第3話 魔法石と熱気球

「おい!」


「おい、皐月、大丈夫か? 目を開けろって」


 誰かに揺さぶられて皐月は目を開けた。目を開けても辺りは真っ暗で何も見えない。それに、

「いたたたぁぁ……」

 どうやら腰を打っている。

 側にある毛むくじゃらでふわふわした何かを瞬間的に掴んだ。


「フギャー―っっ!! お前、尻尾は止めろって言っただろう」


「ん? 子狐? るーるるるー」


「だから、それもやめろって!!」


「――やっぱり、この前の夢じゃなかったのか……。アル、あんたでしょう」


「そうさ、俺様だ」


「アルはエミリーがいないと態度が変わって途端に生意気になるんだ。このシスコンめが」


 やっと少し暗闇に目が慣れて来た皐月は辺りを注意深く見渡した。……が、ほとんど何も見えない。獣人であるアルジャンは皐月より夜目が効くらしく状況を説明し始めた。


「ここは、魔法石の古くからある採掘場で、魔法石が掘れなくなったため今は廃坑になっている場所だ。地下をかなり深く掘っているので、フェンリル親子の体重が乗ったことが引き金になって陥没したんだと思う」


「アルには辺りがよく見えるの?」


「ああ、沢山の横穴が見える」


「魔法石ってことは、この辺りは魔力が充満しているから魔物が寄ってきやすい場所なのかな。実際にフェンリルが入って行ったのを見たし。まぁ、そうなるように誘導したんだけどね」


「うん、そう考えるのが一般的だろう」


「じゃあ、マスクを付けていたから良かったものの、かなり危険な場所ということか……、早く出る方法を考えないと、何が出てくるか分からないな」


 皐月達が穴に落ちた瞬間をエミリーが目撃しているはずだ。だから、助けが来るまでここでじっとしているのが一番最善で安全のように思える。

 まずは暗いのがどうにも居心地が悪いので、皐月はアルジャンに聞いてみた。


「明かりをつける方法ってある?」


「無くはないけど……」と、アルジャンが辺りの小石を拾い集め始めた。


「石をどうするの?」


「いいから、見てて」


 アルジャンは拾い集めた小石と小石をカチカチと火打石のように打ち付ける。ほとんどは無機な音が鳴るだけだったが、石を交換して何度も確かめるうちに、打ち付けた瞬間にぱああぁっと眩い光を出す石があった。


「やった! これが魔法石だよ。採掘場跡地だけに魔法石のかけらが転がっているかもしれないと思ったけど、本当にあった!」


 アルジャンはその魔法石に指先の爪で簡単な魔法陣を書いた。その瞬間、魔法石は白い炎に変化した。


「すごいじゃん、アル!」


「えっへん、それ程でもあるぞ。もっと褒めていいぞ」


 辺りがほんのり明るくなり、皐月の目にも得意げな子狐がはっきり見えるようになる。


「俺たち獣人は魔法が使えない分、魔法石をよく活用するんだ。魔道具などの力の源は全て魔法石だ」


 そう言うとアルは白い炎にそっと息を吹きかけて空中に放った。白い炎はそのままフワフワ上昇していき、それを目で追っていたら、自分達は随分と深い穴に落下したのだと分かって愕然とする。よく無事でいられたものだと感謝するレベルだ。きっと出発前にヘンリー殿下が加護を付けてくれたから、それが発動したのかもしれない。

 この穴は、ざっと見たてても建物十階建て分くらい深い。皐月は思った。

 こんなに深いなら、ロープで上げてもらうのは無理だし、横穴に入って出口を探すのも危険な臭いしかない。魔術師が来れば何とかなるかもしれないが、直ぐに来てくれるかどうか……。


(――自力で出るには、どうすればいいか)


