付き添いという名の7
予想外過ぎる出来事が起こると人間は思考を止めてしまうのだと、このところ身をもって学んでばかりです。
つい先日、湯呑を見つめながらこれまでの人生を振り返ってしまったのも記憶に新しい。
「えーと……ユリウスの聞き間違いじゃない?」
──姉は強いと言っていた。
沙代が? 胸に手を当てて何度その言葉を反芻してみても、思い当たることがなにひとつありません。
だとすれば、ただの聞き間違いだったというのが一番妥当じゃない? けれど、私の言葉にユリウスの口はへの字に曲がる。
「なぜそう思う」
「だ、だってそんなはずないもの。沙代がそんなこと言うなんて……」
「だから、なぜ」
「それは……」
暑さのせいではなく、喉がカラカラに乾く。
瞼の裏に、私へ向かって飛び込んでくる幼い日の沙代が映る。そして脳天に強い衝撃。パーンという音と上から叩きつけられる振動。
──最近はこの光景を思い出すこともなかったのに。
「おい、どうした?」
覗き込むように顔を近づけて見上げてくるユリウスに、腕を揺すられて我に返った。
「あ、ごめ──」
「ん? ギルベルトは沙代んとこか?」
突然の声に振り向けば、すっかり野球ユニフォームに着替えた公平。バットを肩に担ぎ、右手でボールをいじくりながら校舎から出てきた彼と鉢合わせました。
「うん。止める間もなく一直線だったよ。沙代大激怒で私は逃走」
「あいつ怒るとこえーもんな。お前んち全員感情に素直すぎ。ギルベルトも素質十分そうだし浦都一族安泰じゃねーの」
「一括りにされるのは不服なんですけど」
話がそれてホッとした。
隣のユリウスからは不満そうな気配を感じるけれど、見て見ぬ振りをしてしまう。
「公平こそ部活は?」
「先にちょっと顧問のとこ寄っただけ。今から参加。お前らこそどこ行くんだ?」
きっと公平の目にも、不機嫌なユリウスと、なんでもないフリをして、明らかに変な空気を垂れ流しているだろう私が映っていることでしょう。
でもこの微妙な雰囲気を気にする素振りも見せず、公平はにこにこと普段と変わらぬ調子で寄ってくる。
──うん。公平にすら気を遣われている。
いけない。頬が引きつるのを隠しきれません。
普段はマイペースで人の言うことなんか聞きやしない公平が、この場の違和感に「どうした?」もなく、ユリウスに明るく話しかけている。私たちはそれほどヘンテコな空気を醸し出していたのでしょう。気を遣われたと自覚すると一気に恥ずかしいなぁ。
「せっかくだから、ユリウスに学校を案内しようと思って」
「ああ、いんじゃね? 日本の田舎高校だけど存分に見てってくれよ」
「……なら、しっかり俺を楽しま──」
変わらずへの字のまま口を開いたユリウスだったけれど、突然訝しそうに言葉を切った。
「あの、ユリウス?」
「黙れ」
私の声は、険しい声でぶった切られてしまいました。ユリウスはどこか切羽詰まったように周囲を見渡す。見えないけれど、きっと今彼の瞳は驚愕に見開かれているだろうことが容易く想像できる。
尋常じゃない様子に、私と公平は顔を見合わせた。けれど、結局お互いどうしたものかと首を傾げるに終わってしまう。
「ねえ、どうしたの?」
「これは……っ、なぜ──」
「ユリウス!」
すっかり私と公平の存在が頭から抜けている少年の肩に手を置いて、一声。ようやく顔が私に向いた。
ユリウスの目と視線がぶつかったような気がした、その瞬間。
耳を突き破るような、キーンという甲高い耳鳴りが脳天を突き抜けた。
「い──っ!?」
「なんだこれ──!?」
私と公平がたまらず手で耳を塞いだ瞬間、まさに空気が震える。
「──っ!」
ヒヤリと何かが背筋を走る感覚に顔を上げたと同じく、パーンと弾けるような大きな音とともに──横の校舎の窓が、次々と砕け散っていった。
パパパパンと立て続けに甲高い無機質な音を奏でて、ガラスの破片が空を舞う。
「……え」
今まさに頭上へ降り注ごうとする破片はキラキラと光を反射して、それがやけに綺麗で。間抜けにも馬鹿みたいに固まったら、ぐいっと腕を引かれた。
「綾乃っ!」
「あだっ!」
お尻への強い衝撃で我に返る。
尻もちをついたのだと理解したときには、我が校野球部のユニフォームが視界いっぱいを占めていた。公平が覆いかぶさってくれていることに気が付くと同時に、その肩越しに見えるキラキラとした輝きに血の気が引く。
「公平危ない、どいて!」
