『ヤギさんどちら?』第-2話

 低く、くぐもったような、地獄の底から響き渡る声で彼女はつぶやいた。

 「執行を開始する。」


 立ち上がった彼女は、もはや小柄な女性ではない。

 白衣に見えるコートはモヤモヤと揺らめき、表面の色を変える。

 テカって見えた表面は、ラテックスのような光沢を帯び、それは完全に黒色となった。


 ゴキゴキと骨格が鳴る。


 筋肉が盛り上がる。


 頭一つか二つぶん、彼女は急成長した。

 そしてもはや、「彼女」ではなかった。

 「彼」となった。

 白衣のようなコートを着た「彼女」は、黒い執行服を身にまとった「彼」となっていた。


 ビグル神父は、ヤコブの息子、ヤコブソンを抱きかかえて家から現れた。


 「なんと。あなたが、『白ヤギ』であり、同時に『』でもあったのですか。」

 「ですが、関係ありません。」

 「ヤコブソンへの投与は終わりました。あとは、安静にしなくては。」

 「“”たち。彼女を、『ヤギ』を、殺しなさい。」

 「これからの世界には、不要な存在です!」


 ヤコブは大口径拳銃にリロードする!

 ジョンは偽装ショットガンを捨て、何の偽装もされていない、それ故により強力なショットガンに持ち替える!

 ヘンリーはその隙を援護するかのように、弾切れを恐れず機関銃を連射する!


 黒ヤギの防刃防弾コートには、ほとんど傷がつかない。

 だが、中身は無事ではない!

 それなりの衝撃を受けている!


 村で最初に『ヤギ』と接触した、あの面倒な老人がやってきた。

 彼はこの村の顔役だ。

 大勢の、血気盛んな村人たちを引き連れている。

 しかも、全員が重火器で武装している!

 『この時代』に存在しない物ばかりだ!


 「だから言ったんじゃ!」

 「さっさと帰れと!」

 「まったく、『黒ヤギ』のくせに『白ヤギ』に化けとるとは、とんだキツネじゃわい!」


 彼女、いや、もはや彼と呼ぶべきであろう。

 『黒ヤギ』の本性を現した彼は、こう思った。

 「(キツネじゃなくて、ヤギなんだけどなぁ……)」


 キツネは地方自治のための憲兵隊、『銀狐団ぎんこだん』のあだ名だ。

 彼らの狡猾さと“こすズルさ”を知れば、変装して潜入したくらいでキツネ呼ばわりなどは決してしないだろう。

 世間知らずの素人め。


 あの面倒な老人は、ブースターハンマーを持っている。

 『この時代』に存在しない武器なのはもちろんだが、いつの時代の武器なのだ!?

 なんだこの武器は!?

 なんだ、ブースターハンマーって!?


 「(やっぱりこのじいさん、めんどくせぇなぁ!)」

 彼は独りごちた。



 「やっちめぇ!!!」

 老人の号令で、村人たちが一斉に飛び掛かる。


 『黒ヤギ』は、フルフェイスマスクを被る。

 いわゆるドッグフェイスと呼ばれるような、口側が長く伸びている兜の一種だ。

 彼の場合は『ヤギ顔ゴートフェイス』とでも呼ぶべきであろうか。

 「執行を開始する!」


 『黒ヤギ』が殴りつけると、拳に仕込まれた打撃力増幅装置の炸薬が爆裂し、超振動と衝撃波を引き起こす。

 暴徒と化した村人たちを、殴りながら吹き飛ばしていく。


 それでも、恐怖を忘れた村人たちは、重火器を手に雪崩のように殺到する!


 防刃防弾コートが傷つくことはないが、中身は衝撃でダメージを受ける!


 打撃!


 銃撃!


 そのとき!


 ガツン、と、とんでもない衝撃が『黒ヤギ』を襲った。

 あの面倒な老人が、ブースターハンマーで殴りつけたのだ!


 「(ちくしょうが……めんどくせぇなぁ!)」

 血を吐き捨てながら、『黒ヤギ』が老人を目がけて突進する!

 ちなみに余談だが、超高性能ゴートフェイス兜は、中で吐き出した血液などをマスクのなかに停滞させることなく、効率的に排出できる!


 老人の脇腹に、爆裂衝撃波拳を叩き込む!

 が、老人は耐える!


 「(バカな、こいつ……まさか、強化人間か!?)」


 ブースターハンマーがもう一撃!


 「(クソッ! とんだ誤算だ。脅威レベルが足りなかった!! こいつら、大蛇オロチ程度じゃねぇ!!!)」


 「文明……脅威を……オゴッ」

 銃撃!

 もはやショットガンから散弾は放たれない。

 ショットシェルに1発だけが装填された、対大型動物用スラッグ弾だ! 一撃が重い!


 「脅威……を、竜、と、認定!」


 彼の網膜ディスプレイに『承認』の文字が浮かび上がる。

 腰の銃に手をかける!


