六、神の降臨
二日後の朝だ。関羽の軍勢が
「憂慮されるには及びません。この刀と弓で、千人来れば千人屠りましょう」
口が曲がりそうだ。私が韓玄にこう言うと、一人の男が進み出てこう言った。
「将軍のご出馬には及びません。私が関羽を生け捕りにしてまいりましょう」
なんでだよ。
夕方には関羽の軍勢の接近が城から目視できるようになった。一人の騎兵が槍の先に楊齢の首級を刺してかかげている。ひどいことをするじゃないか。本当に手加減する気あるのか。韓玄は城壁の上から寄せ手を眺めると、
「どういうつもりで迫ってきているかは明らかです。賊が陣を整える前に問答無用で突撃して下さい」
と私に命じた。
敵が城下に到達する前に門前に方陣をしく。塢に合図を送れば別働隊も出撃するはずだ。さてどうするか。八百長を演出するのも面倒だから普通に全力でやろう。どうせ全力でやってもかなわない相手なのだそうだから。
陣形を
「あなたが黄忠将軍か」
赤い大きな馬に赤ら顔の大きな人間。馬の尾のような豊かな
「私の名を知っていながらなぜ境界を犯してきた」
「あなたの首を取りにきたのだ」
言いながら長刀を振ってきた。嘘だろ。一騎打ちか。刀をかわして潜り込み、刀の向かう方向に一撃を入れて体勢を崩させようと試みる。びくともしない。さっと上体を引き素早く突きを入れて来る。またかわす。防戦一方だ。こちらが寄れば引いて行き、長刀の間合いから打ってくる。隙がない。離れて弓でしとめたいところだがこちらが引くと寄って来て間合いから抜け出せない。嘘だろ。関羽の長刀は私にかすりもしないが私の刀も関羽の長刀の柄を打つばかりである。本気でやっているのだが傍からは遊んでいるようにしか見えないだろう。
日が落ち薄暗くなってきた。城から退却の
一夜あけた。今日は魏延を副将として付けて行く。昨日は関羽に目前に迫られて部隊の指揮が取れなかったため、今日はこちらの動きには構わずに兵隊同士の会戦を魏延に指揮してもらうことにした。塢の別働隊と挟撃すれば関羽の部隊は散るだろう。出撃の準備をしながら魏延にたずねる。
「昨日文長は城壁の上から見ていただろう? あの赤いやつはどうやって鶴翼を抜け出してきたんだ?」
「無人の境です。湖の上を泳ぐ白鳥のようでした」
「化け物だな、あれは。でかいし。人間じゃない」
「怖気づいたんですか?」
「彼を知り
なるほど、諸葛亮の狙い通りだ。黄忠将軍がかなわずに怖気づいているとなれば長沙の官民は震え上がることだろう。
さて開戦だ。今日は魏延に指揮を任せて私は後方から見ることにする。魏延が陣を進め始めると関羽はまっしぐらに私のところへ馬を馳せ、その勢いで突いてきた。危ない。どうなってるんだ。頭がおかしいのではないか。魏延は敵の騎兵をうまく押している。塢の別働隊も出てきたようだ。関羽は見向きもせずに私に猛攻をかけてくる。この男、本気でおかしい。自軍が潰走しかけているのにおかまいなしだ。
関羽がさっと馬を翻した。さすがに戦況が気になったのか。私も馬を走らせて関羽を追う。弓を取ってもいいがこの距離なら刀のほうが早い。刀を振り下ろそうとしたその刹那、私は前方の地面めがけて吹っ飛んだ。馬がつまずいたからだ。さっと上を見ると関羽が頭上で長刀を振りかぶっている。……この体勢で八百長は不可能ではないか?
「命ばかりは助けてやる。さっさと馬をかえて来い」
なんだそれ。
あの体勢から私を殺さずに済ますことは明らかに不自然だ。関羽も困ったことであろう。城内へ戻る。韓玄は城壁の上に立って戦況を見ている。白銀の甲冑、緋色の袍、三尺の宝剣。それで夕陽に目を細めながら遠くを眺めている。出来過ぎである。私の上って行くのに気づくとこちらを向いた。
「馬が久しく戦場に立っていなかったためしくじりました」
聞かれてもいないうちから弁解してしまった。
「私の青毛を使って下さい。曹公が
そんな馬を持っているとは。やはり五色棒の子分なのだな。韓玄は小首をかしげながら遠慮がちに語を継いだ。
「軍事に関しては素人なので恐縮ですが……」
「なんでしょうか」
「将軍の弓の腕は百発百中ですね。弓でしとめるわけにはいかないのですか?」
「ごもっともです。なかなか間合いが取れませんでした。明日は撤退すると偽って吊り橋の近くまで誘き寄せて振り向きざまの矢で仕留めます」
さてさて、そんなことが可能だろうか。関羽を射殺すわけにもいかず、射なければ軍令に背くことになる。どうしたものか……諸葛亮は本気でやってもいいと言っていたから本気で射ても大丈夫なのだろうか。私の矢をよけられる人間などいるのだろうか? しかしあいつは「神」だからな……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。