第6話 キャロラインの秘策と動揺

 私がブランドン殿下とやってきたのは、商会の本社近くにある大衆食堂でした。

 店内の客は、商業地区で働く平民たちがほとんどです。

 そういう意味では、私と殿下は他の客たちから浮いていました。


「店選びに時間をかけるよりも、近場で少しでも長く話したいと思ったのでこの店にしましたが……やはりブランドン殿下をお連れするには失礼だったでしょうか」


 二人がけのテーブル席に座りながら、私は後悔を口にします。


「いや、場所は問題じゃない。こちらの目的はキャロライン嬢と会って話すことだからね。その時間を少しでも長くしたいという心遣いは、私としても嬉しく思うよ」

「そうですか……? それなら何よりです。私も事業の話をたっぷりとしたいですから」

「はは、事業の話か……まあそういう名目で会いにきたのだから当然ではあるが」

「……? はい、ありがとうございます」


 ブランドン殿下が寛容な方で助かりました。


「それにしても、大衆食堂か。こういう店が増えてきたのもここ数年の話だよね」

「食と経済に余裕が出てきたからでしょう」

「自分のおかげだと言わないあたりは、さすがといったところかな」

「私としては、平民たちの暮らしが豊かになっているのは、殿下のおかげだと思っています」


 ブランドン殿下は平民のための学校や孤児院をいくつも運営していることで有名です。

 身分によって貧しい目にあう民をなくすことが目的だと聞いたことがあります。

 その辺りも、こうした大衆食堂に抵抗がない理由なのかもしれません。


「農業改革が成功したのも、王族である殿下の協力があったからこそです。私のような小娘一人では成功することはなかったでしょう」

「民のための事業であれば、私は王族としての責任を果たすため、協力を惜しむつもりはないさ」


 ブランドン殿下は朗らかに笑います。

 殿下とは今回、改めて共同事業者として手を結ぶ約束をしましたが、以前から協力的な関係を築いていました。


「それで? 次はどんな事業を私に手伝わせようと言うのかな」

「実は、砂糖の販売に手を出したいと考えているんです」

「砂糖か……これはまた、あからさまに公爵家を狙い撃ちするんだね?」

「私だって、黙ってやられたままのつもりはありませんので」


 現在、王国では砂糖の原料となるサトウキビが収穫できるのは、南部一帯を領地に持つアドニス公爵家の領地だけです。

 元々、気候や風土の問題で栽培可能な土地が国内に限られていたというのもありますが、公爵家が元老院で自分に有利な法案を通し、サトウキビの栽培を許可制にしたことが最大の理由でした。

 その法案を根拠に、公爵家の領地での栽培には元老院が許可を出し、他の貴族の領地での栽培については不許可とすることで、公爵家はサトウキビを独占しました。

 公爵家は貴族の中で最大派閥を築いており、その力は国王陛下でも抑えられない場合があるほどになりつつあります。

 砂糖の件も、その一つでした。

 よって王国で砂糖を入手しようと思ったら、公爵家の息がかかった商会から購入するか、国外から輸入する必要があります。

 しかし国外から輸入する場合は高い関税が上乗せされるため、実質的な選択肢は一つです。

 つまり王国内では、アドニス家が実質的に砂糖の専売を行い、利益を独占していました。


「しかし、売るための砂糖はどうやって手に入れるつもりかな?」

「サトウキビの代わりとなる原料を使って製造します」

「代わりの原料……? そんな物が存在するのかい?」

「はい。それは殿下の管理する直轄領の名産品です」

「私の領地に……? 心当たりがないな」


 ブランドン殿下は難しい顔をします。


「甜菜です。殿下の領地には甜菜の畑がたくさんあるでしょう?」 

「確かに大量にあるが……あれはほうれん草のような野菜だろう」

「はい。この国では葉っぱの部分が野菜として消費されていますが、実は甜菜の根は甘いんですよ」

「そうなのか……?」


 私の説明に、ブランドン殿下は目を丸くします。


「はい。他国では実際に、甜菜の根が砂糖の原料として使われていたりもするそうです」

「なるほど……それも独自の情報源から得た話かい?」

「独自の情報源というと大げさな気がしますが……そうですね。以前、遠い西の国から来た使節団の方と話をした時に聞きました」

「やはり、君らしいな。他の貴族たちは、あの客人たちを蛮人扱いして近づこうともしなかったのに」

「人を見た目で判断して接触を拒んでいたら、その分商機を逃してしまいますからね」

「はは、さすがだ」


 2年ほど前に遠方の国から使者が来訪した際、他の貴族たちは肌の色や言語の違いを理由に、使者たちを恐れるか見下して、皆交流を拒んでいました。

 しかしそれではもったいないと思った私は言葉が通じないなりに意思疎通を図った結果、使者の方たちが心を開いてくれたおかげで、王国にいるだけでは得られない知識を得ることができました。

