犬ころがゆく -1話

 最上真師範の一人、草陰くさかげ重三郎じゅうざぶろうの登場だ!


 ここまで疲弊するのを待っていたのだ!


 最後の真師範を切り捨て、いぬいは辛うじて残心している。


 しかも、なんということだ!

 最上真師範は一人ではない!

 5人だ!

 草陰くさかげ重三郎じゅうざぶろうのほかに、あと4人いる!


 草陰くさかげ重太じゅうた

 草陰くさかげ重次郎じゅうじろう

 草陰くさかげ重呉介じゅうごすけ

 草陰くさかげ重肋助じゅうろくすけ、だ!


 しかもしかも、なんということだ!

 伝説的な存在である、究極最上真師範の草陰くさかげ千兵衛せんべえまでいる。


 だが、ここで雲行きが変わった。


 異国より来たというまじない師の登場だ。

 まるで外国人だ!

 江戸幕府では、外国人は御禁制である!


 「フハハハハ!」

 「よくぞここまで御膳立てしてくれましたね、無名の剣士よ。」

 「ワラワの名は、アマクサ。」

 「さて、事の仕上げじゃ。」

 「ゆけ、草陰くさかげ重太じゅうた!」


 幕府をほしいままにしている『草陰流』の最上真師範が、なんと、異様な風体の呪い師に顎で使われている!


 バカな!


 これにはさすがに、同じ最上真師範の草陰くさかげ重三郎じゅうざぶろうも黙ってはいない!


 「な、なにをやっている、兄者!?」

 「そのイカサマ野郎の犬に成り下がる気か!?」


 重太じゅうたは聞く耳を持たない!

 いぬいに襲い掛かり……たしかに強い。

 真師範よりもはるかに。

 だが、それほどか?


 剣にキレが足りない。


 そして、あっけなく首元の動脈を切り裂かれ、大量出血した。


 ……だが。


 不気味な目に、光が灯ったまま。

 倒れる気配はない。


 「ほうほう、やっかいじゃな、無名の剣士よ。」

 「まぁよい、儀式はできる。」


 アマクサと名乗る異様の呪い師が、印を結び始めた!


 「なっ、兄者になにをした!?」

 重三郎じゅうざぶろうは、兄と、そしてほかの兄たちの様子を見て異変に気づく!

 だが、もう遅い!


 ほかの最上真師範も、たった一人の生ける伝説、究極最上真師範も、その目に生気はない。

 不気味な光が灯るのみだ。


 「天下分け目の関ケ原で、日ノ本が『東の豊臣・石田勢力』『西の徳川・上杉勢力』そして『南の島津・長曾我部勢力』『北の伊達・奥州源勢力』に四分されて、400有余年。」

 「ワラワは『南の島津・長曾我部勢力』を食って大きくなったが……邪魔が入ってのう。」

 「“異世界”である、この世界に封じられたのじゃ。」


 そんなバカな!?


 天下分け目の関ケ原によって、日ノ本が『東の豊臣・石田勢力』と『西の徳川・上杉勢力』に二分されて、400有余年。

『南の島津・長曾我部勢力』と『北の伊達・奥州源勢力』など、聞いたこともない!


 もしそうだとするならば、このアマクサとかいう男、大ほら吹きか、狂っているか、または日本とよく似た別の次元から来た異世界人なのか!?



 「スデに……ワラワが持ち込んだ変若水おちみずによって、幕府中枢勢力はワラワのもの。」

 「江戸将軍すらも、つい先ほど、ワラワの変若水ゾンビエキスによる洗礼パプテスマが完了した。」

 「草陰勢力の最後の生き残りは、そなた、重三郎じゅうざぶろうのみじゃ。」


 いぬいは呆気に取られ、同時に久しぶりに血が沸騰するのを感じた。

 「ふ、ふざけるな!」

 「拙者の復讐に、呪い師風情が割って入るな!!」


 「逆じゃよ。ワラワの計画のイレギュラーとして、そなたがおったのじゃ。」

 「おかげで、生け贄の準備にずいぶん苦労したわい。」

 「草陰の者どもに辻斬りをさせたり、ほかの流派を襲ったりさせていたというのに。」

 「それを邪魔しおって。」

 「じゃが膨大な生け贄の準備も、今、そなたがやってくれた。」


 アマクサが、いぬいの周囲を指さす。


 いぬいの周りは、彼が斬って捨てた草陰流の者たちの屍と血で満ちていた。

 まさに屍山血河とはこのことか。


 しかも、全員が一流か、それ以上の剣士なのだ。

 生け贄としては贅沢だ!

 あまりにも!


 いぬいは、復讐がほとんど完遂したことを、そのときはじめて自覚した。

 何か、自分のなかから生気のようなものが抜けていくのが分かる。

 やり切った気がしてきた。


 むしろ、重三郎じゅうざぶろうのほうが気が気ではない!


