『ヤギさんどちら?』第-3話

 教会。

 学校と並んで、地域住民の統制をとるために不可欠な施設だ。


 ゆえに、『調査官』たる『白ヤギ』の調査も綿密となる。

 そんな場所に出向くのだ。

 気が重くない、と言えば嘘になるだろう。


 「これはこれは、遠いところをわざわざ。」

 「私がこの教会の神父を任されています、ビグル=ユーシャンと申す者です。」


 多少慇懃な印象を受けるが、温和そうな人物に感じられる。


 「これはどうも、ご丁寧に。私がこの村を調査することになった『ヤギ』です。どうぞよろしくお願いします。」

 白衣にも見えるテカりのある素材でできたコートの裾を、まるでドレスのように持ち上げ、少しおどけた挨拶をする。


 案内してくれた村長の息子は、自分の息子と楽しそうに談笑している。

 その子は、昨日村を案内してくれた村長さんの孫にあたるわけだ。

 笑うと目元がソックリだ。村長さんの息子さんに。もちろん、村長さんにも。


 村長さんの家にあった家族絵に描かれていたのは、村長さんと、おそらく村長さんの妻、息子夫婦、そして“孫娘”だ。


 村長さんの妻が故人だというのは、聞いた話だ。

 息子さんの妻と娘には、まだ会っていない。


 今ここにいるのは、家族絵にはいなかった、村長さんの息子さんの息子さん。男の子だ。


 二人目の(あるいは子宝に恵まれて、三人目以降の)お孫さんなのだろうか。


 しかしきっと、血はつながっているだろう。

 笑うと目元がソックリだ。

 おどろくほどに。

 村長さんと息子さんは、少し似ている。

 そして今この教会で談笑している、村長さんの息子さんと村長さんのお孫さんの二人は……あまりにも、似すぎている。


 そんな違和感を胸に抱きつつも、彼女は聖書を検閲する。

 原典から抜粋され、「説教」のために用いられるテキストがある。それを検閲するのだ。


 「ここと、ここ。それから、ここも。」


 説教用テキストの表記を、修正液で消していく。

 「ここ。ここも。」


 次々と消していく。


 「ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。」


 怪しいところは多い。

 しかし、一般的な修正量だ。


 「だいたい終わりました。」

 ひと仕事終えた彼女は満足げだ。


 「さすがに消し過ぎですよ。」

 ビグル神父は、やれやれ、と大げさに被りを振って見せる。


 だが、仕方がないのだ。


 彼女は、申し訳なさそうに言い訳をする。

 「これもすべて、健全な文化を育成するためなのです。」

 「文化の『飛躍』は忌避すべきことです。」

 「すべては、人々が幸せに暮らすため。」

 「この思想は、教会での教えにも反していません。」

 「分かってください、ビグル神父。」


 神父は、少しだけ悲しそうな表情をした。


 そのとき。


 「て、て、て、てぇへんだぁ! てぇへんだ! てぇへんだ!」

 教会の扉が勢いよく開かれる。


 「ヤ、ヤコブんとこの坊主が……この前、はしごから落っこって骨を折っちまった坊主が!」

 「痛みで暴れてやがる!」

 「ぜんぜん治らなくて、みんな心配してただ!」

 「神父さん、なんとかしてくんろ!」


 なんということだ!

 教会に飛び込んできたのは、ヤコブ家のはす向かいに住んでいるジョンだ!


 ビグル神父と、そして『ヤギ』たる彼女は、状況を理解した。

 それはおそらく、痛みで暴れているわけではあるまい。

 痙攣けいれんだ。

 このままでは、ヤコブの息子、ヤコブソンは命の危険があるだろう!!!


