知りたくないその嗜好4

 口を噤んでしまったユリウスに構わず、私は少年の左側に腰を下ろして、同じくぶらんと足を投げ出す。


「はい、どうぞ」


 湯呑を差し出したけれど、ユリウスが動く気配はありませんでした。というより、なにか戸惑っているようにも見えます。

 仕方なく湯呑は縁側に置いて、私は自分の分をずずっとすする。


 その間、何やら感じる視線。隣を窺うと、ユリウスの顔が私の左腕に向けられていました。そこには沙代とギルベルトが巻いてくれた包帯が、Tシャツの裾から覗いている。


「綺麗だよね。あの二人、手合わせで怪我は日常茶飯事だからって巻いてくれたんだけど、本当に慣れたもんでさ。普段どんだけ本気でやり合ってんだってビックリしちゃったよ」


 手加減なんてされた日には沙代がぶち切れることが容易く想像つくので、そりゃあ壮絶なんでしょうけど。彼らの言動から窺える激しい日常をユリウスに嘆いたものの、残念ながら同意を得られるどころかなんの返事も返ってきませんでした。

 なんだか心ここにあらず。

 さて、どうしよう。なんて思ったところで、蚊の鳴くような声が聞こえた。


「……なぜだ」

「…………なにが?」


 聞こえはしたものの、その言葉が持つ意味はさっぱりわかりませんでしたが。

 ん……? こんな会話、さっき学校でもしたよね?

 一体なにに対しての「なぜだ」なのかと首を捻っていたら、ユリウスの口からぽつりと言葉がこぼれた。


「俺は守られるのではなく、守らなくてはいけない」


 いまだに感じる包帯への視線が、何を指しているのかを物語っている。


「お前は、守れなかった俺を責めて当然なんだ」


 ──なのに。と、少年は唇をギリッと噛む。

 そう言って俯いてしまったユリウス自身が、誰よりも自分自身を責めていた。


「確かに今回は、考えなしだったなあ、と反省してるけど──どうなってたとしても、ユリウスに対して『なんで守ってくれなかったの?』とはならないよ」


 素直な心情を伝えたら、驚愕したように顔を上げる。

 けれど、こちらこそそんな態度に驚愕です。


「でも俺は、王なのに……っ、守るどころかこんな……っ」


 あまりに頑なで、極端に固い意思を吐露されて、私も戸惑う。

 ──不意に、握り潰されたあのアイスクリームが浮かんだ。


 あのときもユリウスは言っていた。魔王様として一族を、魔族を守る責任があるんだと。なのに、その強すぎる意思に反して、彼はそれ以外の感性がとても乏しい。


 それだけを植え付けられているみたいに。

 言いようのない不安が心の片隅で蠢いた。


「あのね、守ろうとしてくれるのはとても嬉しい。でも……ユリウスばかりが守ってくれるの嫌だよ。だって、私だってユリウスに怪我をしてほしくないもの」


 当然の思いを伝えたら、目の前の顔がぽかんと口を開いたまま固まりました。彼にとって私の言葉はあまりに想定外らしい。

 だからこそ、こんな当たり前の言葉で絶句するユリウスの背景に怒りが湧く。


「俺は、情けなくは、ない……?」

「ない」


 絶対に。

 私と公平の前に立って、あのゴーレムから逃がそうとしてくれた姿を知っているもの。ユリウスはちゃんと守ってくれた。


「今度なにかあったときは、お願いだから一人で全部抱えないで」


 膝の上で硬く握りしめられていた拳に、そっと手を重ねる。ビクッと少年の身体が震えた。


「私、ユリウスのこと好きだよ。そういう相手に怪我してほしくないって思うのは当然じゃない?」


 ギルベルトの地獄の特訓から逃げ回ったり、一緒にもりもりお菓子を食べたり、バスを怖がってこっそり服を握ってくるこの魔王様との日常を、今では楽しいと思えてる。

 改めて言うのがちょっと恥ずかしくて、へへっと笑ったら……目の前のユリウスが首まで真っ赤になりました。


「そうか……」


 少しだけ硬さの取れた声色に、ほっと胸をなで下ろす。

 

