第2話 ドメック領までの旅程と出会い

 王城でJK3人組とエミリーが顔合わせした2日後には、皐月はエミリーと一緒にドメック領へ出発した。ヘンリー殿下が長旅でも疲れないように貴族仕様の馬車を用意してくれたので、皐月達が日常で使っている辻馬車よりも内装が豪華で、シートが柔らかい。

 皐月は車窓からの景色を楽しみながら、道中でドメック領のことをエミリーに色々と聞いてみようと思っていた。エミリーは護衛らしく今日も騎士として毅然としているが、時折狐耳が左右にピコピコ動いて、見ていて飽きない。特に皐月に関心があるためか耳は常に皐月へ向いているが、騎士として主人から話しかけられるまでは喋ってはいけないと思っているようだ。


「あのさ、今日は良いお天気でよかったね」


「は、はい! 皐月様、風が心地よくて皐月様の仰る通りですね」


 突然話しかけられたエミリーはビクッと肩を振るわせて背筋を正した。


「あのさ、私はよく不愛想だと言われるけど、別に怒っていないから普通に接してね」


「は、はい。かしこまりました!!」


「早速だけど、ドメック領と獣人のことを聞きたいんだけど、教えてもらえる? 王都では獣人の人は全然見かけなかったけど、このラドメフィール王国では沢山いるの?」


「はい、皐月様。 このラドメフィール王国には300からなる領地があるのはご存知ですか?」


「うん、それはヘンリー殿下から聞いたよ」


 エミリーは尻尾をユラユラさせながら、「そうですね。まずは、辺境伯領と獣人の関係についてから……」と目を外に向けて話始めた。視線の先には国境となっている連峰が見える。


「獣人は御覧の通り、獣の特徴を残した人となりますが、純粋な人種より身体能力が物凄く高いです。瞬発力、握力、跳躍力、聴力、視力、嗅覚など全てにおいて優れています」


 皐月は頷いた。

(なるほど、日本で読んだラノベに登場するような設定とほぼ同じなんだ)


「その身体能力を生かして、この国では獣人の領主が国境を守護する任を拝命していまして、現在では6人の辺境伯が国の辺境を守護しています。ですから王都ではあまり獣人を見かけないと思いますが、辺境には沢山おりますよ!」


「へぇー。なるほどね。そこはうまく分担しているということか。で、獣人の皆さんも魔法は使えるの?」


「いえ、魔法は使えません。そこは人種とは異なっています。ただ、獣人は男女ともに身体能力が高いので、人間社会にあった性別の差別的な思想はないと思っています。が……」


「人間に差別される?」


 エミリーは瞠目した。


「あからさまな差別とかではないですけど、異種族と結婚するとなった時は、獣人種からも人種からも反対されることが多いです。どうしてですかね……。手の温もりや、流れ出る血の色はみんな同じなのに」


 寂しげに目を伏せたエミリーは、膝の上で手を拳に握りしめている。


「…………」

 皐月はその様子を見て、人間と恋仲なのかもしれないと瞬時に察した。皐月から見てもエミリーは可愛らしく魅力ある女子だと思うので同世代として聞いてみたい気持ちはあったが、察したことをいきなり言葉にするのを止めた。

 察しよすぎるのが皐月の良い面でもあり悪い面でもある。穂積や稀星には何でも言い合えるが、よく知らない人に心中を当てられるのは、あまり気持ちの良いものではないらしい。皐月は、エミリーの憂いをスルーして、話題を変えることにした。


「エミリーのミドルネームのフォックスはその獣人の種類に関係するものかな」


「はい。仰るとおりです。なので、名前を聞けば、どの系列の獣人なのか一目瞭然なのです」

 エミリーは照れてはにかんだ。


 馬車は、時々車輪が小石に乗り上げて身体が上下する。馬車酔いした皐月は、気持ち悪さを逃すために質問を続けた。

「ドメック領のことを教えてもらえますか」


「はい。現ドメック領主は、私の父です。辺境伯で領主でもあり、ドメックのバジリスク騎士団の団長もやっています。家族構成は、母とドメック家の跡継ぎの弟がいます。そんなに大きな領地ではないですが、魔法石の鉱山を有しているので領地経営も潤沢ですし、風光明媚な土地だと思います」


 エミリーは若干自慢気味に語ってしまったのを恥じるように舌をペロっと出した。


(鉱山資源があるんだ。今回のガス噴出も土地柄なのかもしれないな)

