stellar memory

与野高校文芸部

stellar memory

――またいつか、この場所で一緒に星を見よう。約束だよ?


 夏の陽光が窓から差し込み、まどろんでいた僕の意識を覚醒させていく。よく覚えていないが随分懐かしい夢を見た気がする。それにしても……


「暑い……」


 時刻はまだ午前七時であるにもかかわらず、そうぼやいてしまうほどに連日猛暑が続いていた。夏休みも終わりが近づいているが、太陽は年中無休らしい。残酷なことに、今日は部活に顔を出さなければならない。こんな中を歩いて学校に行くなど、熱中症になれと言われているようなものだろう。もう少し家と学校が近ければ楽なのに……。


 朝食は昨日炊いておいた白飯と生卵・醤油を適当にかき混ぜて胃に流し込む。だらだらと朝の支度をしているとちょうどいい時間になった。

「行ってきます」

 一人暮らしのため、誰もいない居間に挨拶して玄関のカギをかけた。


 家の外は、上を見上げると高層ビルの窓全部が鏡のように太陽光を反射して容赦なく僕の目を焼くので、自然とうつむきがちになる。っと、もちろん交差点では一時停止するし信号は守る。歩き慣れた道の信号の場所は当然記憶しているからな。

 雑踏、喧噪、日射、陽炎。毎年恒例の日常風景。その中にふと、日常からかけ離れた存在がちらついた。


 道路の向こう側の、薄水色の質素な、まさにドラマで見たような入院服を着た少女と目が合った。固まる両者、引き伸ばされる時間。気まずさに耐えかねてとりあえず会釈すると向こうもうなずきを返してきた。信号が変わり、再び世界が動き出す。

 道路を渡り切って後ろを振り返っても、そこにもう少女は居なかった。




 校門の前までたどり着くと、苦痛から解放された安堵感からどっと汗が噴き出した。このあと部室の冷房で身体を急速に冷やす予定だから正直やめてほしい。


 部室の扉を開くと、既に冷房が効いていた。それはつまり先客がいるということで、その姿は扉のすぐ横にあった。


「なんだ、お前部活来たのか」

「来ちゃダメなんすか?」


 無遠慮な言葉を投げてきたのは、他でもない僕が所属する文芸部顧問の教師。ムッとしたので言い返した。こんなやり取りができるのは、この顧問――浅田あさだ修也しゅうやが僕の叔父にあたる人物だからだ。ちなみに担当科目は数学である。


「お前がいたら寝れねえじゃねえか」

「……給料泥棒め」


 今さっき寝れないとかのたまったにも拘らずどこからかアイマスクを取り出した修也さんを横目に、パソコンを立ち上げる。普段ならキーボードをカタカタさせるところだが、冷房の心地よさのせいで頭が回らない。この高校の文芸部は部員が一人。つまり僕だけなので、活動実績が無いと廃部になってしまう。だからこうして学校に足を運んでいるのだが、顧問がこの有様ではできる活動もできなくなるというもの。どうしたものかと、とりあえずパソコンを落としてスマホゲーを開く。すると寝たはずの修也さんがなにかを呟いた。


「無から何かを生み出すのには膨大なエネルギーと知識が必要だ。アイディアが浮かばないなら記憶を整理しつつ休養も得られる睡眠をとることが推奨される。そもそも睡眠とは……」

「なに無理に難しい言葉使おうとして……まさか寝言?」

 アイマスクを外してもボソボソと睡眠のメカニズム的なものを解説している修也さんに若干引きつつ、やろうとしたゲームがサーバーメンテナンス中だったことが決め手となり、結局この快適な室内で惰眠をむさぼることにした。


「あっつ……」

 冷房が効いた部屋で寝ていたはずが蒸し暑さで起きてしまった。足元を見れば分厚い毛布が落ちていた。おっさん余計なことを……。その修也さんの姿は見えない。カーテンを開けると窓の外には星一つない暗い空と眩い街のネオン。時計は七時半を指している。すっかり夜じゃねえか。

「帰るか……」


 帰ることにした。


 家に帰り夕食もそこそこに、寝支度を終えてベッドに寝転がる。ふと今朝の夢を思い出した。そうだ、あれは小さいころの記憶。家族や親戚など仲の良い人達が集まってキャンプに行ったとき、二人でテントを抜け出して夜空を見上げていたときにした約束だ。でも相手は誰だったのだろう。名前、声、顔、今となってはなにも思い出せない。


 両親を事故で失ってからはずっと生まれ故郷から離れた祖父母の家で育てられてきたし、二年前その二人が亡くなったのを機に一人暮らしすることになり、その際修也さんの働く都内の高校に通うことになった。自分でも散々な生い立ちだと思うのだから、忘れてしまっていてもしょうがない……。そう思い、ぎゅっと目を瞑った。


――また会えるよね? わたしずっと待ってるから、いつでも会いに来てね?