「どくかアホ!」
このままでは公平の背中にガラスが落ちる。いやそれ絶対ヤバイ! ただで済む気がしない! なんとか下から這い出そうと無様にもがく私へ落ちてきたのは、ガラスではなく少年の声でした。
「早くここから離れろ!」
どこか切羽詰まったユリウスの声。直後、ゴウッと強い風が吹いた。そして一向に降ってこない破片。
訳も分からず顔を上げた私と公平の前には、こちらに背を向けて立つ少年の姿があった。その向こうには──なんとも、現実離れしたものが佇んでいたのです。
「え?」
「は?」
はい。もう一度言います。
ええ、まさにそれは、佇んでいたのです。
「え……えええええ!?」
「はああああ!?」
視界に飛び込んだものを見て、私と公平はこれでもかと間抜け面を晒し、あんぐりと開いた口からは素っ頓狂な雄叫びが飛び出す。いや、だってもう、信じられないものが目の前にいるんですもの。そりゃこうなりますよ。
ユリウスを挟んだ向こう側には、砕け散った窓ガラスの破片だけでなく、砂埃を巻き上げて周囲の土や石や草花を吸い寄せて形を成していく……ええと、なにあれ人? 人なの!? とにかく人のような形をしたなにかが佇んでいる。あまりの吸引力に、すっかり枠だけとなってしまった校舎の窓がガタガタと激しく音を立てて、このままでは外れてしまうんじゃないかとハラハラします。怖い。
怯んでいる間にも、それは周囲のものを吸い込むたびにどんどんと大きさを増して、あっという間に見上げるほどになってしまいました。
ロボットのプラモデルのように腕や脚のパーツが胴体にくっついていて、上に乗っかる頭部の目と思われる部分には丸い穴が二つ空いている。なんとも大雑把な作りだけれど、見ようと思えばそれが可愛らしいつぶらな瞳に見えなくも……ないな! ないわこれ!
「すっげーな、ゴーレムみてぇ」
「え!? ご、ご、ゴーレム? なに!? なにそれっ」
「ほら、よくゲームに出てくるじゃん。土のモンスター」
「モンスタぁー!?」
感心したように驚く公平とは対照的に、私はもはや大パニックです。だってモンスター? なにそれ正気で言ってるの!? と反論しかけるものの、現に今私の目の前にはそのゴーレムのような土人間……土人形? がいるわけで。
ああ、そういえば確かに昔兄がやっていたゲームにこんなのが出ていた気がするなぁって、もはや呼び名なんてどうでもいいよ!
──これ一体どういう状況!?
目の前で起きた信じられない展開に腰が抜けかけるし、足がガクガク震える。いっそのこと思いっきり叫んで泣き喚いて理性をぶっ飛ばしてしまいたい。
「馬鹿が、早く動け!」
ぐちゃぐちゃに絡まる私の思考をぶん殴るような声が、ピシャリと投げつけられた。弾かれたように顔を向ければ、私と公平を振り向く返るユリウスと向き合う。
そしてその瞬間、公平の言うゴーレムがユリウスに向かって腕を振り上げた。ぐおぉっと逆巻く空気の音と風圧に身体が押される。
「うおおおおお! マジかよ! あれ動くのか!?」
ひいい! だよね、これ動くの!? 動いちゃうの!?
しかも鈍臭そうな外見を裏切るほどの俊敏さで、太い土の腕が空を薙ぐ。その腕は私と公平には見向きもせず明らかにユリウスだけを捉えている。
「くそ──っ!」
本人も狙われているのが自分だと気が付いたのでしょう。
私たちから離れるように、振り下ろされる拳を避けていく。土の拳が地面を叩くたびに地響きのような振動で身体が浮いた。
「なにこれ、なんなの……!?」
ゴーレムこそ、ユリウスだけをどこかへ追い立てるように攻撃しています。少年が壁際に向かって下がっていく──と、もう一度、キンッと鋭く強い耳鳴りが耳をつんざく。
私と公平が顔をしかめた直後、
──ボコボコォッ!
ユリウスの逃げ道を塞ぐように、左右に剣山のようないくつもの鋭い岩が地面から突き出した。その目の前では立ちふさがる大きなゴーレムが、再びユリウスに向けて拳を振り上げている。
それを見てしまえば足は勝手に動きました。
「ユリウスっ!」
「おい綾乃!」
公平の制止を振り切って、無我夢中でゴーレムの脇を駆け抜ける。
「ば──っ」
腕を伸ばして、私の身体はユリウスに向かって飛び出していました。きっと「馬鹿」と罵倒したかったんだろう少年に身体ごと突っ込んだ。
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