 「(よくも、さんざんいたぶってくれたなぁ!)」

 横一線に斉射する。

 並の銃撃ではない。


 村人たちが着用している、麻の衣服に偽装された対衝撃防護服も、この強力な銃には成す術がない!

 瞬く間になぎ倒されていく。


 何発も爆裂衝撃波拳を打ち込んでも倒れなかった、あの面倒な老人も、これにはさすがにひるむ!


 「(ひるむ程度かよ、クソが! なんだあいつ、バケモンか!)」

 「執行!」

 「執行! 執行! 執行!」

 とにかく近寄らせないように連射する。


 脅威の科学力で作られた、信じられないほどの装弾数を誇る高威力拳銃だ!


 「うおおおお!」

 神秘的な権威を守るために、これまでほとんど言葉を発さなかった『黒ヤギ』が、気合を入れる!


 これまで実は、面倒な老人の右の脇腹に集中して爆裂衝撃波拳を打ち込んできたのだ。


 多少は効いているはずだ。そうでなければ困る。


 そこに、拳銃を直接押し当てる!


 老人もやられるばかりではない。ブースターハンマーで『黒ヤギ』の左側頭部を強打!

 だが密着するような近距離では、むしろ遠心力が重要となるハンマーは武器としての威力は落ちるのだ。

 「執行、執行、執行、執行!!!」

 銃を連射する!!!


 ・

 ・

 ・



 ビグル神父は、処置を施したヤコブソンを教会に運んだ。


 「ばれましたか。」

 教会に残っていた村長の息子が、話しかけた。


 「ええ。ばれましたね。」

 神父は答えた。



 その後を追うように、低い声が聞こえた。

 「やはり、ここが巣窟か。」

 ごまかしているものの、明らかに息を切らしている。

 『黒ヤギ』だ。

 しかしもはや、返り血で、そして己の血で、全身が赤く染まっていた。


 「村長の家で見た絵には、女の子が描かれていた。」

 「あなたが今、その腕に抱いているのは、男の子だ。」

 「そして、その男の子とあなたの顔が、あまりにも似過ぎている……。親子だからではない。」

 「“本人”だから、ですね。」

 『黒ヤギ』が問い詰める。


 村長の息子は、悲しそうな、しかしどこか、穏やかな顔で話し始める。


 「流行り病だった、と聞いています。」

 「母が亡くなった原因は。」

 「そのあと、父は村長として村をまとめる傍ら、私を育ててくれました。」

 「私は妻をもらい、娘ができました。」

 「ですが……。」

 「最初に娘が。あとを追うようにして、妻までもが。」

 「……亡くなりました。」


 「母を奪ったのと同じ、流行り病で。」

 「その病は、その病はね、『ヤギ』さん。」


 「“あなたたちの世界”では、すでに克服されていると聞きましたよ。」

 「私は、その病について詳しくは知りません。」


 途端に村長の息子は、悲壮感が増す。今にも泣きだしそうなほどに。


 「……詳しくは、知らないのですよ。教師を任されるほど勉強をしても。村で一番知識があっても。」

 「なぜ! なぜ、娘を助けてくれなかったのですか!」

 「妻を、母を、なぜ! なぜ!」

 「なぜ、それができる力がありながら、なぜ、その力を使ってくださらなかったのですか!?」


 話しはじめの穏やかさはすでになく。そこには、家族の喪失に慟哭する男の姿があった。


 『黒ヤギ』は理由を知っている。

 民衆に開示される知識には、制限がかけられている。


 『健全文化育成法』があるためだ。


 またの名を、『文明停滞法』。


 かつて、大きな戦争があった。

 科学の粋を結集して行われたその大戦争は、世界をあまりにも荒廃させた。

 その教訓から、生き残った者たちは文明を極端に発展させすぎないような仕組みを考えたのだ。

 それが、『文明停滞法』と『文明区画』による管理だ。


 世界を文明レベルごとに区切り、『時代設定』を設ける。

 その『時代設定』を、「現地人の発明以外」で突破しようとする物や知識を『飛躍』と称して排除する。

 ときとして、戦争の遺物など時代設定的にありえない物品や知識が見つかることがあるためだ。


 そして『時代設定』によっては、人類が過酷な生活を強いられることもある。

 この管理区画のように。



 村長の息子は、うつむきながら、強い意志とともに声を上げる。

 「神父様は。」

 「力を、使ってくださいました。」

 「娘は無理でした。」

 「ですが、息子を授けてくれました。」


 おそらく神父は、この『文明区画』より遥かに高度な文明が設定された『文明区画』の出身なのだろう。

 家族を相次いで失って消沈するこの男に、男自身の遺伝子からクローンを作り、“息子”として与えてやったのだ。


 神父が元居た区画では、それだけの文明をもつことを許されていたのだろう。

 高度な文明を下敷きにした知見によって、もしかすると『文明停滞法』の存在にも気づいたのかもしれない。

 その法律がもつ、信じられぬほどの欺瞞や傲慢にも。


 しかし、管理区域から出て、別の場所に文明を伝えることは違法だ。



 村長の息子のような者に「執行」するのは、非常につらい。

 だが、やらねばならぬ。それが職務であり、それが人類のためになると信じているから。

 ヤギは、そう信じ込まされているから。


 葛藤しながら銃を構えたヤギに、飛び掛かる影があった。


 ヤコブソンだ!!


