『ヤギさんどちら?』第-4話
彼女が奇妙な世界で飛竜に襲われるより、数日前。
彼女は、至って普通の牧歌的な村にいた。
季節の頃は、夏から秋にかけてのもっとも過ごしやすい時期。
しかし、農家にとっては楽ではない。
一年のうちで一番重要な収穫と、家畜を養う飼料を確保せねばならぬ大変な時期だ。
冬支度を怠れば、簡単に一家は飢えて死ぬ。
せわしなく穀物や牧草を刈り入れる農家たちは、この村にやって来た彼女を認識している。
しかし、みな一様に、どこかよそよそしい。
それも当然。彼女はこの村にとってよそ者だった。
『この時代の者』は誰でも、生産階級であろうと貴族であろうと、よそ者には厳しいものだ。
そう設定されている。
村の者はみな、粗末な植物性の繊維を寄り合わせて作られた衣服を着ている。
麻布の服を着ていれば大したものだ。
一方で、彼女が着ているのは白衣にも見えるロングコート。
材質のせいで少しテカって見える。
明らかに見た目からして異質だ。
そして何より、彼女は『ヤギ』だった。
……言葉足らずの説明で読者諸氏を誤解させたとしたら、より正確な情報をお伝えすることでお詫びとしよう。
見た目や生物学的な分類が山羊なのではない。
『ヤギ』とあだ名される役職なのだ。
そしてそれは、概ね嫌われる役目だった。
「村長さんのところに案内してもらえませんか?」
村の顔役の老人が、小作人に指示を出していた。
そんな顔役の老人の手を止めさせ、彼女が尋ねる。
「フン! 権力のイヌめ、この村には何もないわい!」
「さっさと出ていくことじゃな!」
老人は冷たい。敵意がむき出しだ。
「(うーん、イヌじゃなくて、ヤギなんだけどなぁ……)」
彼女は心のなかで独りごちた。
イヌは治安維持のための警察組織、『
このような世間知らずの面倒な老人でも、仕事のためには協力してもらわなければならぬ。
「何もないなら、それでいいんです。」
「私はただの『調査員』の『
「ご協力いただけないと、困ったことになってしまいます。」
「例えば、本物の『イヌ』に出てきてもらう、とか……。」
途端に、老人の顔がヒリつく。
“正しい教育”が行き届いているか。
何か問題がある思想が育っていないか。
そういった『調査』を行う『調査員』。
それが彼女の生業、いわゆる『白ヤギ』の仕事だ。
まずは村長と面会し、村の状況や教育機関について教えてもらわぬことには、肝心の調査ができぬ。
「フン!」
「だったら、さっさと調べて、さっさと出ていくことじゃな!」
「この道を真っ直ぐ行って、突き当たりの看板に従え。あとは道なりに行けば、村長さんの家があるわい。」
相変わらず敵意がむき出しの、めんどくさいご老人である。
しかし、権威をチラつかせることで命令に従わせることには成功した。
警察組織である『鉄犬隊』に出張って来られて、痛くもない腹を探られるのは、この村にとっておもしろくないだろう。
もちろん、彼女に『鉄犬隊』のイヌどもを呼ぶ気はさらさらない。
余計に引っ掻き回されて、やはり彼女にとっても面倒なことになるからだ。
そんなことを考えながら歩き続け、太陽が中天を過ぎるころ、村長の自宅に到着できた。
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「遠いところを、良く来なすったねぇ。さぁ、お茶でもどうぞ。」
村長さんは、面倒な老人ではなかった。
気さくで話しやすい。
柔和な人となりで、優しく迎え入れてくれた。
『ヤギ』をしていると、こういった人間の温かさに触れる機会は少ないものだ。
同時に、こんなにも優しい人に辛い経験をさせてしまうこともある。
胸が締め付けられる思いだった。
「ありがとうございます、村長さん。」
「さっそくですが、本題です。」
「この村の学校を見学させてください。」
村長の手が止まる。
「学校、ですか。ええ、いいですよ。」
「明日からでよろしいですか?」
「うちの息子がね、教師をやっているんですよ。」
「午前中だけ開校していましてね。」
「今日の夜、話をつけてみましょう。」
手だけでなく、言葉も止まった。
一瞬。
だが、すぐに続きを話し始める。
「ですが……学校を。ですか。」
「何か、その……。問題でも?」
少しばかり村長は不安げだ。
