三、弾劾状

 帰りが遅くなった。家路を急いでいると、荷物を満載している馬車と行き合った。

「ああ、黄将軍」

りゅう従事じゅうじ、すごい荷物ですね」

劉従事は舌打ちをした。

「私はさっき従事をやめましたよ。これ役所にあった私物です」

「何かあったのですか?」

「あのばあさんが毎日うったえている事件ですがね、あれを調査しろと韓玄から言われたんですよ、私に。いやいやいやいや、誰があんな事件に関われるものですか!」

「なるほど」

「出世を狙って役所勤めを頑張っていたんですけどねー! いやぁ~、残念だ! 太守が代わってからまた仕切り直しだな。早くやめてくれないかなあの人。まあ、あの調子ならすぐに誣告されて失脚するでしょう。退庁前に将軍にご挨拶にうかがおうと思っていたんですが遅くなってしまって。いまお目にかかれてよかったです。今後ともよしなに」

劉従事は賢明である。甲家はもとは某地域の港湾を牛耳っていた一族で、今では商取引や建設にも噛んでおり政界にも人材を輩出している。甲一族に睨まれたらこの長沙では道を歩くことすらできないだろう。区区たる役職にしがみついて火中の栗を拾うことはない。

 韓玄が調査を命じたところで誰もまともには取り合わないだろう。放っておけばいい。


 二ヶ月が経った。韓玄の着任以来、毎日誰かが辞任したり起訴されたり獄に繋がれたりしている。こんな恐怖政治下でありながら年の瀬の街にはこれまで感じたことのないようなのびやかな空気が流れている。道を行く庶民が何かに追われるような表情をしていない。有力者たちが非合法な搾取をしづらくなったからかもしれない。

 有力者たちはみな韓玄の失脚を願っている。連名で韓玄の非をあげつらう訴状が何度か出され、監察もやってきたが何も起こらなかった。韓玄の馬車が何者かに破壊されたり屋敷で不審な出火があったり飼っている鶏が全部殺されたりといった事件があったが韓玄の態度が変わることはなかった。

 事態が動いたのは年が明けてからである。甲家の事件が官憲に隠蔽された経緯について匿名の内部告発があった。誰か韓玄の執務態度にほだされた大馬鹿野郎がとち狂ってやったことだろう。馬鹿野郎。これで長沙は血の海になる。


 朝廷からの叙任を受けている県令級の人物がからむ事案となるため、韓玄は弾劾状を書いてていへの発送を試みた。一度目の使者は「盗賊」の襲撃を受けて片腕を失い、二度目の使者は「異民族の騒乱」に巻き込まれて行方不明になった。

 それから一ヶ月。桃の花が咲いている。武官の後輩のえんと花見の相談をしていると、韓玄が子馬のような足取りで近づいてきた。こちらから礼をすると、あざやかな藍色の絹を着て満開の桃を背にした韓玄が優美なしぐさで礼を返してくる。出来過ぎである。

「お話中にすみません。急ぎではないのですが」

「どうされましたか」

「一つご相談がありまして」

何だか知らないが絶対に嫌だ。

「なんでしょう」

「某案件の弾劾状の発送が二度失敗しているのはご存じでしょうか」

「存じております」

「少々治安が悪いようですので軍の護衛を付けて送りたいと思うのですが」

太守には軍権があるとはいえ実質的には私が掌握しているから「ご相談」なのだろう。

「もうやめたほうがいい!」

怒鳴ってしまった。

「やめろとは」

「――軍が出動すれば戦争になってしまいます」

「なるほど。もっともですね。ご放念下さい。お話中に失礼しました」

こともなげに言うと、いちゆうして燕のように身を翻して帰って行った。

 私が肩とひげを震わせながら鼻でふうふうと息をついていると、魏延が横で冷笑を浮かべている。

「……ぶんちょう、府君のことをどう思う?」

「現実が見えていない青二才です。死んだほうがいい」

この発言にはおかしいところが二つある。一つは魏延のほうが十歳ばかり年下であろうのに相手を青二才と呼ぶこと、二つは青二才なら育ててやればいいだけなのに死んだほうがいいという結論になることだ。この発言の前提には、魏延のほうが精神面で老成しているという自負が魏延にあることと、魏延は韓玄の頑迷さを死んでも治らないものだと考えていることがあるのだろう。言葉足らずのまま結論をぶつけてくる話し方は魏延の欠点だ。

「前提と結論との間に飛躍がある」

「韓玄は平生から性急で軽率に人を処断し皆の恨みを買っている。放っておいてもすぐに死ぬでしょう」

教えてくれよ。韓玄を恨んでいる皆というのはどんな皆のことなのか。本当に恨まれるべきなのは一体誰だ?

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