犬ころがゆく -9話

 「父上ぇーっ!」

 「お実代みよぉーっ!」

 「あなたぁーっ!」


 何度も何度も、リフレインする。

 決して消えない叫びと痛み。


 ・

 ・

 ・


 ここは、江戸のなかでもかなり活気がある地域。

 その四丁目。


 公共安全保障改方こうきょうあんぜんほしょうあらためがた、通称『公安』は、例の“剣士狩り”を捜査していた。



 「やはり今回も、凶器は刀。」

 「そして、これは公然の秘密ではあるが……。」

 「被害者は、幕府御留流『草陰流』の師範級だ。」

 「しかも、抜刀している。」

 「つまり……。」


 若い捜査官は、ゴクリ、と唾を飲む。

 言いにくいことを、言えずにいる。

 それをおもんぱかってか、中年の捜査官が言葉をつないだ。


 「つまり、剣士同士で戦って、負けちまったってわけだ。」

 「御留流の、しかも、師範が、だ。」


 すかさず、若い捜査官は割って入る。

 「師範“級”です! そこ、間違えないでください!」


 目が血走っている。

 この若い捜査官、実は幕府御留流『草陰流』のそこそこの実力者だ。

 「師範だったら負けるわけがない、負けるわけがないんです……!」


 乾ききって張りつくような喉から、辛うじて怒号を絞る。

 中年捜査官は、それをいなす。

 「まぁそう熱くなるな。それとも、知り合いか?」


 若い捜査官はうつむくが、その目は恐れと怒りに震えている。

 「いいえ。被害者と面識はありません。ですが、同じことです。」

 「『草陰流』に属する者なら、顔見知り、いや、家族も同じ。」

 「そして『草陰流』に歯向かうということは、幕府に、ひいては江戸将軍に歯向かうということ!」

 「決して、決して許してはおけますまい!」


 中年捜査官は、「いや、それは言い過ぎだろ」と思いつつも、言葉を飲み込んだ。

 若い捜査官の鬼気迫る雰囲気が、それを言わせなかった。


 「いや、それは言い過ぎってもんでやんしょ。」


 あっ! 誰だ、俺が空気を読んで言わなかったことを、わざわざ言いやがって!

 と、中年捜査官が思うのと同時に、強烈な違和感が襲った。

 「(こいつ、誰だ!?)」

 「(いやそれよりも、この封鎖網のなかをどうやってここに!?)」


 袴に着流し。

 腰に大小の刀を下げた、侍が一人。

 むしろ食い詰め浪人というか、武士……それも“野武士”というか、少し粗野な印象がある。

 その所作はしっかりと教育を受けた貴族のような気配をまとっている。

 そして、あろうことかその男は、名乗った。


 「拙者は、いぬい 一退いったいと申す。」

 「……と、言えば。察してもらえやすかね?」


 その言葉は、明らかに若い捜査官に向けられたものだった。

 若い捜査官は、たまらず激昂する。

 「貴様が……! 貴様が『草陰流』に歯向かう身の程知らずか!」

 「言い過ぎなものか!」

 「『草陰流』こそが、いまや幕府の中枢を掌握し、江戸幕府に光を灯す希望たる御留流よ!」

 「いぬい、いぬい……。」

 「ハッ!」

 「さては貴様、『乾無影いぬいむえい流』の生き残りか!」

 「後顧の憂いはすべて抹殺したと聞いているが……。」

 「まぁよい。いまここで、“正しい伝聞のとおり”に、貴様を抹殺し、乾なんとやらを地上から抹消してくれるわ!」


 中年捜査官は面食らっている!

 これは、このやり取りは一体!?

 幕府の、いやさ、御留流たる『草陰流』の暗部だとでもいうのか!?


 だが今度は、いぬい一退いったいが激昂する!!!


 「幕府に食い込み、権力をほしいままにし……。」

 「あまつさえ、それを希望とのたまうとは。」

 「その過程で、何人斬った!?」

 「どれだけの流派を、人の命を、幸せな家族を踏みつけにしたのだ!?」

 「『草陰流』、許さぬ! 絶対に許さぬ!!!!」


 次の瞬間!


 鮮血がほとばしる!

 若い捜査官は、腐っても幕府御留流『草陰流』の実力者。

 いわゆる“師範級”に届かんとする技量を持ち合わせている。

 だが。

 乾はすでに、“師範級”を何人も切り捨てている。

 箝口令が敷かれたため表に出てはいないが、実は“師範”も切り捨てている。

 “実力者”程度では、手も足も出ぬ。


 だが、最期の悪あがきはできたようだ。


 「グハハハ! 裏草陰の隠密には伝わったぞ!」

 「『乾無影いぬいむえい流』の忘れ形見よ!」

 「貴様はもう終わりだ!」

 「貴様の妻子と同じようにな!」

 「ハハハハッ!」

 言い終わると鮮血の勢いが落ち、同時に若い捜査官はくずおれた。


 「そこな御仁。」

 乾が、中年の捜査官に伝える。


 「ここで見たことは、誰にも言わぬがよござんす。」

 「『草陰流』の非道と……無様な死にざまを知った者を、幕府中枢の関係者が見逃すはずがありやせん。」


 言い終わるや否や、乾の姿はもうない。


 ・

 ・

 ・


 後日、中年捜査官は降格となり、警邏方けいらがたへの異動となった。

 事件についてなにも話さなかったからだ。


 いや、より正確には「話せなかった」のだ。何が起こったのか、理解できなくて。

 見ていたはずだった。

 だが、何が起こったか分からなかった。

 若い捜査官が刀を構え、なにか……防御のような……姿勢を取ったような気がしたが、次の瞬間には、斬られていたのだ。


 乾のほうは、一歩も動くことなく。

 刀の柄に手を触れた、ような、気がした。

 その瞬間、すでに若い捜査官は致命傷を負い、断末魔を叫んでいたのだ。

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