 「ふ、“ふざけるな”は、貴様ら両方だ!」

 「あと少し、あと少しで幕府を草陰のものにできたのだ!」

 「目を覚ませ兄者!」

 「千兵衛せんべえさま! 何をやっておられるのです!」


 いかにも興味なしといった趣で、アマクサは重三郎じゅうざぶろうを見る。

 「面倒な。やれ。」

 変若水ゾンビエキスによる洗礼パプテスマを受けた最上真師範の3人と、究極最上真師範が重三郎じゅうざぶろうを襲う!

 無理だ!

 絶対に無理だ!

 自分と同格の剣術の腕をもつ者3人と、自分より格上の1人を相手に、重三郎じゅうざぶろうは成す術もなく切り裂かれる!


 アマクサは、ニヤリと笑う。おぞましい笑みだ。

 「ワラワが元居た世界から、ワラワの部下たち、その残党を引き寄せる。」

 「ワラワは、別にあの世界が欲しいわけではない。」

 「世界が手に入れば、それはどこでも良いのじゃ。」

 「そのためには、生け贄を使った禁呪で、異界の扉を開く必要があった。」

 「権力は得た。」

 「生け贄も得た。」

 「そして……今、異界を開く術式が完成した。」


 すわ、もう終わりか!?

 この世界は、奇妙な魔術師に支配されてしまうのか!?

 いや!

 そうではない!

 アマクサは完成したと宣言したが、実際には完成していない!


 完成できていないのだ!


“完成し”と“た”の間くらいの一瞬の隙間。

 その隙間、最後の術式の印が結び終わるか終わらぬかで、いぬいが動いた!


 いかに異世界の覇権に手が届いた魔術師とて、そしてこの世界を手に入れる寸前である呪い師とて、『乾無影いぬいむえい流』奥義“絶影剣”を極め、さらにその先を往く者の速度に反応できるわけがない!


 「今さら、何のつもりかね、無名の剣士よ。」

 「指を落としたとて、何度でも生え変わって……。む?」


 異世界を開く術式は中途半端で終わった。

 そして、その術式のための大量の生け贄を用意したのは、誰あろういぬいだ。


 「バ、バカな!?」


 術式が、中途半端に展開する!


 アマクサがいた次元とは、別の次元につながっていくのが分かる!


 しかも……その中心は、いぬいだ!!!


 「生け贄を用意したのが、あの無名の剣士だから……か!?」

 「あの無名の剣士が、異界門の主として認識されたとでもいうのか!?」


 アマクサは、ここに来て初めて、焦りを見せた!


 実は、公安の中年捜査官を中心として、反アマクサ連合が広がりを見せているのだ!

 邪魔者を警邏方けいらがたに追放しすぎて、警邏方けいらがた内部に一つの勢力ができ上がるのを許してしまった!

 使える駒であった草陰の者たちは、すべて生け贄に使って、いまやたった4人。

 しかも全員をゾンビにしてしまった!

 まともな勢力にはならない!

 自分が元居た世界から引き寄せる、自分の勢力の面々が頼りだったのだ!


 それももう、望めまい。


 「無名の剣士よ、何ということをしでかしてくれたのだ!」


 「いんやぁ、まじない師さんよ。あんたが勝ち誇ってるのが悪いんですぜ。」

 「最後の仕上げが、全体の半分くらい大事だ、っていう教えがありやしてね。」

 「剣術にはあるんですが、魔術にそういう教訓みたいなお話はないんですかい?」

 「それにね。無名無名って。拙者にも名はありやすぜ。」


 もはや、いぬいの存在は異界門の下に囚われ、アマクサでは何もできぬ。

 何度呪い殺しても足りぬほど恨んでいるが、仕方がない。


 「なぜ、なぜ……。死んだように目的もなく生きて来た、殺戮だけが生きがいになったそなたが。」

 「なぜ急に、ワラワの邪魔をしたのか。」

 「理解ができぬ。復讐も終えたのじゃろう?」

 「なぜ急に?」

 「それだけ。それだけでも聞かせてたもれ。」


 いぬいは、バツが悪そうだ。

 ここは三丁目。

 すごーーーーーーく遠くだが、発酵小麦粉練窯焼パン屋の梅太郎が見えたのだ。

 梅太郎が生きるこの時代が、少しでも生きやすくなってくれたらいいと思ったのだ。

 簡単に言うと、正義の心とか、善意とか、悪を許さないとか、そういうやつだ。


 いぬいは気恥ずかしさを隠すように、最後の強がりを吐き捨てた。

 もっともっと、恥ずかしくなるやつを。


 「“聞きたいのはそれだけ”ってこたぁないでしょうや。」

 「アンタさんを、こんだけ困らせた拙者の名。」

 「いつまでも“無名の剣士”呼ばわりじゃ、夜な夜な枕を濡らしながら恨み言をぶつけるのに、不便でやんしょ。」

 「聞いていきなせぇ。」

 「拙者は、いぬい 一退いったいと申す。」

 「誰が呼んだか知りやせんがね……。」

 「人呼んで……無刀斎むとうさい。」

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