 「……今すぐ行きます!」

 一瞬の逡巡しゅんじゅんののち、ビグル神父はカバンを抱えて飛び出した。


 彼女は悲痛な面持ちでついて行くことしかできなかった。

 『この時代』の文明レベルで、子供の骨折は……そして、怪我の後の痙攣けいれんは……残酷すぎる現実が待っている。


 医学的知識が乏しく、治療も最低限。

 “自然治癒を邪魔しないこと”が、最大の医療行為だった時代だ。

 当然だが、ワクチンも接種していない。

 出血しても輸血できない。

 麻酔はなく、外科手術はほぼ不可能だ。


 そしてその恐怖が、現実のものとなっていた。

 ヤコブの家に到着する。


 「ああ、おらが、おらが分かるだか!?」

 ヤコブは必死に、息子に呼びかける。

 10歳に満たない小さな体が、弓のように反り返り、硬直し、ブルブルと震えている。

 痙攣けいれんが始まっていた。

 おそらく、破傷風のショック症状だ。


 切削などの傷口から破傷風菌が体内に侵入すると、嫌気性生物である破傷風菌が酸素から遮断されることで活性化し、毒素を生み出す。

 破傷風毒素は、自然界でもっとも強力であるとされるボツリヌス毒素に次ぐ強さをもっているという。

 このショック症状を乗り切っても、待っているのは敗血症だ。

 骨折の予後も芳しくない。


 ヤコブの悲痛な叫びが空しく響く。


 とある時代では、教会関係者が医療行為を行うこともあった。

 職能が分離していなかったり、医療行為が正しく認識されずに医療行為と散髪が同列に扱われたりしていた時代だ。


 だがおそらく、彼らは医療行為のために神父を呼んだわけではあるまい。


 神父を呼んだということは……神父の本業である、「神頼み」か。

 祈祷や祈りが、“立派な医療行為”だった時代もあるのだ。


 あるいは。

 あまり考えたくはないが……。

 これから失われようとしている哀れな幼い命に、最期の安らぎを与えに来たのか……。


 ただただ、彼女は見守るしかできなかった。

 つらい。

 あまりにもつらい。

 幼い命が、必死に耐え……しかし、それはムダなことなのだ。

 散ってしまう定めだ。『この時代』では、しかたがないことなのだ。


 だが。

 様子がおかしい。


 ビグル神父を目にした途端、ヤコブはホッとした雰囲気で、胸をなでおろす。

 「神父さんが来てくれたぞ。もう大丈夫だぁ。」


 ジョンも同じだ。ジョンは、ビグル神父に促す。

 「さぁさ、神父様。いつもの通り、“抗生物質”を打ってやってくだせぇ。」


 抗生物質。


 その言葉を聞いた、彼女の、『ヤギ』の顔が曇る。


 「今。」

 「今、何と言った!?」

 地獄の底から響き渡るような、低く邪悪な声がした。

 それは、明らかに彼女から、『ヤギ』たる『調査員』の、彼女から発せられていた。


 ビグル神父はすべてを察し、やれやれ、といった様子だ。


 そして。


 ビグル神父は、観念した様子で両手を上げる。

 「何、とは?」

 「迷える“”に、救いの手を差し伸べるだけですよ。」

 「いつもどおりにね。」

 「一人の人間が、尊厳ある人間が。ただの感染症で死ぬなど。バカげている。」

 「この病は、とうに克服している。“人類”は!」

 「だが、“あなたがた人類”は、人々を選別し、切り分け、“我々人類”の側であるこの子を助けようとはしない。」

 「なにが健全な文明の育成だ。なにが調査だ! なにが検閲だッ!」

 「救える命を救おうとしない、そんな者どもに、人々の上に立つ資格などないッ!!」


 何かドス黒い気配が、神父の周囲に渦巻く。


 そして、同じくらい禍々しい気迫によって『ヤギ』も満たされていく。


 神父は、ついに命令した。

 「村人たちよ。その、紛い物の『ヤギ』を殺しなさい。」

 「我が可愛い“”たちよ!」


 ジョンは虚ろな目で、懐から大口径の拳銃を取り出す。

 セミオートマチック拳銃だ!

 当然ながら、『この時代』に存在するわけがない!

 容赦なく『ヤギ』に撃ち込む!


 ヤコブは、斧に偽装していた散弾銃をぶっ放す!

 『ヤギ』に至近距離で命中し、彼女は“くの字”型に折れ曲がって吹き飛ばされる!


 『ヤギ』はヤコブの家の外に、すさまじい勢いで転げ出た!


 ヘンリーはどこからともなく機関銃を取り出し、連射する!

 道路脇に落下した『ヤギ』を目がけ、精密な射撃で全弾命中させる!!!


 しかし!



 「……対象文明脅威を……」

 「蜥蜴トカゲ……いや……大蛇オロチと認定。」


 彼女の網膜ディスプレイには、『承認』の文字が浮かび上がる。


 低く、くぐもったような、地獄の底から響き渡る声で彼女はつぶやいた。

 「執行を開始する。」

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