在その神社では魔法合戦真っ最中だというのに。


「お姉ちゃんたち、神社にいたよ? 千鳥、神社の横通った?」

『ううん。畑の方から行った』


 ああ、漆間のおじいちゃんの畑か。

 つまり神社横の林道を通らずに、畑道からぐるっと回って探してるということですね。すると電話の向こうから、花火にも似たあのドォンという音がうっすらと聞こえて、手汗が滲む。


「わかった。なら、急いで今来た道を戻って帰りな。今日はもう暗いし危な──」

『大丈夫、あとちょっとだけだから! ゆまちゃんがモカが走って行くの見たんだもん!』

「ちょっ、モカって──千鳥っ!」


 切られた!

 モカってまさに今浮上している第二の魔族さんですよね!?

 慌ててかけ直すものの、もはやスマホは『おかけになった電話は……』なんて機械音声を馬鹿丁寧に繰り返すだけです。

 もおぉっ! 千鳥も結局はこうですよ。見かけたって言っていたはずが最後は『見た』なんて意地になっちゃってるよ!

 そのモカはただのモカじゃないんだよおぉっ!


「すまない。ついいつもの調子で脱いでしまった」


 私が頭を掻きむしり地団駄を踏んでいると、すっかり袴姿にチェンジした露出狂──じゃない、いやそうなんだけどとにかくギルベルトがはにかむような爽やかな顔で登場した。さっきまでパンツ一丁になりかけていたくせに!


「女性の前で着替えるとは迂闊だった。サヨが平気そうにしているからつい……」

「ああ、沙代はそういうの気にする質じゃないよね」


 それどころか練習のたび兄と一緒に着替えてもいたよね。曰く見える見えないを気にしていたら時間が勿体ないかららしい。

 実に沙代らしいと思います。


「ていうか、どうしてわざわざ着替えたの?」

「こちらの方が動きやすいからな。この袴というものは実にいいな! 素晴らしい!」


 着替えて満足したのか、ギルベルトのテンションが上がっている。心なしか顔つきも引き締まってやる気に満ちている。

 違う文化を持つ人に日本ならではのものを褒めてもらえると、ちょっと嬉しいような誇らしい気持ちになりますよね。……目の前での生着替えは刺激が強すぎるので勘弁してほしいけれど。 


「それで、チドリはどうだったんだ?」

「あっ、そう! それが──」


 魔族と思われるモカを探すため、由真ちゃんと一緒に行動していること。どうやら由真ちゃんが裏山の方へ駆けて行くモカを見たらしいこと。そしてなにより、意地になった千鳥と連絡がつかなくなってしまったことを伝えると、ギルベルトは「わかった」と頷いた。


「では、私たちはチドリを追おう」


 即答した彼の言葉は嬉しいけれど、さすがに焦る。


「え、神社の方は? 沙代たちは大丈夫なの?」


 確かに千鳥と由真ちゃんは心配だけど、聖剣を持って神社に戻らないとあちらもまずいのではないだろうか。マルゴさんなんてあの怪しすぎる即効性を持った薬を飲み足しながら頑張っている状態だというのに。

 けれどそんな私の心配を打ち消すように、ギルベルトはわずかに口角を上げてみせる。


「あちらは心配いらない」

「心……配いらないって、どうして?」


 訝しみながらも聞けば、向こうの様子を思い返してか表情を一転してうっとりと頬を染めた。


「すでに手は打ったからな。しかしサヨは本当に強く凛々しい女性だと思わないか。毎回惚れ惚れしてしまうというのにそれでいて──ふごぉっ!」

「あああ、わかった、わかったから! とにかく大丈夫なんだよね!?」


 いきなり惚気始めた騎士の口を両手で塞ぐ。

 勢いあまってビンタしたみたいに良い音が聞こえたけれど気にしない。だってこうしないと今のは絶対に長くなる。確信が持てる。それどころじゃないってのに。

 マルゴさんが「ひとつ考えがある」と言っていたので、向こうは大丈夫なのかな。


「なら早く千鳥たちを見つけないと」

「まふぁせろ」


 手の下で、ギルベルトがもごもご言いながら頷きました。すると手の平から伝わる感触がふと消える。視線を落としてみれば、こちらに背を向けてしゃがんでいる袴姿の背中があった。


「アヤノはこれを頼む」

「……え、え?」


 腰を落としたまま、手にした聖剣を後ろに突き出してくるギルベルト。思わず受け取ってしまったけれど、彼はその状態でなおも両手を後ろに伸ばしてきます。


「さあ!」


 さあって……つまり乗れと!? おぶされと!?

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