夏休みの定番です2

 ユリウスを連れて茶の間に顔を出すと、ラジオ体操から帰ってきたのだろう千鳥がいました。眠そうに頭を揺らして、テレビを眺めている。


 すると、台所から母も出てきました。その手には美味しそうな湯気が立ち上る器が並んだお盆。どうやらこれから千鳥と朝食だったらしい。

 我が家は夕食こそ全員午後七時集合で食べるのですが、朝は道場やら部活やらみんなの行動がバラバラのため、割と自由に好きなものを食べるスタンスでいつの間にか落ち着きました。


「あら、おはよう。綾乃もユリちゃんもご飯食べる? 今日はね、おばあちゃんが漬けた美味しい沢庵があるのよー」


 その祖母も朝は近所の神社の境内を掃除したり草むしりをしたりと、町内活動みたいなことで忙しない。

 ……そして、ユリちゃんとは、言わずもがなユリウスのことです。なぜか私と沙代以外の女性陣の間では、すっかりユリちゃんの愛称で親しまれ定着しています。


「……食べてやってもいい」

「なら四人で食べましょう」


 彼の態度も相変わらずです。それを気にもかけない母も相変わらずです。

 なんだろう、浦都家って基本的に、細かいことを気にしない質なんじゃないかって思うんですよね。多分、今回のギルベルトとユリウス──いわゆるギルユリ事件も、


『沙代が知らない外人連れて帰って来た→結婚するとか言ってる→でも父より弱い者は認めん→強かった→よし、オッケー!』


 程度の認識で、異世界その他諸々の話はもはや忘れてるんじゃないですかね。ユリウスなんてギルベルトの連れの軟弱少年、くらいにしか思ってないんじゃなかろうか。……というか、その可能性大だな。


 うちの家族ときたら、揃って面倒なことは耳に入らない猪突猛進タイプでね。などと、昔友人に愚痴ったら「そういうお前だって、もれなくその一員だ」と言われたけれど、これらに比べたら断然ましだと思います。異世界とか魔王とか騎士とか、そのへんを気にしてる私は、まだまともでしょうよ!


 なんて一人で押し問答してたら、あっという間に目の前には美味しそうな朝ごはんが並んでいた。


「いただきまーす」


 手を合わせていざ箸を取ろうとしたら、ユリウスは無言のまますでにお椀を手にしてフォークを握っていました。もはや考える間もなくパコン! と、小突いてしまったのは仕方ない。ユリウスの後頭部から小気味良い音が鳴る。


「い──った、なにをする!」

「食べる前に『いただきます』はマナーです!」

「はあ? そんなこと……」

「本当なら箸の持ち方から教え込んでやりたいくらいなんだからね」


 ギルベルトとユリウスは箸を使ったことがない。ということで普段はフォークなのです。それは育ちの違いだから仕方ない。が、しかし。無言で食べ始めるなんてそんな無礼を許すことができるだろうか。いや、無理でしょう。

 この少年は居候してから一貫してこんな態度です。父と祖母、沙代とギルベルト、そして私になにかと窘められてもこの姿勢を崩さない。ある意味凄いけれど、この捻くれ具合はいい加減なんとかしてほしい。


「はい、食べ物に感謝を込めていただきます」

「…………チッ、いただきます」 


 この子、舌打ちしおったな?

 渋々ながらもようやく口にした言葉を聞いて、私もサラダに箸を伸ばした。疲れる。

 一方で母と千鳥はテレビを見ながら「今日も暑いわねえ」なんて夏の常套句を呟いています。この二人は呑気でいいなあ。


「そういえば千鳥、今日の昆虫採集はユリウスも一緒でいい?」

「えっ、やったあ! ユリちゃんも来るの!?」

「こんちゅうさいしゅう?」


 夏休みの自由研究を定番の昆虫採集と決めた千鳥のために、今日は私も虫取り要員として参戦予定だったのです。

 単純に人手が増えることが嬉しいのでしょう。満面の笑みで千鳥が尋ねると、ユリウスはほんの少し逡巡してから「行ってやってもいい」だなんて、なんとも上から目線な返答。

 とはいえ、あきらかに昆虫採集なるものをわかっていなさそうだけど。


 きっとこの一瞬の間に、ギルベルト&父に絞られることと、私と千鳥と出かけることを天秤にかけたな。昼前には沙代も帰ってくることを踏まえると、きっと彼の天秤は驚きの速さで傾いたことでしょう。