 皐月は空中に浮遊する炎をじっと眺めた。アルジャンはその間も魔法石をせっせと探して集めている。


「――フワフワ上昇する炎……。――そうだよ! ボイル・シャルルの法則だよ!! 閃いた」


「へっ?」 アルジャンは突然大声を出す皐月に驚いて、尻尾がピンと立ち上がった。


「アル、とにかくその調子でどんどん魔法石を探してね。できれば沢山お願い」


 皐月がにっこり笑った顔をアルジャンは珍しいそうに見た。

「おまえ、笑ったら可愛いな。普段から笑った方がいいんじゃね?」

 意表を突かれた言葉を聞いて、皐月は何度かパチパチと瞬きをした。


「私、結構笑っていると思うけど? もしかしてディスられた?」


「男に可愛いって言われたら、普通は頬を赤くして照れるもんだろう」


「男なんてどこにいるの?」


 アルジャンは子狐姿のまま二本足で立ち上がると、短い足を交差して、片手を壁につけてポーズをとった。

「バッカじゃない? 目の前にドメック領で一番のハンサムがいるじゃないか」


「…………」

 スンとした真顔の皐月を見て、アルジャンはまた大人しく魔法石集めに精を出した。




 暫くして遠く上の方からエミリーの叫び声がこだまのように聞こえてきた。

「皐月様……皐月様……皐月様……」


「アル……アル……アル……」


「エミリー私達は下にいるよ――。二人共無事だからあぁ。脱出するから、今から言うものを用意して下に落としてくれるううぅ――?」


 皐月は口の横に両手をあてて上めがけて大声で叫んだ。

 皐月の声が地上で全部聞き取れているか心配だったけど、エミリーは優秀で、三十分後には皐月が注文したもの全てを穴の上から落としてきた。

 皐月がすっぽり入ってもまだ余りある程の大きな布製の袋とロープ、そして皐月とアルジャンが入れる位に大きな頑丈な籠だ。


「皐月、こんなのどうするの?」

 アルは怪訝な様子で道具を眺めている。


 そして、皐月が一番重要なアイテムと考えるものがアルの足元に山になっている。魔法石の欠片がざっと五十個以上だ。


「アル、魔法石からできるだけ高温の炎をだせるかな」


 アルは頷くと小さな欠片を手に取り、さっきの炎の術式を少し変えて魔法陣を書いた。するとさっきは白い炎だったが、今度は青い炎が出現した。


「グッジョブ! 確かに炎は青色が高温なんだよ。じゃあ、もう一つ注文するけど、高温でも周りに燃え移らないように、炎の周りにシールドを構築できる?」


「難しいけどやってみる」


 アルは地面に幾つもの魔法陣を書いては消し、書いては消ししながら術式を考えている。皐月が眺めているだけでもアルジャンの知識量は相当なものだと思った。王都には魔法陣のプロとなる召喚士の資格がある。アルジャンにはその素質がありそうだ。

 皐月は、アルジャンの魔術式が完成するまでは、静かに袋と籠をロープで結び付けていた。


「よし、即席の熱気球、かんせーい!!」


「皐月、炎にシールドを張る術式を考えたぞ」


「やってみて」


 アルジャンは頷くと魔法石を一つ手に取り、爪で石に新しい魔法陣を書いた。

 するとさっきと同じように青い炎に変化したと思ったら、その周りに虹色のシャボン玉のようなシールドが現れて炎の周りをコーティングした。


「スゴイ、綺麗だね」


 またもやドヤ顔のアルジャン。アルジャンは褒められると調子が上がるタイプだと分かり、皐月はぷっと小さく吹き出した。そして、他人に関心を持たない皐月が珍しく(沢山褒めて才能を伸ばしてあげたいな)と密かに思ってしまうほど可能性を感じたのも事実。

 動物好きの皐月だから、子狐姿とモフモフに絆されているだけなのかもしれないが。


「じゃあ、今ある魔法石をこれと同じ青い炎にしてちょうだい。全部だよ」


「分かった」


 アルジャンは魔法石を次々に炎に変えていく。それを皐月はせっせと袋の中に詰めていった。魔法石が40個くらい入った時には袋は膨らみだして上昇してきた。


「何、なに!? どうして袋が膨らむんだ??」


「アル、これは袋の中の空気が熱されたことで膨張して、袋の内部の空気の密度が小さくなることで気球全体の質量が小さくなり、この気球全体の質量が浮力よりも小さくなるから気球が浮上する仕組みだよ。つまり、袋の中の空気を熱しても、当然周りの空気の密度は変化しないので、気球にはたらく浮力は常に一定になり、気球全体の質量が小さくなるから浮上するんだけど…………」