 皐月は難しい顔をして考え込んでいたので、エミリーがまた黙り込んだ。

 皐月は「うっぷっ」とお腹を押さえながら話を続けた。


「あ、あのさ、問題のガスが噴出した影響はどうなの? マスクが必須なんでしょう?」


「実は獣人は人種よりは魔力耐性が強いので何とか大丈夫なのですが、人種はマスクが必要です。問題のあった場所は領地の外れなので、領城のある中心地はまだ影響が出ていません」


「そう、それなら、よかったね」


(――まだ大丈夫だけど、3日後は? 7日後はどうなるのか? というところかな)


 皐月は慎重に考える。公害問題は野放しにすればその分どんどん悪化していく。だけど、今ならまだ打つ手はある。皐月は、この国に来てからずっと感じていたことがあった。


(ラドメフィール王国は、圧倒的に近代化が遅れていると思う)


 皐月の言う近代化とは、工業化とか機械化という意味でだ。恐らく魔法が使える文化なだけに産業革命的な事が興っていない。全ての便利さを魔法に委ねているのだ。

 皐月とエミリーは馬車の中でドメック領のことや、家族のことを聞いたり、時には居眠りやカードゲームをして着実に旅程を進めていった。そして、夕方近くになると途中の宿場で宿を取ったり、王家の別荘があれば利用させてもらったりした。

 そして、いよいよ明日にはドメック領に到着する最後の中継地点での夜のこと。

 今日は宿を取って宿泊することになった。一階はお酒も飲める食堂で、2階は宿泊できる個室が10部屋程ある木造2階建てのこじんまりした宿である。

 皐月はヘンリー殿下の命令で動いていることから、急いでドメック領へ向かっていたので、一日でも早く到着するように無駄な休憩をしないようにした。そのかいがあって、1日分くらいは短縮できて5泊目でドメック領の側まで来ることができた。

 ここまで来て皐月が面白いと思ったのは食事の内容である。王都から遠ざかっていく程に個性が出てくる。その土地ならではの料理に皐月は興味を持った。


「皐月様、もうすぐドメック領なので、本日の夕餉は、ドメック料理ですよ」

 エミリーは嬉しそうに尻尾を振っている。

「ドメック料理の特徴って何なの?」


「はい、やはり山が近いのでジビエ料理です。野性味あふれるお肉を沢山食べて下さいませ。特に山鳥の煮込みや鹿肉のステーキなどお勧めです」


 皐月の前に山鳥の煮込みがパンと共に運ばれてきた。見た目はビーフシチューのように茶色いブラウンソースで、骨付きの鶏肉と人参や大豆などの豆、マッシュルームのようなキノコ類と一緒に煮込まれている。とても良い匂いがして皐月はゴクリと唾をのみ込んだ。

 スプーンで一口食べてみると、やはりビーフシチューに近い味だが沢山の香辛料を使っていてとても複雑な味がした。


「美味しい!! そうだなぁ、カレーのようなシチューのような? エキゾチックな味がする。私は好きだよ」


「皐月様に気に入っていただけて良かった!」


「しかも、とってもよく煮込まれているから、フォークを刺しただけでお肉が骨からホロっと外れて、とにかく柔らかい。とっても美味しいよ」


 皐月は、何を入れたらこんな複雑な味になるのか一口食べるごとに分析していた。

(ショウガにニンニク、ローリエにガラムマサラ、中華で使う八角、ターメリック……、うーん難しい)


 料理を気に入ったように言ってはいるが、眉間に皺を寄せながらスプーンを進める皐月にエミリーは、内心ハラハラして落ち着かない。本当は口に合わないのにエミリーに気を使って美味しいと言ったのかもしれないとさえ勘ぐってしまう。ドメック料理はジビエの臭みを消すために沢山の香辛料を使うのが特徴で、それを嫌いな人もいるだろう。皐月の表情はどう見ても美味しい表情ではない。

 明日の朝餉は、ドメック産のピリッとスパイシーなシナモンたっぷりのバタートーストにしようと思っていたが、やはり王都風にパンケーキにした方がいいのかもしれないとエミリーもまた難しい表情を浮かべながら食べていた。それを見た宿屋の女将さんは、蜂蜜入りのアップルジンジャーティーを2人の前に置くと、呆れた表情で2人を眺めた。