 バカな、破傷風の痙攣けいれんからもう回復したのか!?


 ビグル神父は、恍惚としながら両手を広げている。


 「もはや、後には引けません。」

 「あなた方か、私たちか、どちらかです。」


 ビグル神父は、黒いモヤをまとう。

 ドス黒く邪悪な雰囲気が神父を包み……というような、比喩的な表現ではない。

 実際に、黒い瘴気の渦が、神父の周囲に集まる。


 そしてそれは、ヤコブソンにもまとわりつく。


 ヤコブソンは、瘴気をまといながら『黒ヤギ』に襲いかかる!

 先ほどまで破傷風毒素で死にかけていた10歳に満たぬ子供の力ではない!!!


 やむを得ない、やむを得ない判断だ!

 できるだけ威力を落として、衝撃波拳を打ち込む。

 だが、まったく効かない!


 そして、次の瞬間!

 ツノだ!

 ヤコブソンから、黒いツノが生えた!

 悪魔にも形容できるような、黒く禍々しいツノだ!

 だが、ツノだけではない!

 触手のようなものや、黒いモヤモヤした揺らぎのようなものも生えてきている。


 「“”よ」

 「我が“”たちよ!」

 ビグル神父がうわ言のようにつぶやく。


 『黒ヤギ』は、気づいた。

 忌々しい事実に。

 忌むべき真実に。


 「……ビグル神父。ヤコブソンくんに投与したのは、抗生物質ではないですね!?」

「まさか、村人たちにも……!?」



 ビグル神父の額からも、山羊のツノのようなものが生えてきている。

 背中には、モヤモヤした揺らぎが生まれ、翼に見えなくもない。


 「私こそが、“”たちの母。“”です。」

 「あなたのような、偽りの『黒ヤギ』など、この世界にはいらないのですよ。」


 ・

 ・

 ・


 神父が真の姿である『黒き母なる山羊』の正体を現すのと同じころ。


 『黒ヤギ』によって散々に蹴散らされた村人たちにも、変化が起こっていた。

 正確には、村人たちの死体だと思われていたモノに。


 それらは黒いモヤを放ち、ツノを生やし、再び立ち上がった。

 甦ったのではない。もともと、死んでいなかったのだ!


 ジョンもヤコブもヘンリーもジョシュアもアンジーも、あの面倒な老人までも!


 あれだけの「執行」を受けてなお、生きていたというのか!?


 ・

 ・

 ・


 「……対象文明脅威を巨竜と認定。」


 彼の網膜ディスプレイに『承認』の文字が浮かび上がる。


 どこからか、機械音声がアナウンスされる。

 「「次元断裂電磁螺旋リフトコイル装填セット」」

 「「次元断裂炉心駆動リフアクターエンジン起動ドライブ」」



 彼が着ているラテックスのような黒コートが、再びザワザワと色を変える。

 白い粒子と黒い粒子が入り混じる。

 それは見る角度によって姿を変える、多層構造の構造色を帯びた。

 白と黒が合わさって、まるで鈍色に輝く灰色だ。


 彼の身体が、縮む。

 元の女性の身体に戻っているわけではない。

 男性の肉体に宿っていた筋肉が、重量はそのままに圧縮されているかのようだ。


 『ヤギ』は、実は両性具有体だ。

 白ヤギの際は、女性の姿で人々に取り入る。

 黒ヤギの際は、男性の姿で執行を行う。


 白ヤギは調査官。

 黒ヤギは執行官。


 では、それらが合わさったハイヤギは?


 灰ヤギは焚書官。

 文明停滞法の実行者。


 白ヤギが通ったあとは、検閲されて文字が消された、真っ白の書物が残る。

 黒ヤギが通ったあとは、検閲されて塗りつぶされた、真っ黒の書物が残る。

 灰ヤギが通ったあとは、焚書されて焼き尽くされた、消炭の灰だけが残る。


 「「次元断裂銃リフトガン励起レイズ」」

 「「衛星軌道兵器サテライトウェポン終末杖ラグナロクロッド、認可します」」

 一連の承認シークエンスを示す機会音声。


 それに続いて、生身の人間の声も聞こえた。

 女性とも男性ともとれぬ、だが感情がこもった、生きた人間の声。

 そしてそれは、合成機械音声より何倍も不気味だった。


 「この文明記録を焚書します。」

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