 翌朝、見た夢の内容は昨日と違ってよく覚えている。思い出したくなくて記憶を封じたものほど、蓋を開けたときにすごい勢いで溢れ出してくるものなんだな。そう独りごち、朝っぱらから思わずため息が漏れそうになるが、九時を指す時計を見て引っ込んだ。一瞬学校に遅刻したと思って焦ってしまった。今日も部活はあるが、いつ来ても悪態をつかれるだろうからゆっくり準備してやろう。




 ゆっくり行こうと思ったが陽が昇り切ったら暑いし、それでなくても屋外は暑いので結局速足で学校へ向かっている際中。

 昨日見かけた病院服の少女が横から突っ込んできた。


 え?


 混乱していると、少女を追いかけるようにして看護師と思しきの女性が息を切らして走ってきた。

「す、すみません! 優華ゆうかちゃん、その人困ってるわよ? 離れてあげましょうよ……」

「いえ、お気になさらず……」

 そう言って去ろうとする僕を、看護師さんは引き止めた。


「あの、重ねてすみません。この子があなたに話があるそうで……少しだけお時間をいただけませんか?」


 それから修也さんに連絡を入れるなどしてから、お詫びもかねて少女……平井ひらい優華ゆうかさんの、ところどころに付箋やメモが貼ってある病室に招かれた。


 話を聞いたところによると、彼女は数年前から記憶障害を伴う病気を患っているらしい。それもだいぶ深刻なところまで進んでいるそうで、軽い説明では理解できなかったが最悪命に関わるとか。

 ずっと入院していた優華さんのことを考え、昨日は特例で外出が許されたらしい。そこで出会った青年――つまり僕に見覚えがあると優華さんは言い、可能性が低いとはいえ記憶に関わることなら病気にいい影響が出るかもしれない。と翌日も僕と会うために外に出てよいことになったとか。


「お名前をうかがってもいいですか?」

黒沢くろさわ信哉しんやです」

「っ!」

「優華ちゃん、この人?」

「はい……はい! 信哉君。覚えてます……小さい時、一緒に星を見たのも。その後すぐにいなくなっちゃったことも。将来の夢は漫画家でしたよね?」


 驚くべきことに、僕の連日見る夢という名の記憶と一致していた。なにより昔は漫画家になりたかったなんて最近は誰にも言ったことが無い。それはつまり夢の中の少女は……

「平井優華……キャンプのときに一緒にテントを抜け出した……」


 口に出したら、思い出すのは一瞬だった。

「……そう! やっぱり信哉君だ……」

 話していく度思い出す、あの頃の雰囲気を。あの頃の二人を。




 気が付くと昼過ぎになっていた。優華の食事もあるので今日はお開きとなった。帰り際、看護師――近藤さんから声を掛けられる。

「優華ちゃんがあんなに嬉しそう姿は初めて見ました。よければまた、いつでもここに来てあげてください」

 その言葉に、こちらこそ楽しかった。ぜひお邪魔したいと告げ、学校へと向かった。

「優華、ちゃん……ああ、平井さんとこの娘さんか。覚えてるぞ。お前いつだかのキャンプであの子と一緒に行方不明になったよな。あの時は大変だったんだぞ、総出で探してよお」

 確かに抜け出したことを怒られはしたが、そこまで大事になっていたとは思わなかった。

「懐かしいなあ。皆から怒られて泣いてたよなお前」

「あーうるさいうるさい」




「信哉君、いらっしゃい!」

「なんとなくりんご買ってきたよ。冷やしとくから好きな時に切ってもらって食べな」

「ありがとう!」


 それからというもの、僕は毎日優華の病室に通った。りんごを病室に備え付けられた冷蔵庫に入れようとしたが、冷蔵庫の中にはすでにバスケットいっぱいの果物が入っていた。

「あ、入らねえや。まずはこのフルーツたちから食べていかないと」

「え、なにそれ?」

「私が渡したんです。優華ちゃんが通っていた学校の方々から届いていたので。あ~下の方ちょっと腐っちゃってる……」

「ごめんなさい。メモし忘れちゃってたみたい」

 僕の後ろについてきた近藤さんが説明してくれた。「記憶がなくなる症状」というものを初めて目撃して、何とも言えない気持ちになった。


 ともあれ僕と話しているときの優華は、離れ離れになる前と何も変わらず、安心感を覚えた。ずっと話していたいと思うほどに。




 そんな幸せは夏休みが終わり、新学期が始まるまで続いた。久しぶりに会った優華に、どことなく小さくなったような錯覚を覚えた。優華の病気について自分なりに調べたが、不治の病であるということしかわからず、自分にはどうしようもないという現状に苛立ちを覚えたりもした。