無理もない。
ヤギが息子の職場を調べるのだ。
何か問題があれば大ごとになる。
村長は不安げに続けた。
「男手一つで育てた息子です。」
「母を……私にとっては妻ですが……早くに亡くしてから、さみしい想いもさせました。」
「でも、まっすぐに育ったいい子なんです。」
「何も。何も、問題はないと思います。」
村長の不安が痛いほど突き刺さる。
彼女は言葉を選んで答えた。
「基本的には、問題がないことを確認するための調査ですから。」
「どうぞ、ご安心ください。」
しばし談笑する。
夜がふけていく。
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深夜。
村長は、独り眠れずにいた。
「ヤギが来たよ。白ヤギだ。どうか、私たちを守っておくれ。」
村長が胸に抱きかかえる家族絵のなかには、村長と同じくらいの中年の女性と若い男女、そして女児が描かれていた。
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翌日、昼。
「やぁ。父から話をうかがっていますよ。」
「どうぞ、こちらへ。」
20代後半の爽やかな男性。
どこかやつれたようにも見えるが、それは『この時代の者』であれば普通だ。
栄養が十分ではないのだから。
彼女は案内されるがままに学校を見学した。
静かで、落ち着いた子供たち。
行儀がよく、みな礼儀正しい。
そして彼女は、仕事を始めた。
「テキストの検閲」である。
本来『この時代』に「紙製の書物」は存在しないはずだ。
だが、教育に関わる場合のみ特別に認可されている。
いわゆる、政府管理の官製品テキストだ。
しかし。
彼女は目ざとく見つける。
「ここと、ここ。それから、ここも。」
授業で用いるテキストの表記を、修正液で消していく。
「ここ。ここも。」
次々と消していく。
「ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。ここも。」
どんどん消していく。
村長の息子も、さすがにドン引きだ。
「い、いやぁ、調査官さん。これは、さすがにちょっと。」
「消し過ぎでは???」
これが、白ヤギが『白』たる由縁。
白ヤギが通ったあとは、検閲されて文字が消された、真っ白の書物が残る。
「だいたいこんなものですね!」
ひと仕事終えた彼女は、満足げだ。
「教育内容には問題はありませんでした。」
「ですが、自然科学の内容に『飛躍』が見られました。」
「初期の理論に『飛躍』が見られて、その理論を土台にしているので、それ以降の理論はすべてダメです。」
「教育テキストは、既存の物は破棄して、新しい物を再発注してくださいね。」
「もし、次の『白ヤギ』が調査に来たときに直っていないと……。」
ここで彼女は、言葉を区切る。
そして、めいいっぱい恐ろしい声色で告げた。
「……『
村長の息子だけではなく、ほかの教師も同席している。
彼ら全員が、ゴクリ、と息をのむ。
黒ヤギとは、検閲の『執行官』。
黒ヤギが通ったあとは、検閲されて塗りつぶされた、真っ黒の書物が残る。
調査官は、調査の片手間に「問題がある思想」や「知識」を消して回る。
修正の余地がある「白い塗りつぶし」だ。
生まれた余白には、何か別のことを書き入れる余地がある。
この時点で白ヤギの指導に従うのであれば、大きな問題にはならない。
しかし、黒ヤギに
黒ヤギの検閲は、「黒」で行われる。
完全なる否定の意味合いを込めた「黒い塗りつぶし」だ。
それをされた自治体は、基本的に解体される。
思想や知識は抹消され、伝えられることはない。
そんな張り詰めた空気を、彼女が打ち破る。
「……んまっ! そんなことにはならないと思いますけどね!」
「さて、次は教会です! どなたか、この村の教会に案内してくださいませんか?」
村長の息子が手を上げる。
「それなら、私が。ちょうど、息子の顔も見たいと思っていましたので。」
彼女はそれに従った。
「(あれ? 息子? 村長さんの家にあった家族絵の幼児は……あの特徴は、おそらく女の子……では?)」
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