「…………俺、よく分かんないや……」

 アルジャンの緑の瞳は点になっている。


「ま、いいけどね。高校の物理で習得する単元だから、そんなに難しい原理ではないよ。

 気球に乗り込めなくなるのは嫌だから、そろそろ残りの魔法石を持って籠の中に入ろう。そして、残りの魔法石はこの籠の中から炎に変えて上の袋の中に投げ込めばいいから」


 気球に模した袋はどんどん膨らみを増して上に伸びていく。気球全体に浮力を感じ始め、あと数個の魔法石を炎に変えればテイクオフっていうタイミングのとき、横穴の奥から獣のような唸り声が聞こえてきた。アルジャンの耳はピンと立ち上がり、音の方に向いている。


「アル、何の声かな……」


「分からん。――獣か魔物か」


「早く、早く全部炎に変えて」


「分かってるよ。やってるって!!」


 唸り声だと思っていた声はやがて咆哮に変化した。咆哮が聞こえた二人は恐怖で身体が固くなった。アルは必死に手を動かして、残りの魔法石に魔法陣を書きこむ。


「早く、――早く、アル頑張って!」


「分かってる、分かってるって――」


 皐月は緊張しながら横穴を見ていた。額には汗がびっしり張り付いているし、呼吸が荒くなり口の中が渇く。

 咆哮の様子では一頭だけではなさそうだ。音がどんどん近づき、とうとう横穴の入口に黄色く光る複数の目が見えた。


(いち、にぃ、さん、し、ご……、8頭か9頭ってところか)


 皐月は努めて落ち着いているように振舞った。ここで年上の皐月が動揺したらアルジャンもつられてパニックを起こすかもしれないからだ。冷静を装った声で静かに聞いた。


「アル、あと何個?」


「あと三個だ」


 ギラギラ光る目と目と目達がどんどん暗闇から姿を見せ始める。


「急いで――っ。お願い、早くっ」


 もはや冷静どころではなくなった皐月の声は、自分でも驚くレベルで震えていた。皐月は籠の中に重りとして入れていた大き目の石を自分の側に集めた。


「あと二個だ!」


 気球は今にも上昇する勢いになった。皐月は重りの石を外に投げ捨て始める。それによって気球がカタカタと上昇し始めた。

 アルジャンが最後の魔法石を炎に変えた時、横穴から獰猛な狼が一匹飛び掛かってきた。

 皐月は咄嗟に重りの石を夢中で投げつけた。

 運よくその内の一つがヒットし、狼が「キャン」と高い声で鳴いた。


「アル、重りを全部外に出すよ。早く、早くっ」


 アルは皐月の指示で急いで石を放り出す。皐月は飛び掛かってくる狼目掛けて次々と石を投げつけた。

 気球はゆっくりと上昇していく。

 この頃には気球の周りをぐるりと狼に囲まれてしまったが、その間も気球はどんどん上昇する。さすが魔法石の炎だけあって火力が強く、狼達が次々にジャンプして襲ってくるが、既に届かない位置まで上昇していった。

 穴の下を覗くと真っ暗で何も見えなく、不気味に遠吠えが響き渡っている。その鳴き声はゾッとするもので、皐月は戦慄を覚えた。


「――はああああぁ……」


 まさに危機一髪。安全を認識した皐月とアルジャンは、気球の中で思いっきり脱力した。二人の目には疲労が色濃く出ている。


「皐月ぃ、俺、今度こそ、本当にダメかと思ったよぉ」

「うん、何とか間に合って良かった。マジで危なかったぁ――っ」


 皐月とアルジャンの視線が絡むと、どちらからともなく笑顔になった。それから二人は汗で湿った背中を合わせて座って、気球の中でユラユラ循環している無数の炎の球体を眺めながら地上までの遊覧を楽しんだ。



 *****


「――皐月様は、こんな深い穴からどうやって脱出する気なのかしら」


 エミリーはヤキモキして穴の側に立っていた。森の中にいるため辺りは薄暗く、エミリーが呼んできたバジリスク騎士団の騎士達は、穴の周りをぐるっと取り巻き幾つもの松明を掲げて中を照らしている。