「はい。どうぞ」


 いまだ手つかずだった湯呑を渡したら、今度は受け取ってもらえました。

 お湯の温度か、蒸らす時間の違いか、はたまた両方か。私が入れても決して母のようにはいかないんですよね。祖母ですらお茶は母にお願いするくらいだもの。 

 その味は、世界の違うユリウスやギルベルトですら認めています。


 並んでずずっとお茶をすすったところで、ふと、あれ? と一回首を傾げる。


「ユリウスって魔族の王様なんだよね?」

「なにをいまさら」

「いや、それなら別に私を守る義理はないんじゃ……って」


 魔族を守るという頑なな意思とともに、人間に対して明らかな怒りを抱いていたユリウスです。私はその敵ともいえる人間ではないのでしょう、か? 妹は勇者だし?

 ふと思って口にしたら、ユリウス自身もこの矛盾に思い至ったらしい。


「……あ」


 顔どころか、全身が真っ赤になった。


「そう、だな……?」


 なんというか、私まで顔が熱くなるのがわかる。

 いつの間にかユリウスの中で、私は守るべき対象に入っていらしい。と二人で同時に気が付いたのだから。

 とどのつまり、嬉しいけどなんか恥ずかしい。

 二人揃って残ったお茶を一気に呷った。


「お前は、やっぱり変な奴だ……」


 そして、と彼は続ける。


「こんなところで、こんなことをしている場合ではないのに……両親を慕っていた者たちのためにも、俺は彼らに応えなければならないのに……それなのに、俺も、変だ……」


 背中を丸めて俯いたユリウスは、とても小さく見えました。

 ──父と母亡き、と言っていたのだから彼のご両親はすでに、なのだろう。


 そんな中で、期待を一身に背負い周囲が望む魔王になろうとしていたのだと思ったら、なんだか胸が痛い。

 期待に応えられない辛さは、知っているから。


「……お前は道場に来ないのか? って、聞いたよね」


 学校で問われた台詞を口にしたら、訝しそうにユリウスが顔を上げた。


「私のお兄ちゃん、すごく強いの。とても才能がある人で、だけど努力もする人で尊敬してる。だから私も、お兄ちゃんみたいになりたくて昔は必死に道場で練習したんだよ? でも全然、お兄ちゃんみたいにはできなかった……」


 同じように練習をすれば、私も兄と同じように出来ると疑っていなかった。なのにどうしても上手くいかないことがもどかしかった。


「お兄ちゃんを見て妹の私にも当然期待していた人たちの顔が、段々とがっかりしていくのがすごく嫌だったし、そんな顔をさせてしまう自分がもっと嫌」


 私の突然の語りを、ユリウスは口を挟まず聞いている。 


「なのに、私より遅く始めた沙代はあっという間にお兄ちゃんみたいになったんだ。……しかも異世界で勇者だって」


 さすがに勇者とは、もはや笑うしかないけど。

 がっかりしていた周囲の顔は、沙代を見てほっとしたように変わる。中学でも、高校でも。ずっとそうだった。

 それをまざまざと見せつけられるのはなかなか辛い。


「かけてくれた期待を裏切るって、怖いよね。だからもう、道場には怖くて行けない」


 まあ、王様と比べるなんておこがましいほど規模は違うでしょうけど。


「……悪かった」


 呟かれた言葉に、思わず視線を向ける。

 そこには空いた湯呑を見つめる黒髪があった。


 けれど、私は落ち込んでほしいわけではないのです。非難したいわけではなくて──

 慌てて手を振って見せる。


「そうじゃないの。あのね、私は魔王様じゃなくてもユリウスが好きって言ったんだって伝えたくて」

「…………え」


 確かに辛かったけれど、才能が無くても家族からの愛情は十分に感じているから、私は折れずにここまでこれたのだと思います。

 だから私も、魔王様とか関係なくユリウス自身に好感を持っているのだと知ってほしかった。

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