thunderbolt

きみどり

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熊代くましろってホント優しいよね!」

 そう言われて、ボクは曖昧な笑みを浮かべた。


 ボクは優しいらしい。

 よくそう言われる。


 いろんな人から何度も言われるのだから、みんなはボクのことを優しいと思っているし、ボク自身もボクは優しいのだと思っている。


 でも、どうしてだろう。


 優しいと言われるほどに、ボクの心は不透明になっていく。

 まるでガラスが結露するみたいに。



 音楽室に移動しながら、ぼんやりと窓の外に目を向けた。

 誰もいない運動場の上空には灰色が垂れ込めていて、昼だというのにうす暗い。


 予報によると、今日はこれから荒れるらしい。






「みんなには音を使って表現をしてもらいたいと思います」


 先生の指示で、ボクたちは音楽準備室から様々な楽器を運んだ。

 大太鼓、小太鼓、木琴、鉄琴、ペダル付きの鉄琴、合わせシンバル、スタンドシンバル、マラカス、筒、二本組の木、パチンコ玉がいっぱいついた持ち手のあるよくわからない楽器、などなど。

 再び着席すると、ボクたちは打楽器のオーケストラと向かい合うみたいになった。


「協力ありがとう! さて、みんなには表現をしてもらうわけですが、テーマは……」


 そこで先生が、チラリと意味ありげに窓の外を見た。

 つられて目をやれば、黄土色だった校庭が焦げ茶に変わっていた。


 あ、いつの間にか降り出したんだ。


 と気づいた刹那、ドオーッという音とともに、糸のようだった雨が豹変した。

 バケツをひっくり返したような降り方に、あちこちにみるみる大きな水溜まりができ、川ができる。

 猛烈に降り注ぐ雨粒は泥を抉り、水面を砕き、まるで地上をタコ殴りにしているみたいだ。


「雨――」


 先生が言ったところで、白い閃きに世界が一瞬切り取られた。

 教室内に何人かの女子の悲鳴があがる。


 その後たっぷりと余裕をもって、ゴロゴロという音が値踏みするように追いかけてきた。

 獣の唸り声みたいなそれが収まるのを待って、先生がまた口を開いた。


「いえ、雷にしましょう。みんなには音楽室にあるものを使って、音で雷を表現してもらいます」


「えー!」

「意味わかんない!」

 途端に周りがざわめき出す。


「さっきみんなに運んでもらった楽器はもちろん、ピアノも使っていいし、黒板やチョーク、自分の身体……この場合は声やボディーパーカッションなどですね。とにかく、音楽室にあるものなら何を使っても構いません」


 周りのざわめきがさらに大きくなった。


「いま外で鳴っている雷の音を再現してほしいわけではありません。自分にとっての雷を自由に表現してください。表現とは、自分の中にあるものをみんなに伝えることです」


 自分の中にあるものを伝える。


 ビリッと、ボクの襟足がかすかに逆立った気がした。



 穴埋めプリントが配られ、先生がいろんな楽器を軽く実演して見せてくれる。

 ボクは楽器の名前や演奏の仕方を書き込みながら、自分にとっての雷ってなんだろう? と考えた。



 伝えるって何だろう。



 思えば、ボクはソレをしてこなかった気がする。

 そもそも、自分の中に誰かに伝えたい何かがあるのか、意識さえしてこなかった。




 思考が晴れないまま、今日の日付と同じ出席番号の生徒から発表が始まる。

 その模様はなかなかにカオスだった。


 一番人気はスタンドシンバル。

 木琴用の丸く毛糸の巻かれたバチで殴ればシャーンという音が閃いて、それだけで様になった。


 二番人気は大太鼓。

 握り拳ほどもある綿のようなものがついたバチを両手に持ってドロドロと叩けば、手軽に地響きのような音がして、最後に強めの一発をくれてやれば更にそれっぽい。


 お調子者は「ゴロゴロー! ピッカーン! ドカーン!」などとがなりたててクラスの笑いをとった。

 果敢にも合わせシンバルに挑戦した生徒は、気合いとは裏腹に打ち合わせたシンバルが空気をつかみ、ボフッと不発に終わった。


 ピアノの鍵盤をぐちゃぐちゃに弾き回した生徒もいたし、マラカスやシェイカーを一心不乱にシャカシャカ振り回した生徒もいる。



 そんな楽器や生徒の笑い声に隠れて。

熊代くましろ、プリント写させてくれない?」

 何人かの友達がボクに話しかけてきた。


「いいよ」


「ありがとー!」

「さすが熊代、優しい~」



 窓の外からカッと閃光が走ってきて、すぐに重低音が轟いた。

 雨が風が雷鳴が、窓を揺らし、ボクを揺さぶる。



 まただ。

 優しい、というラベルがボクにベタベタと貼り付けられる。


 もしもボクがガラス瓶だったなら、誰もが「あれは優しい瓶だ」と判断するに違いない。

 だって、優しいというラベルが貼られているから。

 幾重にも貼られたソレで、瓶の中身なんて見えやしないのに。



 熊代は怒らない。

 熊代は許してくれる。

 頼めば「いいよ」と言ってくれる。

 穏やかな熊代。

 優しい熊代。



 ビリリとうなじが粟立つ。



 ボクは怒らない。

 周りの言うことをただ受け入れる。

 それは、



「次、熊代さん」


 順番が来て、ボクは立ち上がった。

 振り返って、ボクのプリントを写した数人に、両手を合わせて頭を下げる。

「ねえ、みんなのプリント、発表で使わせてくれない? やりたいことがあって」


 首を傾げつつも、みんなはボクにプリントを渡してくれた。

 それらを携え、ボクは前に出て、クラスメートと向き合う。



 一礼。

 そしてプリントの束をつかむと、ボクはひと思いにそれを引き裂いた。


 ビリビリッ。


 対峙しているみんなが、雷に打たれたような顔をした。


 爽快な音を奏で、紙は縦に、横に、どんどん小さくなっていく。

 破れば破るほど、ボクの身体には電撃が駆け巡った。



 ラベルなんて、破り捨ててしまえ。

 曇りを蹴散らし、透明さを取り戻せ。

 ボクの中身は優しいではない。



 ボクは怒らない。

 周りの言うことをただ受け入れる。

 それは、周りに期待していないから。

 自分の要求がないから。

 どうでもいいから。


 優しい? 穏やか?

 違う。



 ピシャッと空気を切り裂くような音が響き、鋭い明滅が世界を支配した。

 バリバリバリッという、竜が強大な生物を脊椎ごと喰らったかのような音に、教室内が悲鳴に染まる。


 そんな状況でボクがいやに落ち着いているのは、むしろ興奮のあまり脳味噌が麻痺しているからだろうか。


 ボクは真っ直ぐ窓へと向かうと、開け放ったそこからひと息に紙片をばらまいた。

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