「遅いよ!! 本当に、一体、どうしたっていうの!」


 皐月に言われて意味不明の道具を落としてから小一時間が経過している。エミリーは心配する余りすっかり落ち着きを失くして、苛ついて爪を噛んでいた。


「エミリー隊長、穴の中から光が見えます」


 騎士の一人が大声で報告した。エミリーも注意深く穴の中を覗くと確かに何かが見える。


「あれは何かしら? 近づいてくる」


 謎の白い布は空気を帯びて膨らんでいるようだ。どんどんこちらに近付いてくることから浮き上がっているのだと思った。


「風船かしら?」


 そして地下から現れたのは、なんといくつもの魔法石でできた炎を抱えた袋と、それに繋がれた籠に乗っている皐月とアルジャンだった。


「皐月様! アルジャン!!」


 あまりの奇想天外な光景にエミリーは口を大きくあけ、あんぐりしてしまう。

(皐月様達が不思議な風船で空中を飛んでいるなんて、信じられない)


 地上に出た途端、皐月は急いでロープを投げ出した。

 止めどなく上昇を続ける気球は、早くも地上から2メートルは浮かび上がっている。


「エミリーこのロープを引っ張って」


 エミリーと騎士達が急いでロープを掴み、まるで綱引きのように縦列に並んで引っ張った。

 その間、皐月とアルジャンは袋の中の炎を袋の外に数個ずつ逃がしていった。

 やがて袋の膨らみは小さくなっていき、それと共に地上に着地した。屈強な騎士達が数人掛かりで籠を支えてくれたので、それほど大きな衝撃もなく安全に着地することができた。


「――皐月様、――アルジャン」


 エミリーは二人に飛びついた。エミリーの肩が僅かに震えている。

 エミリーはヘンリー殿下から拝命した護衛だったのに皐月を危険な目に合わせてしまった事を悔やみ、それと同時に心から皐月の身を案じていたのだ。

 そんなエミリーの心境を察した皐月は、エミリーの背中をポンポンと子供をあやすように軽く叩いた。エミリーは背中の振動に驚いて身体を話すと、涙が零れそうな赤い目で二人を見た。


「エミリー、大丈夫だよ。このとおり、ほら、二人共無事だったのだから。心配かけたね」


「皐月様――。 誠に申し訳ありませんでした――――っ」


 エミリーは感極まって土下座した。


「エミリー、止してよ!」

 エミリーと同じ低い姿勢にしゃがみ込んだ皐月は、エミリーの手を取ってにっこりした。


「さ、ドメック領の城に案内してくれる? ドメック料理を教えてくれるんでしょう? 教えて貰う前に先に食べたいかなぁ」


 皐月はお腹をさすって、くつくつと笑っていた。

 エミリーは涙をぬぐい払うと己を奮い立たせるようにシャキッと立ち上がり、女騎士らしく敬礼した。


「皐月様、ドメック領へようこそいらっしゃいました」


 そんな様子をアルジャンは子狐姿のまま「やれやれ」と両手を空へ向けて首を横に振ったので、「アルジャン、いつまで狐になっているの」とエミリーに厳しく叱られた。


 *****


 ドメック領の城は王宮のような洗練された感じではなく、無骨で頑丈で要塞のような城だ。


「へぇー。恰好いい城だね」


 エミリーと獣人姿に戻ったアルジャンは、城のエントランスで出迎えてくれた領主夫妻の前に駆け寄った。


「お父様、お母様、今戻りました。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

「…………戻りました」


 辺境伯でドメック領主のアルバート・フォックス・ドメックは、大きな狐耳と大きな尻尾を持ち、騎士団の団長を兼務しているだけあって筋肉質で貫禄がある容姿をしている。隣にいる夫人のサフィア・フォックス・ドメックは、エミリーによく似た凛とした雰囲気を持っているが、レディの称号に相応しい気品と優雅さ、何より目を見張る美しさだった。ドメック家は全員が銀髪で、瞳は緑だから、一同が揃った迫力と美しさはまるで絵画のようだ。


「報告は上がっている。みんな怪我がなくて良かった。アルジャンが、また狐姿だったこともな」

 ドメック領主は語尾の語調を強めた。

「アルジャン、後で私の部屋にくるように」


「…………はい、父様」


 シュンとしたアルジャンを一瞥して、ドメック領主は厳しい顔のまま皐月を見た。皐月は蛇に睨まれたカエルの心境になり首を竦めてしまう。が、次の瞬間に領主の表情が和らいだ。