 ユリウスの返事に、千鳥は大喜びで朝ごはんを口にかきこんだ。



 *****



 寝間着からTシャツとデニムのショーパンに着替え、熱中症予防にキャップ帽をかぶってから玄関に向かいます。すると、そこには頭に麦わら帽子を乗せて、虫取り網を手にした千鳥とユリウスが既にスタンバイしていました。

 初日は暗澹たるヨーロッパ貴族を連想させる格好で、どこのヴィジュアル系かと思った少年でしたが、こうやって半袖のチェックシャツに、兄のお下がりハーフパンツを身に着ければ案外年相応に見えるものですね。……もっさもさの黒髪はやっぱりどうかと思うけれど。


「……で、具体的に昆虫採集はどうしようと思ってるの?」


 田んぼ道を千鳥・私・ユリウスと三人縦に並んで歩く。

 両脇を田んぼに挟まれたなんとも見晴らしの良い道の先は、山へ続く林道になっています。空は雲ひとつ見えない晴天。これは今日も暑くなりそうですね。

 千鳥は振り返るなり、ストラップに繋げて首からぶら下げていたデジカメを掲げてみせた。


「捕まえたらたくさん写真を撮って、種類とか調べてまとめるの!」

「へえ。なら、とりあえず捕まえればいいのね?」

「うん!」

「何を捕まえるんだ?」

「今日はね、蝶とかセミ!」

「……セミ?」


 セミと聞いて、ユリウスが怪訝な声を上げます。おや、もしかして──


「ユリウス、セミを知らないの?」


 向こうの異世界とやらには、ミンミンうるさい彼らはいないのでしょうか。だとしたら羨ましいじゃないの。だなんて軽く考えていたら、もっさり前髪の向こうからキッと睨みつけられたような気がしました。


「この俺を馬鹿にしてるのか? そんな問いは愚問だ」


 ──あ、この子セミを知らないな。

 いやぁこれは。聞き返すまでもなく見え透いた言葉ですね。だけど……ま、いいか。ここでツッこむのもややこしい。


 そんな会話をしているうちに、田んぼ道を抜けると小さな神社が見えてきました。

 山の麓に佇むこの神社脇の林道を登れば、絶好の虫取りスポットに到着という訳です。

 すると、私の後ろを歩いていたユリウスの気配が、ふと止まる。振り返ってみれば立ち竦む少年の姿。


「……どうしたの?」

「ここは……なにかの神殿か?」

「え? ああ、神殿じゃなくて、神社っていうの」


 ユリウスが足を止めたまま、神社の奥を見据えるようにそんな問いを投げてきました。確かに知らない人から見たら、神殿という表現が一番近いのかもしれませんね。なんだか面白い。


「神様とかを祀ってるっていう意味では、神殿も近いかもね」

「……神?」


 ユリウスは私の答えに不満だったのか、なにやら奥を見つめたままです。どうした。


「……神というよりもこれは──」


 どこかピリッとした様子に首を傾げていると、神社脇の林道から慌てたような千鳥の声が響いた。私たちが立ち止まったことに気付かず、一人で進んでしまったらしい。


「あや姉、ユリちゃん、何してるの! 早くー!」

「ああ、ごめん。ほら行くよユリウス!」

「──っ、おい! やめろ貴様! そんなところを掴むな!」


 襟首をひっ掴んで引きずったら、ユリウスの方がひっくり返った虫みたいにもがくもんだから、可笑しくてついそのまま山道を進んでしまいました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る