「若いお嬢さん方が会話もしないで難しい顔しながら食べていたら、美味しい料理もまずくなるんじゃないかい?」


 突然話しかけられて、皐月とエミリーが同時に顔を上げるとパチクリと目が合った。そして、


「すごく美味しいです」

「本当に美味しいよ、女将さん」


 と、また同時に言うものだから、「変なお嬢さん方だねえぇ」と、笑いながら猫の尻尾をユラユラさせながらいなくなった。ここは猫種の獣人が経営する宿であり、特に鳥料理は美味しいと評判なのだ。

 女将さんの言葉に反省した皐月は、さっき考えていたことを素直に話して、エミリーに料理のレシピを教えてもらう約束をした。エミリーはドメック料理を気に入ってもらえたことを理解してほっと胸を撫でおろした。


 夕食後、部屋の前までエミリーに送ってもらった皐月は、「おやすみなさい」と挨拶をして部屋に入り、ドアの延長上にある大きい窓から暗くなった空を見上げた。ベッドだけの簡素な部屋だったけど、落ち着けそうだ。


「皐月様、お休みなさいませ。明日の朝にまた参ります」


 エミリーの足音が遠ざかっていくのを確認して、皐月は足をブンブン揺らして靴をふっ飛ばすと一直線にベッドへ寝転がった。


「あー、疲れた。やっぱり馬車はしんどいなー。車があればいいのに。空飛ぶ車とかあればもっといいのになぁ。ドローン技術を活用して考えてみようかなぁ……。それにしても、ドメック料理美味しかった。絶対に穂積も稀星も好きな味だと思う。あの二人って意外に癖のあるもの好きだしね。――あふっ、お腹いっぱい……、早く……お風呂に入らなきゃ……」


 皐月は疲れが溜まっていたせいもあり、大きな欠伸をしたあと、そのままウトウトと眠ってしまった。

 そのまま小一時間が過ぎただろうか。




「こら、噛むな! さっき果物をやったろう!?」


「ΰββγεεζ」


「えっ? 足りないって?? また、明日渡すから、今日は勘弁して帰っておくれよ」


「γΥδεζθιωω!!」


「うーーーーーん、煩いなぁ……」 皐月がベッドの上で寝返りをうった。


「ほら、賢者殿が起きちゃうよ! 早く窓から出てよ。早くっ」


「……εηηθι」


 黒い塊の物体が不満そうに窓枠をガタガタ揺らして外に飛び出した。

 それに続いてもう一つの白銀の物体が窓枠に足をかけた。


「フギャー―っっ!!」


 皐月は外に出ようとする何者かの尻尾を思いっきりギュッと強く握った。


「――つかまえた」


 実は少し前に寝返りをうった際に何者かの気配を感じ、目が覚めたのだ。注意深く薄めを開けて監視していたが、部屋の中が暗くてよく分からない。逃げていきそうな雰囲気だったので、慌てて飛び起きて咄嗟に何かを掴んだ。とってもモフモフしてふかふかしたもの。


(尻尾?)


 フギャーと大声で叫ばれたので、直ぐにランプを付けた。

 窓の下で丸まっていたのは、皐月を威嚇して逆毛を立てている綿毛のような小さな銀狐だった。皐月は少し距離を取って、真顔で右手を差し出した。


「るーるるるー……」


「…………」


「あれ? るーるるるー……」


「…………なんだよ、それ!?」


「あっ、喋った! 狐を呼ぶときはるーるるるーでしょう?」


「俺は狐だけど狐じゃねぇ」


「あっそ」


「あんた、賢者殿だな?」


「知らない。私の名前は相川皐月だけど」


「どっちでもいいよ。今日は様子を見に来ただけだから、じゃあ、またな!」


 生意気な口調の子狐は、余裕がない素振りで早口で喋り終えると逃げようとして窓枠に足をかけた。


「フギャー―っっ!!」


 が、皐月に再び尻尾をギュッと強く掴まれる。

「さっき掴んだものは尻尾だったのか。いいねぇー、エミリーの尻尾をずっと触ってみたかったんだけど、我慢していたんだよね。もっと触ってもいい?」


「な、なにいぃ! ダメだ!! 狐の尻尾は急所だから、絶対にやるなよ。尻尾は信頼と愛情のあるものにしか触らせないんだ。そう決まっている!!」


 皐月は目を細めてジト目で睨んだ。

(エミリーのことを狐と言っていないのに狐と断定しているね……)


