知りたくないその嗜好3

 神社前で由真ちゃんと別れて、なんとなく沈んだ空気のまま田んぼ道を歩き、ようやく我が家へと帰ってきました。

 時計を見ればすでに四時半をまわっています。


「千鳥は夕方から道場いくんでしょ?」


 父の言葉を思い出して問えば、ハッとした千鳥は「五時からなの!」と叫び玄関で靴を脱ぎ捨て大慌てで自室に駆け込んでいきました。見事な早業にむしろ関心してしまいますね。

 ポポーンと、玄関に飛び散った千鳥のスニーカーを揃えていると「こら千鳥! 靴!」なんて雷を落とす沙代が、声を荒げて同じく靴をポポーンと脱ぎ捨ててその後を追った。


 妹二人の靴を揃えながら首を傾げずにはいられないけれど、まあいいか。


 すると、袴に早着替えした千鳥が、先ほどまで背負っていたリュックを手に台所へ駆けこむ。

 帰り道で「台所から取ってきたものは、ちゃんと返すんだよ」としたら頷いていたので、食材を母に返すようです。

 素直に話せば怒られることはないだろうから、大丈夫でしょう。うん、えらいえらい。ドタバタと廊下を駆ける千鳥の後ろには、沙代もついているしね。


「ほら、アヤノはまずこっちだ」


 うちの妹は素直で可愛いわー。とか思っていたら、ギルベルトに腕を掴まれました。その後ろにはユリウスも。

 はい、そうです。掴まれた左腕にはいまだユリウスのシャツがグルグルに巻かれているわけで。その下はもう言わずもがな。速攻で洗面所へ連行されました。


「きちんと手当をしないと痕が残ってしまうかもしれない。……本当にすまない、治癒系の魔術が少しでも使えれば良かったんだが」

「え!? 魔術とかあるの!?」

「私もサヨも相手に向かっていくことは得意なのだが、治癒系に関してはなぜかさっぱり素質がなくてな」

「それはでしょうね」


 見ればわかる。

 ギルベルトは辛そうに睫毛を伏せてくれたけれど、私はそれよりも突然のファンタジー要素に食いつかずにはいられない。

 魔術ってことは魔法ですよね!? 火をゴーっと手から出したりすることが出来るとでも!?

 興奮して問うたらギルベルトは呆れたような、驚いたような顔で目を見張った。


「何をいまさら。さっきのゴーレムだって魔術だろう?」

「あれもっ!?」


 すごい、まさに思い描くとおりの異世界設定!

 つまりあのゴーレムを作った魔術師がいるってことよね!? うわあ、意味もなくワクワクしてしまいます。だって、頑張れば可愛く見えなくもないつぶらな瞳で、容赦なく私たちを襲ってくるような恐ろしいゴーレムを生み出せる凄い魔術を使う……魔術師が……? って、あれ……? それって、つまり……ギルベルトやユリウス以外にも──


「いったああああぁぁぁっ!」


 とても大事なことに思い至った瞬間、とんでもない激痛に一旦全てが吹き飛んだ。


 ぐるぐるに巻かれたTシャツを取ろうとしていたギルベルトが、私の叫びに動きを止める。

 どうやらすっかり固まってしまった血が接着剤となって、腕とシャツをくっつけているようです。それを無理に剥ぎ取るなんて、想像だけですでに痛い。


 結果、丁寧に洗い流してくれましたけれど、でもやっぱり痛いものは痛かった……!

 泣きに近い叫び声を上げ足でドンドンと床を打ち鳴らし、腕を洗い終わった頃には、もはや私は屍でしたよね。洗面台に腕だけを引っかけて、ぶら下がった状態で崩れ落ちてましたよね。


 そして綺麗になった腕は、期待を裏切らずなかなかのグロさを見せつけてくれました。比喩でもなく、おろし金で擦り下ろしたらこんな感じになるんだろうなあ。っていう、ゴリッと皮膚を抉られたような汚い傷口が、左の二の腕外側を占めています。幸いだったのは、かすった程度だったのでそこまで深い傷ではないってことでしょうかね。というか、良かったのはそれだけっていうか。


 まじまじと直視することに耐えきれず、思わず目を逸らしたら、対照的にじっと視線を注いでくるユリウスの顔がありました。少年こそ何か耐えるように、ぐっと口を引き結んで。


「ユリ──」

「綾姉! 消毒液持ってきた!」


 声をかけようとした直後、勢いよく駆け込んできた沙代に容赦なくその消毒液をバッシャーとかけられて、私は今日一番の悲鳴をあげた。



 悶え苦しむ私をよそに、沙代とギルベルトはテキパキと包帯を巻いてくれました。なかなか慣れた手つきの二人の処置は申し分なく綺麗なものです。

 そんな彼らと連れ立って茶の間へ顔を出したら、テレビを見る母が一人。千鳥はすでに道場へ行ったのでしょうけれど、ユリウスがいつの間にかいない。


「……ユリウスは?」

「ユリちゃんなら、縁側の方に行ったみただけど?」


 どうしたのかしらねえ。なんて呑気な声で言いながら、母が私たちの分もお茶を入れてくれました。沙代とギルベルトは腰を下ろしてすっかりくつろぎモード。うちに来るって言っていた公平もそろそろ部活を終えて来るだろうしね。二人はここで待つようです。


 私はさっき見たユリウスの様子がなんだか気になり、母が入れてくれたお茶の湯呑を二つ持って縁側に向かうことにしました。

 怒涛の展開続きで、ちゃんと話すタイミングがありませんでしたからね。


 茶の間を出て廊下を歩くと、差し込む夕日に床の木目がキラキラと金色に光っていて、なんとも風情漂う。気付けば、日中のうだるような暑さも幾分和らいだように感じます。夏の暑さはどうしても好きになれないけれど、夏の夕暮れは嫌いじゃない。

 青から赤、そして夜の闇へと色を変えていく世界は不思議と心を落ち着けてくれる気がします。他の季節にはない、夏特有の空気感ってありますよね。


 そんな夕焼けで色を変えた縁側に、ユリウスは一人、外へ足を投げ出して座っていました。


「なにしてるの?」


 ぼんやりしている横顔へ声をかけたら、もさもさの黒髪がビクッと跳ねる。そのままゆるりと顔は向けてくれたけれど、口元は小さくぱくぱくするだけで特に言葉はなかった。

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