「賢者の皐月殿ですな」


「あ、はい。初めまして。相川皐月です」


「王都でのご活躍はこのドメック領にも届いています。是非、武勇伝をお聞かせ願いたい……」

「――あなた」

 レディサフィアに咎められて、領主は咳払いをした。


「ああ、お疲れだと思うので、まずは部屋でお寛ぎ下さい。話は晩餐の時にお聞かせいただければ」


「はい。お気遣い感謝します」

 領主夫妻の指示で、少し年配の侍女が皐月を客室まで案内した。


 客室に行くまでの廊下には沢山の調度品が飾られている。皐月は代々の領主の肖像画の前で足を止めてしまった。先を歩いていた侍女はウサギの獣人で足が速く、おいて行かれそうになって小走りで追いかけた。


「では、皐月様、晩餐前には支度の為にまた参ります」


「それって、ドレスを着るってこと?」


「もちろんです」


 ウサギ耳を立てて怪訝な顔で皐月を見た。皐月は平然を装っているが、内心は舌を出している。


「分かりました。あと、図書室はありますか? あったら使いたいんだけど」


「図書室の使用許可を旦那様に取って参ります。それまではお茶でもどうぞ」


「有難うございます」


 客間は二間続きになっていて、応接風の居住スペースと隣はバスルーム併設の寝室で、御多分に漏れず天蓋付きの豪華なベッドが置かれている。

 中央に配置されたソファーセットにはお茶のセットとお菓子が置かれていたが、まずは穴に落ちた事もあって、シャワーを浴びたいと思った。

 寝室で着ていた服を乱暴に脱ぎ捨ててバスルームに入る。大きな鏡に映し出された自分は、埃まみれで顔など所々黒い。こんな汚い顔で領主様とお話ししていたなんて恥をかいたかもしれない。バスルームの鏡は全身を映せるくらいに大きくて、久しぶりに自分の全身を眺めて溜息をついた。痩せていて薄っぺらい身体。ラドメフィール王国に来て更に痩せたような気がする。ヘアスタイルもショートカットで皐月はまるで男の子みたい。


「ま、別にいいけどね……」



 シャワーを終えて着替えを済ませ、お茶とお菓子で一息ついていたら、控えめなノック音が聞こえた。

「どうぞ」

「皐月様、入ってもいいですか?」


 どうしたのか落胆しているアルジャンが立っていた。アルジャンもすっかり着替えて、領主の息子らしく、首元には瞳と同じ色の若葉色のスカーフタイをまいて、ピタッとした黒のタイツを合わせている。


「いいじゃない、領主の息子スタイル」


「それ、皮肉ですか。 さっき、父に領主の息子として相応しくないと言われたばかりです」


 アルジャンは部屋に入って、扉を閉めるとドスドス歩いて我が物顔でソファーに腰を下ろした。尻尾をパタン、パタンと座面に叩きつけている様子から、随分と苛ついているらしい。


「皐月、図書室使っていいってさ。父様にお小言を貰っているときに、タイミングよく侍女がやってきて図書室の話しをするから、許可することを伝えに行けって放免されたよ。皐月、なかなかやるじゃん」


 ドアの外と中で態度が変わるアルジャンに皐月は肩を竦めた。それでも素を見せるのは信頼の証なのかもしれないと思うと可愛く感じてしまう。


「図書室に案内してくれる?」


「おう、任せとけ。俺の部屋みたいなもんだから」


 二人は客間を後にした。

 さっき通った道を戻るとまた歴代領主の肖像画が現れた。皐月は、さっき感じた感想をアルジャンに聞かせた。

「肖像画の歴代領主はみんな屈強な感じだね」


「そう、代々、バジリスク騎士団の団長も兼務することになっているから、強い人が多かったみたい」


「ふーん、じゃあ、アルが次の領主になるから、アルも身体を鍛えないとね」


「さっき、父様にも言われた。お前は鍛錬が足りないって、次期領主の自覚がないのかって……」


「アルは、身体を動かすより魔法陣の研究とか知識労働の方が向いているのかもね。エミリーに騎士団の誰かと結婚して家を継いでもらうとか、ダメなの?」


 皐月の思いつきにアルジャンは驚きを隠せなかった。アルジャンの周りは生まれながらに敷かれたレールの上をただ従順に歩いて行く人しかいない。こんな風に考える皐月が新鮮であり、皐月の考え方に強く惹かれた。


