犬ころがゆく -3話
かつて、何十年か、あるいは100年以上前か。
「影無きがごとく影よりも早く動く剣」として、
“影抜き”と伝えられる技がある。
刀同士で切り結ぶ際、凄まじい力で防御ごと叩き割るという流派もある。
いわゆる、初太刀を受けてはならぬといわれる示現流。
その一太刀を受けてしまうと、勢いを殺しきれずに防御側の刀の峰がそのまま頭部にめり込むだとか、刀が叩き割られて防御など無きがごとくに斬られるとか、さまざまな噂がある。
刀による防御をいかにして突破するか。
その別の解答が“影抜き”だ。
刀を振り下ろす勢いを決して殺すことなく、手首のひねりや軸の動き、重心移動や持ち手の間隔などを操作し、一度刀を斜め、あるいは横にする。
刀を振り下ろしながら、一瞬相手の構える刀と並行になるような恰好にし、相手の防御の刀をかいくぐって後、再び正しい持ち方に戻し、そのまま振り抜く。
すると、まるで相手の刀をすり抜けたかのように斬ることが可能だというのだ。
ほとんど架空の業とされているが、かつては使い手もいたらしいと伝わっている。
これを可能とするのは、恐ろしいまでの操刀術と動体視力、戦闘勘、技術、それらすべてを身につけるための厳しい鍛錬と、鍛錬に耐えるだけの心身だ。
しかし
刀による命のやり取りは“影抜き”を自在に使いこなす
そのため、
あまりにも凄まじい技術、かつ習得難易度が高い流派であるにも関わらず、護身術程度にしか使えぬということで、幕府御留流にはならなかった。
だが、どんな話にも裏があるように、『草陰流』にも暗部たる『裏草陰流』があるように、
それは、もしすり抜けられないと分かった場合、直ちに「あえて打ち込み、防御を崩す」という戦法を取ること。
すなわち、示現流に近い思想も組み入れていることである。
初太刀を受けてはならぬといわれる示現流の、初太刀を、恐ろしく素早くしようというのだ。
場合によっては“影抜き”によって、それが叶わぬなら叩きつける腕力によって、防御を突破する。
この組み合わせが、『
この奥義“絶影剣”と、凄まじい速度の居合斬りと納刀、または大上段に構えての凄まじい速度での斬り降ろしと振り上げの残心によって、まるで一振りすらしていないうちに相手を倒してしまったかのような印象を与える剣士がいた。
自らの刀を振るそぶり無く、相手の刀も無きがごとく斬りつける。
それを極めた剣士こそが、
そして、
大切な母親を失い、もう誰も失うまいと誓って、不可能とも思える剣技を習得。
しかしその後、再び家族を奪われ、死の淵で『境地』を見て舞い戻った。
命の危機に瀕したとき人は、脳内でエンドルフィンと呼ばれる麻薬物質が過剰に放出されてストレスを緩和し、さらになんとか窮地を脱しようと脳をフル回転させるために過去の記憶をランダムで再生し、生存のためのヒントを得ようとするのだという。
それが臨死体験による「あの世の心地よさ」と「走馬灯」の原理だ。
その状態であれば、人は己の潜在能力をすべて発揮できる。
たとえ骨折し筋繊維が断裂するほどの筋肉の過剰行使であろうとも、死ぬよりはマシだからだ。
死の淵を経て、
自暴自棄になり、自らの命などどうでもよく、ギリギリの戦闘でも心が動かない。
敵を倒せればよし。
倒せず殺されてもよし。
そのようなほどよい脱力は、適度な余裕を必要とする“絶影剣”に磨きをかけた。
脳内物質の過剰放出による相対時間の伸長感覚は、まさに“絶影剣”をより研ぎ澄ませるものだ。
そしてもちろん、部分的だが身体のリミッターを解除することで、本来はあり得ぬような筋肉の動きと出力を可能にしている。
本来は、大切なものを守るための業だったはずだ。
だが、守れなかったことで、先人たちですら到達できなかった境地に達したのは皮肉というほかない。
この力があれば、妻子を守れていただろう。
だが、妻子を守れなかったからこそ、この力を授かったのだ。
もはや復讐鬼となり果てて、適当に命を散らすほかあるまい。
こうして、奥義を極めたその先に達した復讐の鬼、
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