「まっ、いいけどね。ところで、私はモフモフするのが大好きだし、うたた寝しちゃったから、寒くて湯たんぽを探していたんだけど」


 キャンキャン鳴く小さい子狐は、皐月からすると子犬のように見えた。しかもふわふわしてとても暖かそうだ。でも、今、この部屋に来るなんて偶然のはずがない。直感的に逃がしてはならないと思った。


「るーるるるー。おいで、子狐ちゃん」


「ひっっ」


 ニヤッと悪い顔をした皐月を前にして、子狐はまたもや毛を逆立てて恐怖に引きつった。皐月の顔は人さらい――ではなく、狐さらいの顔をしている。

 皐月は猫の子を捕まえるように、首筋の後ろをつまんで子狐をひょいっと持ち上げた。

 持ち上げられた子狐は手足をバタバタさせて、必死に皐月目掛けてしゅっ、しゅっ、と、パンチを繰り出しているが、短い手なだけに皐月に届くはずもなく…………。


「るーるるるー」


「それは、やめろ。なんかムカつくから」


「降参する?」


「…………」


 無言の子狐は、緑色した丸い目を他所に向けて皐月と目を合わさない。それならと、皐月は暴挙に出ることにする。小狐はとても可愛くて、何よりも手触りが最高なのだ。皐月は胸に子狐を抱くとそのままベッドに潜り込んだ。

 子狐は抵抗するのを諦めたらしく、暴れることはやめて大人しく皐月に抱かれている。よく分からない子狐を自分の近くに置くのは危険かもしれないが、不思議と安全だと感じるのは何故だろうか。小さい頃飼った子犬を思い出しながら、皐月は間もなく眠りに落ちた。


 皐月の規則的な寝息を確認して、子狐はそうっとベッドから出た。

 子狐は窓の外の月を見上げる。窓から入る月光に照らされながら、眩い光とともに子狐は少年に変身した。予定外に狐姿を見られた少年は「チッ」と口を小さく鳴らすと、窓からひらりと飛び降りて真っ暗な森の中へ駆けて行った。


 *****


 コンコン。


「お早うございます。皐月様、今日も良いお天気ですよ」


「…………」


 3度目のノックで、覚醒した皐月は、エミリーに「30分だけ時間頂戴!」と伝えると急いでバスルームに入った。温かいシャワーを浴びながら昨日のことを思い出す。


「――子狐? いたよね??」


 昨日、子狐が迷い込んだように思ったが、相当疲れていたので夢だったのかもしれない。山に近いだけあって自然が豊かで、数種類の鳥の鳴き声が心地よい。このBGMを聞いているとずっと寝ていられそうな自分に喝を入れて着替えた。

 今日の皐月は膝丈の生成り色のワンピースにキャメル色のチョッキを合わせる。皐月らしいシンプルで動きやすい装いだ。

 タオルでショートヘアの水滴を拭きながら下に降りると、朝食が用意されているテーブルにエミリーが姿勢よく座っている。そして、その隣に狐耳と尻尾を持った少年が立っていた。


「エミリー、遅くなってごめん」


「とんでもございません。皐月様、椅子におかけくださいませ」

 エミリーの合図で、少年が皐月の椅子を引いた。


「で、誰?」


「申し遅れました。僕は、アルジャン・フォックス・ドメックです。エミリー姉上の弟です」


 椅子を引く少年は、まるで執事のような所作で皐月を座らせ、皐月のカップに紅茶を注ぐ。エミリーとそっくりな銀色の耳と尻尾。そしてメノウのような緑色の瞳をしている。


(アルジャンって『銀』という意味を持つけど、彼はシルバーブロンドで銀そのものって感じだね)