 そして、ついにその時がやってくる。


 とある休日、優華のもとへ行くと、やんわりと面会を断られた。その時の近藤さんの態度から、なんとなく察してしまったのだ。優華はもう長くないのだろう、と。その時は差し入れを近藤さんに預けて帰った。


 優華と会えなくなって空いた時間は、バイトにつぎ込んだ。寂しさを埋めるためというのもあるが、一番の理由は優華と再会したときからずっと欲しいものがあるからだ。


 風がすっかり冷たくなった頃、近藤さんから連絡があった。優華ちゃんと面会してほしい、とのことだった。連絡を受けてすぐに駆け付けると、病室の前に近藤さんがいた。何か言いたげだったが、大丈夫、任せてくださいという気持ちを込めて僕が力強くうなずくと、軽くうなずき返して静かにこの場を離れていった。


 部屋に入るとピッ、ピッという電子音が鳴っていた。それは部屋の真ん中、ベッドの横に置かれた縦長の機械から聞こえている。ベッドの上には、透明なマスクのようなものを付けた優華がいた。


「信哉……君?」

「ああ、そうだよ」

「あはは……こんな格好、あんまり見られたくなかったな」


 くぐもった声と悲痛な笑顔。体が動かせないのか、仰向けに寝転び視線を天井の一点に固定している。


「あの、約束……」

「約束?」

「またいつか、この場所で一緒に星を見よう……って……。守れなかった。ごめんね……。」


 君が悪いことなんてなにもない。誰も悪くないんだから。


「ちょっと待ってて。準備するから」

「じゅん、び……?」


 遮光カーテンを閉めると、部屋はたちまち真っ暗になった。そして例のものを箱から取り出し、コンセントにつなぐ。そうしたら位置を調整しスイッチを点ける。


「わぁ……」


 瞬間、病室の天井や壁いっぱいに映し出される光の粒。そう、バイト代をかき集めて買ったものとは、家庭用プラネタリウム。夜も眠らないこの街では、星は見えない。それならばと、少しでも喜ばせてあげられればと思いついたのがこれだった。

「綺麗、だね」

「そりゃよかった」

「ずっと、見ていたいよ」

「そうだな」

「でも、無理なんだよね。わたしはもうすぐ……しにたく、ないなぁ……わたしが、いなくなったら、みんなわたしを忘れていく……忘れられたものは、その人の世界から消える。だから、そのうちわたしは、世界から消えていく。何も残せないまま。何も成せないまま……。忘れることって、けっこう簡単なんだよ?」

 なにを言うかと思えば……

「それは違うな」

「え……?」


 優華は本当にわかっていないようだ。


「忘れることが簡単なら、覚えておくことも簡単だ。メモに記してしまえばいいんだから」

「めも……?」


「昔の人たちが、人は死んだら星になるって言い伝えたのは、星っていう不変の美しいものになぞらえることで、亡くなった人のことを永遠に覚えておけるようにしたんじゃないかって思ってる。夜空にメモを作ったんだって」

「あ……」

「一緒に星見れてよかったよ。今すごい幸せだ」

「……わたしも」

「僕のこの気持ちは確かに、優華、君がくれたものだ。君が残してくれたものだ。君がいなくなっても、誰もが君を忘れたとしても、僕が君を覚えてるから、君は消えないよ」


「ありがとう……」


 彼女の命の灯は、街のネオンよりも、夜空に輝く星よりも、鮮烈で、美しかった。




「そうか、優華ちゃんが……通夜ぐらいになら顔出せるかな」

 二人分の缶コーヒーを買ってきた修也さんは、片方を僕に渡しながら言った。

「今日はやけにやる気だな」

 パソコンに向かう僕に茶々を入れる修也さん。

「うん、忘れないうちに書いておきたくて」


 そうだ、書き留めよう。彼女の生きた証を。

 決して忘れることのないように。

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