夏休みの定番です3

「では二人とも! 捕まえたら写真を撮るから教えてね」

「……と言っても、すぐに捕まりそうだけどね」


 私とユリウスが並ぶ前で、やる気満々に拳を作る千鳥の頭上から、うるさいくらいのセミの大合唱が降り注ぐ。これは探すまでもないんじゃなかろうか。


「もう。ユリちゃんってば、ちゃんと聞いてる?」


 頬をぷくっと膨らませる千鳥に顔を覗きこまれたユリウスは、早くもしんどそうに虫取り網を杖代わりにしてゼーゼー肩を揺らしています。ごめんねユリウス、いくら面白いからってやり過ぎた。引きずり過ぎました。

 お詫びにセミがどんなものか教えてあげましょうかね。


「ほら、セミが木の上でたくさんミンミン鳴いてるから、ユリウス取ってみなよ」

「……上?」

「そうそう。ほら、そこにいるでしょ」

「ユリちゃん頑張って! 第一号だね!」


 セミというものを知らないだろうに、なぜだか知っているかのような言い回しをした彼の自尊心を傷付けないように、なぜだか私の方が気遣いながら教えてあげましょうかね。……自分で言ってて面倒だわ!


 そんな私の思いやりに気付く訳もなく、ユリウスは頭を左右に揺らして木の上を伺っています。──と、そんな彼の足元に恐ろしい爆弾を発見してしまいました。これは絶対あれだ。無害を装って襲ってくるあれだ。


「ちょっと待ってユリウス、ユリウス! 待って動かないで! とりあえずその場に止まって!」

「は!? なんだなに──」

「ひええええ! ユリちゃん足動かしちゃダメええ!」


 同じく気付いた千鳥も慌てて止めに入りますが──


 ブブブブブブブブブブブッ!!


「わあああああーーっ! ああああーーっ!」

「いやああああああーーっ!」

「きゃあああーーっ」


 各々恥も外聞もない悲鳴を上げながら木の周りを逃げ惑う。

 なにってもうあれだよ! 予想通りセミ爆弾だったわこれ!


 誰しも覚えがあるかと思います。「かわいそうに、お亡くなりになったのね」と、地に落ちてしまった悲壮感漂うセミを見てしんみりしたと思いきや、次の瞬間には恐ろしい鳴き声を上げながらねずみ花火のごとく地面を疾走するセミ。

 まさに爆弾。


「なんだこれは、なんだこれはあああ!」

「セミだってセミ!」

「てえぇいっ!」


 慌てふためくユリウスと私の声に混じって、なんだか頼もしい声が聞こえた気が。聞き間違い……ではなかったよ千鳥ぃっ!

 視線の先では虫取り網を振り下ろした千鳥が、頼もしく「ふう」と額の汗を腕で拭っていました。その網の中で暴れ回る爆弾。


「セミ捕まえたよ!」


 言うなり網の中に手を突っ込む。今この場で一番男らしいのは、間違いなくこの子です。見事ジージーと鳴き叫ぶセミを掴み取りました。そして──


「ユリちゃん! 写真取るから持ってて!」


 ずいっ、とユリウスに向かってその腕を突き出した。必然的に少年の目と鼻の先に現れるセミ。しかもお腹の部分を向けて。


「ああああああーっ、うわあああ! ああああああーっ!」


 腹の底から絞り出すような絶叫とともにユリウスは尻もちを付き、尚且つその体勢のままザザザと後退していきました。背中を木に打ち付けてその動きがようやく止まる。


「な、な、なんなんだそのウゴウゴと気持ちの悪いものは……っ!」


 ブルブルと震える指先が千鳥の手元を指します。


「……だから、セミだよ?」


 それ以外の何だっていうのよ。とばかりに、千鳥が尚もずいっとセミの腹を近付け──あ、千鳥ちょっとそれはさすがに……。


「ぎゃあああああああーっ!」


 止める間もなく、ユリウスは大きな断末魔ののち、そのままガクリと地面に横向きで倒れてしまいました。

 ……ええ、そうです。気絶しちゃいました。


「ユリちゃん、弱っちい……」


 セミの大合唱をBGMに、千鳥の辛辣な言葉がやけにハッキリと響いた。



 *****



「……どこだここは」


 気絶したユリウスを地面に転がしてあらかた昆虫採集を終えた頃、ようやく彼は目を覚ましました。


「あ! 起きた!」

「大丈夫? セミ見て気絶したの覚えてる?」


 駆け寄った私たちに言われて思い出したのか、身体を跳ね起こすなりキョロキョロと激しく頭を振って周囲を見渡している。心配しなくても、もうセミはいませんよ。


「ユリちゃん本当に魔王様なの?」

「なっ、なんだと小娘失礼だ──痛ぁっ!」

「小娘じゃないでしょ! 千鳥でしょ!」


 私の可愛い妹を小娘呼ばわりするユリウスを肘で突く。あれだけ盛大にぶっ倒れておいて、なんて尊大な態度なんでしょう。


「ユリウスが寝てる間に全部終わっちゃったよ。ほら、もう怖くないから。帰るから起きて」


 意外にも千鳥が写真のアングルと写りに異様なこだわりをみせたもんだから、私が一人で網を振り回し、片っ端から捕まえていく羽目になりましたよ。

 地べたに座るユリウスの腕を掴んで引っ張り上げると、忌々し気にその手を振り払われた。


「ふざけるな……っ! この俺を誰だと思っている、だから、だからお前たち卑怯な人間など──っ」


 ハッとしたように最後は口を噤んだ。

 そのまま黙り込んだユリウスを前に、千鳥と顔を見合わせる。セミ爆弾がそんなにダメだったのでしょうか。でも、あれは自業自得じゃない?


 ともかくそろそろ山を下りることにします。いつの間にやらお昼も近い。

 なんやかんや言いつつ私も楽しんでしまいました。だって虫取りなんて、高校生にもなったらする機会ないですもんね。


 麓の神社まで戻ってきたところで、再びユリウスの歩みが止まる。敷地の奥、古びた本殿を窺うようにして。

 そういえば行きもこんな感じだったな。一体どうしたというのでしょう。


「なにかあるの?」

「……いや、別に……」


 そこで、先頭を進んでいた千鳥がくるりと振り返りました。


「ゆまちゃんのおうちに寄ってから帰るね」


 このまま神社の脇を抜けて真っ直ぐと進めば、来た道を戻ることになるので我が家に着くのですが、千鳥は左に曲がる道を指している。


「今から? もうすぐお昼だよ。ゆまちゃんのおうちも迷惑じゃない?」

「寄るだけだからすぐに帰るよ。大丈夫!」


 言うなり、早足で歩きだしてしまいました。あんなに虫を追い掛けて大騒ぎしたあとだというのに、元気だなあ。

 チラチラと振り返る千鳥に手を振りつつ、仕方ないのでユリウスと家へ向かいますが──いかんせん暑い。

 なぜなら夏の太陽が高く昇り始めている。こんな遮る物のない田舎の田んぼ道なんて「遠慮なく浴びなさい」と言わんばかりの日差しを「ありがとうございます!」と両手広げて受け止める様なもの。焼け死ぬ。


「……ユリウスはアイスクリームって知ってる?」

「も、もちろんだ。……しかし良く覚えてなくてな。一体どんな生き物だったか……」


 どこか引き攣った口元で言う。若干腰が引けているけれど、もはやそんなことに触れるのは野暮というものでしょう。

 はいはい。知らないということでオッケーですね。


「暑いから『うるスト』寄っていこうよ」

「う、うる……うるすと?」

「そう。ま、行けばわかるから」

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