「皐月様、申し訳ございません。もうすぐドメック領に入る事を昨日のうちに早馬で伝令したら、弟のアルが待ちきれずに迎えに来てしまったそうなのです」


 エミリーは恥ずかしそうに頭を掻いた。

「弟は、国の救世主である皐月様に早くお会いしたかったのだと思います! どうぞお見知りおき下さいませ」


「救世主ったって。私は勇者じゃないよ」


「賢者殿でしょう?」


 少し甲高い声を発する狐耳の少年は、推しを見るような表情で皐月を見た。少年の瞳はキラキラして、皐月と逢えたことを心から喜んでいる。


「世間が勝手に私と稀星を穂積のパーティーの仲間に見立てているだけだよ。確かに穂積は勇者かもしれないけど、私は賢者なんて大層なものじゃないから」


 皐月は憮然として目の前のシナモントーストを齧って、ミルクティーで流し込んだ。


「それより、この辺って狐は多いのかな?」


「はい。狐の獣人は多いですけど、普通の狐も山にいると思いますけど?」

 どうしてそんなことを聞くのかと不思議そうな表情でエミリーは皐月を見た。


「昨日、喋る子狐と会話したんだけど……」


 エミリーが疑いの視線をアルジャンに向ける。アルジャンは急いで視線を反らした。


「獣人は獣の姿に代わることができます。ただ、獣人の方が生活に便利ですし、獣姿の必要性もないことから大人になる頃にはほとんどの人は獣姿になることすら忘れてしまうのです」


「――っていうことは、獣になれるのは子供限定ってことか」


「子供のうちは、ルーツである野生の感情が多く残っていて、やんちゃです。ただ――」


 エミリーはジロリとアルジャンを睨んだ。


「ドメック家においては、人の上に立つ者として獣姿になることは禁じられています」


「ふーん、なるほどね……。アルジャン君は何歳なの?」


 アルジャンは、皐月に話しかけられて急にワンコの様に尻尾が跳ね上がる。


「はい! 皐月様、僕は12歳です。あと、よかったらアルと呼んで下さい」


「うん。じゃあ、アルは獣姿になれないんだね?」


 アルが口を開く前にエミリーは大声で遮った。

「もちろんです。それでなくてもアルは、剣術も下手で、騎士としての素質はありませんからね。次代のドメック家の領主として獣姿を晒すなんて恥は、本当に止めてもらいたいです」

 エミリーの姉としての強い言葉に、アルは俯いてしまう。


「僕は……、――申し訳ありません、姉上……」



「生まれながらに生きる道が決められているっていうのも大変だよね。王族とか貴族とか。私はそんな身分制度のない国から来たから理解できないよ。本来、人って自由なはずじゃないの?」


 エミリーもアルジャンも雷に打たれたように目を見開いた。


「皐月様の言い分は尤もですが、我々のような特権階級は恵まれている分、領民に対する義務を負っているので、個人の感情など我慢しなければならないし、仕方がない事なのです」


 エミリーの言葉は自分に言い聞かせているようだと皐月は思った。


「ま、とにかく今日はやっとドメック領だね。朝ご飯も食べたし、そろそろ出立しようか」


 皐月の掛け声にエミリーとアルジャンは頷いた。

 エミリーにもアルジャンにもそれぞれに思うところがあり、二人は手のひらをギュッと強く握りしめていた。



 *****


 宿場町を出発すると馬車はすぐ深い森に入った。まだ午前中なのに鬱蒼とした森の中は樹木の枝や葉に隠されてかなり暗い。


「この森を抜けるとドメック領です、皐月様。この森は暗いですが、リスなどの小動物が多く住みとても豊かな森でもあるんですよ」


 皐月が車窓の外を眺めると、エミリ―が説明するようにはとても思えない。さっきまで聞こえていた鳥のさえずりさえも聞こえなくなりおどろおどろしい。今にも魔物が飛び出してきそうな雰囲気だ。


「あと、ドメック領に近いので、皐月様は必ずマスクを着けて下さいね。私達も念のためマスクを着用します」


 皐月達三人はマスクをつけた。マスクと言うよりはスカーフを口に巻くといった感じだ。細菌やウイルスとは異なり、耐魔力性魔術を組み込んだ布であれば魔力を通すことは無いらしい。


 森の中腹にさしかかった頃、風が強くなってきて馬車にも強風が打ち付けられ車体に揺れを感じる。雨の気配すら感じていると、皐月の前に座っているアルジャンは落ち着きを失ってソワソワしていた。


「アル? 大丈夫? 暗いのが怖いのかな?」


「ち、違います。急に魔力濃度が強くなった気がして、僕の後ろの髪の毛が逆立ってきて」


「確かに何か嫌な気配を感じますね」


 エミリーは腰に刺さっているサーベルに手をかけた。

 ただならぬ気配にエミリーとアルジャンはしきりに外の様子を気にしている。

 風と共に雨が吹き付けてきて、先程より車体にあたる風が更に強くなっている。

 エミリーは大声で御者に声を掛けた。


「このまま止まらずに走って! 全速力で森を抜けて頂戴!!」


 馬の嘶きと共に馬車のスピードが少し上がったが、視界が悪くかなりの悪路になっている。

 皐月が外を見ると大粒の雨粒が叩きつけてきた。

(鉄砲雨ってこんな感じなのかもしれない)