 砂糖の原料に関する知識もその一つです。


「とにかく、やりたいことは分かった。私と手を組みたい理由もね。領地の農産物が目当てというのは少し寂しい話ではあるが……」

「ご安心ください。この事業は私だけでなく殿下にとっても利点があります。公爵家による専売を切り崩し、流通量を増やすことで、砂糖の価格を下げることができますから」


 私はこの話は両者にとって利のあることだと説明しますが、それでもブランドン殿下はどこか残念そうな顔をしています。

 

「何か、事業について納得がいかない点がありましたか?」

「いや、事業については問題ないよ……」


 ブランドン殿下はなぜか苦笑します。

 よく分かりませんが、私は話を続けることにしました。


「実は、砂糖の販売に合わせて菓子店も展開しようと思っているんです」


 そのまま私は説明を続けます。

 砂糖が安価に手に入れば、材料費を抑えられます。

 その分を人件費に回して高い給与と待遇を用意することで、他所から優秀な菓子職人を引き抜くことが可能です。

 更に、店舗を複数展開していく中で大衆向けの店舗も用意したいと考えています。

 そんな話をしました。


「やはりキャロライン嬢はなんだかんだで民のことをよく考えているな。今は菓子の値段が高くて平民たちはなかなか買うことができないが……君の言う事業が実現すれば、国民の暮らしは更に豊かになるだろうね」

「平民のことを考えていると言うよりは、先行者として利益を得たいだけです。最近ではこの大衆食堂のように、平民たちに食文化を楽しむ余裕が出てきていますから。大衆向けの製菓業を他の商会や貴族よりも先に展開できれば、とても儲かると思います」


 そう。

 私の目的は、私と敵対しフェアチャイルド家を乗っ取ろうと目論む公爵家の既得権益を奪うことで力を削いだ上で、自分が利益を得ることです。

 その際に王弟殿下という強力な共同事業者と手を組むことで、後継者争いにおける強力な後ろ盾をも手に入れようという、あくまでも自分本意な目的があります。


「第一、平民のためにいいことをしたいだけなら、殿下に甜菜が砂糖として使えることを教えるだけでいいですから。わざわざ事業に絡もうとする必要はありません」

「いや、そんなことはないさ。私には販路も加工方法に関する知識もないからね。だからこそ、私とキャロライン嬢が手を組むのだろう? 私たちは、お互いに必要だが不足しているものを持っているということだ」

「まあ、それは一理ありますね……では私と殿下は、お互いの利益のために手を組むということで」

「ああ。君がその方がやりやすいなら、そういうことにしておいてくれ」


 ブランドン殿下は柔らかく微笑みました。

 商談がまとまって嬉しいのでしょうか。

 私はもちろん、今とても気分がいいです。



 私とブランドン殿下は事業についての説明と食事を済ませた後、店を出ました。

 

「では、詳細な契約書は別途用意しますので、その時に署名をお願いいたします!」


 私はいつもより少しばかり上ずった声で、殿下にそう告げます。

 我ながら、頬が緩んでいるのが分かります。

 ふふ……これから得られる大金のことを考えると、笑みが抑えきれません。 


「そうだね。なるべく早く契約書に署名を交わせるといいな」

「私としても、事業を円滑に進めるためには同じ気持ちです」

「それもあるけど、私としてはキャロライン嬢に会える理由がまた一つできたから、早いに越したことはないと思ってね」


 ブランドン殿下は私の目を真っ直ぐと見据えながら、そんなことを言います。

 こんな風にじっと見つめられると、目が離せなくなってしまいます。

 あれ。

 気のせいか、心臓がどくどくと、高鳴っているような気が……。

 そのせいなのでしょうか。


「そ、そういうことでしたら……別に契約をする時以外でも、会いたいのでしたら言っていただければ、都合がつく限りは応じますよ?」


 私はつい、柄にもないことを口にしてしまいます。


「そうか。それはとても嬉しいことを言ってくれるね」

「嬉しい……ですか?」

「ああ。キャロライン嬢は、私と会う機会が増えたらどう思うか、聞いてもいいかな」


 な、なんでしょうか、その変わった質問は。

 一瞬だけ私は戸惑いましたが、自分でも意外なほどあっさりと、答えが出てきました。


「私も嬉しい……と思います。多分、きっと、おそらくは」

「ははっ。珍しく曖昧な言い回しだけど……今はその言葉と、真っ赤な顔を見ることができただけで満足するべきだろうね」


 真っ赤な顔。

 それは私のことでしょうか。

 ふと、近くの店の窓を見てみました。

 なるほど。

 確かに私の顔が、自分でも見たことがないくらい真っ赤になっていました。


「さあ、商会の本社まで送ろう。きっと君には、この後もやることが山積みなんだろう?」


 ブランドン殿下はエスコートを申し出るように、私に手を差し出してきます。

 私はおずおずと、その手を取るのでした。

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