【短編】千手先

竹輪剛志

本編

 

 畳の床に白い壁、その出入口は襖で仕切られている。場は異様な静けさを保っていて、まさに静寂が場を支配しているとも言えよう。将棋盤を軸に向かい合うように二人、そしてその様子を映すための人々が四方八方にいる。

 そう、今まさに行われているのは竜王戦である。二人の名のある棋士が凌ぎを削り合う将棋界の頂点ともいえる戦いだ。

 片方の棋士の名は藤似壮太。かつては最年少棋士として数々のタイトルを獲得し、将棋界に鮮烈な衝撃を与えた男であったが、時が経った今、彼は挑戦者では無く全ての若手棋士の目標となる将棋界の王として君臨していた。

 そして藤似壮太の前に座り対局を行っている者の名は畠田利久男。彼はまるで昔の藤似壮太の様な男であり、驚異的な将棋の実力を以てこの竜王戦にまで上り詰めてきたのだ。そんな彼は当然世間の注目を集め、人々は様々な異名をつけた。将棋界の神童。神の子。挑戦者。そして、千手先を読む男。

 そんな二人の熾烈な戦いは始まってから早くも一時間を迎えていた。たった数手しか動いていないが、二人は慎重に、熟考を重ねた一手を互いに打ち続けた。

 最早勝負は二人だけのものになり、余人に入り込む隙間などなかった。静かに進められていた対局は、確かに熱を帯びていた。

 一手が打たれるたびに二人の脳内で再演算が行われる。スーパーコンピュータの遥か先にある彼らの頭脳は十手、二十手先を常に思い描いていた。

 対局が二時間、三時間と進んでいくにつれ、帯びた熱は炎となって会場を包み込んでいくのをその場にいる人々は感じとっていた。そして炎はエネルギーとなり二人の思考をさらに加速させていった。

 三十、四十と手の予想は進む。特に畠田利久男の思考は人生において最もその働きを発揮していた。それは超新星爆発の様な勢いと輝き。思考はもはや常人に域にはあらず、読まれた手は優に百を越えた。

 藤似壮太が一手を打った。それに対応するように畠田の脳はさらなる回転を見せた。二百、三百、ありとあらゆるパターンを考えた末…… 畠田の思考は突然停止した。それは傍から見ればなんてことはなかったのだろうが、目の前で対局していた藤似にはその異変がすぐにわかった。畠田はまるで壊れた機械のように思考を停止した。

 そして数秒もしないうちに彼は勢いよく将棋盤に頭を叩きつけた。置かれていた盤面なんて気にせずに、何度も何度も壊れた機械のように頭を打ち付けた。

 周りが必死に止めに入るが、それでも畠田は止まらない。畳は血に染まり、ついに畠田は死んだ。

 彼が何故頭を打ち付けたか、それは畠田にしか分からない。負けそうだったからという説は藤似が否定した。この奇妙な事件は、しばらくの話題を独占した後嵐のように世間から通り過ぎた。

 彼は何故自殺をしたのか。彼はその優秀な頭脳で何を思ったのか。千手先を読む者、畠田利久男。――千手先の未来に、彼は何を視たのか。戦争、飢餓、絶望、或いは楽園…… それは、彼にしか分からない。

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