第5話 王弟殿下がやってきた

 翌日、お昼前。

 私は王都の商業地区の一等地にあるフェアチャイルド商会の本社にいます。

 まだ代理の立場ではありますが、私は商会長の執務室にて書類に目を通していました。


「昨夜のパーティーのことが新聞の記事になっていましたね」


 秘書のリナが新たな書類の山を私の机に置きながら、そんな話をしてきます。

 今朝の新聞では、私が話題の中心になっていました。

 王国で一番の財力を持った貴族の後継者候補であるキャロライン・フェアチャイルドが婚約破棄した、あるいはされたこと。

 婚約者であったヴィクター・アドニスとは対立しているらしく、妹であるクラリスと後継者の地位を争っていること。

 前の婚約者に代わって、王弟であるブランドン殿下との親密な関係が噂されていること。

 などなどが記されていました。

 最後の話題はやや脚色が強めな印象を受けましたが。

 

「読んでいて思ったのですが……新聞の記事はどちらかと言えば私に好意的な論調でしたね?」

「きっと、民衆はキャロラインお嬢様こそが自分たちの味方となる存在だと理解してくれているんですよ」


 王国では近年、識字率が上昇しており、貴族だけでなく平民も新聞を読むようになりつつあります。

 記者の中にも、平民出身の者が増えていると聞きました。


「彼らからすれば、私は商売をして金儲けをしているだけの貴族にしか見えない気がするのですが」

「確かにお嬢様は『これは平民のためだ』とアピールして行動するようなことはありませんが……お嬢様やフェアチャイルド商会の事業のおかげで生活が豊かになっていることを平民たちは実感しているんです。もちろん、私を含めてです」


 リナは私に優しげな笑顔を向けてきます。

 確かに近年、平民の生活水準は急速に上昇しています。

 その要因は、農業改革によって収穫量が激増したことと、フェアチャイルド商会が身分に依らない人材の採用を行うようになった影響が大きいとされています。


「ふむ……元々は私自身の利益のために行ったことのつもりでしたが、こういう形で得をすることになるとは思っていませんでした」

「まったく、お嬢様は素直じゃないですねー」

「その言い方ではまるで、私が照れ隠しをしているようではないですか」

「あれ、違いましたか?」


 リナはからかうような調子で言ってきます。


「……重要なのは、過去の実績ではなくこれから何を為すかです」


 私は返答を避けて、露骨に話題を変えます。


「これから……と言えば、噂の王弟殿下との関係はどうなんですか? 昨夜のパーティーで会いたいとおっしゃっていたのは、あの方のことだったんですよね?」


「まあ、悪くはないですね。共同事業者として手を結ぶ約束を取り付けることはできました」

「共同事業者、ですか。婚約はしないんですか?」

「昨日も言いましたが、殿下とはそういう目的で接触したわけではありません」

「えー」


 なぜかリナは不満そうな声を漏らします。


「殿下とは婚約しなくても、そういう噂が取り沙汰されている上で共同で事業を行えば、後継者争いの後ろ盾としては十分です」

「そうなんですか? それだけでは、アドニス公爵家を牽制するには少し不安な気もしますが……ここはやっぱり婚約を」

「肝心なのは、殿下と行う事業の内容です」


 やけに食い下がろうとしてくるリナに対し、私はきっぱりと告げます。


「うーん、もっと恋愛して胸がキュンキュンしているようなお嬢様を見てみたかったのですが……」

「き、きゅんきゅん……?」

「でも、確かに事業の内容というのも気になりますね。てっきり王族だからという理由でブランドン殿下を選んだのかと思っていましたが、あの方と立ち上げたい事業が決まっていたり?」

「もちろんです。公爵家が独占する権益を切り崩すいい案がーー」


 私がリナに事業の内容を説明しようとしたその時。

 執務室の扉がノックされました。


「どうぞ」

「失礼いたします。キャロライン様にお客様がお見えです」


 入ってきたのは、副商会長であるロイです。

 現在は私の右腕的な存在として共に事業を運営していますが、父と同い年で元々は私の教育担当だった方です。

 リナのお父上でもあります。


「お客様? そんな予定はなかったと思うのですが……」


 私は今日のスケジュールを思い返しますが、記憶にありません。

 しかも、窓口担当の者ではなくわざわざロイが来客を伝えにきたというのも気になります。


「ひとまずお会いされた方がよろしいかと存じます」

「貴方がそこまで言うのでしたら、この部屋にご案内してください」


 私がそう告げてすぐ、お客様が執務室に入ってきました。


「やあ。いきなり来てすまないね」

「ブランドン殿下……?」


 入ってきたのはなんと、ブランドン殿下でした。

 王都の中央にある宮殿で過ごされている方が、そこからかなり離れた商業地区のこの場所に共を連れずにくるとは驚きです。


「本日はどうされましたか?」

「昨日言っていただろう? 近日中に事業についての詳細な話がしたいと」

「それでわざわざお越しいただいたのですか」

「ああ。ちょうどお昼時だし、食事をしながらでもどうかなと思ったんだ。急に押しかけてしまったし、忙しいようなら機会を改めさせてもらうけど」


 私はこの後、人と会う予定はありません。

 書類の確認や決裁といった業務は残っていますが、それは後からでもできます。


「分かりました。支度をしますので、少々お待ちください」


 そうして私は、ブランドン殿下と一緒に昼食に出かけることになりました。

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