「直系の男子が家を継ぐものと言われて育ってきました。王都ほど男尊女卑思想はないですが、特権階級はそういうものだと教わりました」


「ふーん、でも、前も言ったけど、人はみんな自由だと私は思っている。得意不得意もあって、私の国では適材適所でないと苦労する人が多いみたい。そもそもこの国とは根本的に考え方が異なる所が多いから、参考にならないかもしれないけど」


「俺は皐月の考え方が好きです! 今まで自分にそんなこと言ってくれる人はいなかった。皐月は頭がいいし、機転を利かせて有利に動けるし、考え方が柔軟で先進的で、すっかり俺は好きになりました」


「あ、ありがとう……?」

 少年に好きと言われてもどう返していいのか分からなくて、微妙な態度を取ってしまう。


「さ、到着しました。ここがドメック領城の図書室です」


 観音開きの重厚な扉は、古いものを大切に収納していそうな威厳を感じた。期待して部屋に入った途端、古本特有の臭いを感じて皐月はワクワクしてきた。本の臭いは大好きで、この香に包まれると自然と集中できる。図書室の中はとても広く、沢山の本棚とその中に納まっている数多の本でテンションが更に上がった。

 四角い部屋をぐるりと壁沿いに配置された本棚の他、部屋の中心にも低い本棚が複数置かれている。中央には広い机と数個の椅子があった。早速皐月は、王都の魔術師であるデューク・ウルフェンに以前作ってもらった言語を翻訳できる眼鏡をかけて、ゆっくりと本棚を見て回る。

 本は図書館のように色々なジャンルのものが置かれているが、ただ一つの壁側だけ魔道具や魔法石に関する専門書が沢山集められている棚があった。

 皐月は数冊手に取って、中をパラパラ開いた。本によるとラドメフィール王国が建国して直ぐにドメック領の先祖はこの土地に住み、辺境を守護しながら魔法石を採掘し、魔道具の前身となるようなものを作ったと書かれている。


「アル、魔道具ってずっと使えるものなの?」


「それは、無理ですね。魔法石の大きさにもよるけど、魔力が切れたらそれでお終い。魔法石を交換するか、魔道具自体を買い直すかしないと」


「日本で言う電池みたいなものか。そういえば、ゴミのシステムってどうなっているんだっけ?」


「ゴミ? 知らないです。使用人がいつもどっかに持っていくから」 


「前に聞いたんだけど、ラドメフィール王国は産業に魔法を上手く取り入れているから、色々なもの、例えば野菜とか果物を生産するのにも魔法を使っているよね。そうすると、収穫した物にも多少なりとも魔力が含まれていると仮定したんだけど、どう思う?」


「面白い仮設ですね。ありえなくはないと思います」


「そうなの。例えば有害な物質が土にあったとして、その土で栽培された作物からは有害物質が検出されたりする事例があるからね」


 皐月は難しい顔をして考え込んだ。


「――つまり、私が言いたいのは、この国のあらゆるゴミには微量でも魔力が含まれている可能性がある。もっと言えば、廃棄物処分場には、それらが集まっているから、その土地には沢山の魔力が存在しているかもしれないってことなのだけど……」


 アルジャンは皐月の言っていることは理解できるものの、何のためにそんなことを考えているのかがよく分からなかった。

 皐月はお喋りを止めると、色々な本を出して真剣に読み漁っている。そして机にはドメック領全体の地図を開きっぱなしにして、地形の全体像を注意深く確認している。

 アルジャンは、賢者殿のやりようを間近で見て、そして自分に少しでも習得できるものがあればいいと皐月の側から片時も離れなかった。そんなアルジャンの瞳には、知識欲だけではなく、その奥の奥にある小さい情熱の灯が潜んでいることを、この時はアルジャン本人ですら気づくことはなかった。







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