 注意深く外を伺っていると皐月の視線の遠く先で何かが光った。


「雷が来るよ!」


 皐月が声をかけた瞬間、猛烈な雷鳴が轟き、近くの樹木に落雷した。

 雷鳴と樹木が避ける轟音に一同は頭を抱えて蹲った。


「きゃあああああぁ」

「うわあああああぁ」


 そして、ガタンとした大きな揺れと共にとうとう馬車が停止してしまった。

 エミリーは一瞬怯むも体勢を立て直して厳しい顔つきで様子を伺う。馬車に打ち付ける激しい雨音だけが響いている。


「外を見てきます。アルは皐月様の側にいるように」


「はい。姉上」

「エミリー、気を付けて」


 エミリーは皐月に一瞥すると馬車の外に出た。


「皐月様、馬が雷に驚いて逃げたようです。御者も側で気絶しています」


 馬車の外からエミリーが状況を説明して聞かせる。皐月は嫌な予感がしてたまらなかった。

 物語では、こんなシチュエーションで決まって魔物が登場するものだ。

 そして更に気になるのは前に座っているアルジャンだ。顔色が悪く、膝の上で握られている拳はカタカタ小刻みに震えている。両方の狐耳は外に向き、何かを異常に怖がっている。まるでこれから出てくる何かを知っているかのように。


「ああああああああ!」


 エミリーの絶叫が響いた。

 この声に驚いた皐月とアルジャンは、急いで馬車から飛び降りた。


 三人の前に現れたのは巨大な狼のような魔物だ。口が恐ろしく大きく裂けていて、よだれが滝のように流れている。足元には子供らしき魔物も見られる。


「フェンリル!!!」


 エミリーの言葉に皐月は目を見張った。

(――これが狼の姿をした巨大な魔物。フェンリル)

 第一印象は恐怖より圧倒。


「フェンリルが出てくる程、魔力濃度が濃くなってしまっているの!? そこはもうドメック領なのに!!」

 エミリーは剣を構えているが、フェンリルの大きさはエミリーの3倍はある。


「エミリー、勝算の見込みは?」

 エミリーは緊張と興奮で、雨に濡れていても上気しているのが分かる。


「――残念ながら皆無ですね」

 肩を上下に揺らして息をしているのに、気丈にもフェンリルから目を反らさないで剣を構えている。


「うわあああああぁ、僕のせいだよ。御免なさい姉上!!」


 アルジャンはそう言って泣き出すと、ポンと子狐に変身した。


「こらっ、アル! 怖いからと言って獣姿になるんじゃないの!!」


 顔にかかる雨を腕で拭いながら皐月がアルを抱き上げた。

「僕のせいだよって、どういうこと?」


「昨日の夜、早く賢者殿にお会いしたくて夜の森を駆けていたら、黒い獣が近寄ってきたんだ。すぐに魔物の幼獣だと分かったけど、腹を空かしてそうだったからつい、魔力が含まれる果実を渡してしまって」


 それを聞いたエミリーは激怒した。

「何ですって!? いつもお父様に知らない獣に餌を与えてはいけないと言われているでしょう。しかもよりによって魔物に餌付けなんて!! バカなの?」


「御免なさい――っ。それから、そいつがずっと付いて来てしまって、まさかフェンリルの幼獣だったなんて知らなかったんだよおぉ」


「じゃあ、お腹が空いているってことか」

 皐月はエミリーに聞いた。

「フェンリルの食べ物は何?」


「それは、魔力を沢山含んでいるものだったら何でも」


「――ってことは、ここで一番魔力のあるものは、獣人には魔力が無いから、そこに倒れている御者じゃないの。男の人なら魔力を持っているもの」


 フェンリルは既に御者をロックオンしている。このままでは御者が食べられるのは時間の問題だ。子狐は涙目で皐月を見上げる。エミリーが倒せる相手ではないし、本当にどうしようかと皐月は頭をフル回転させて自分を奮い立たせた。

 フェンリルの涎がさっきよりも多く流れ出てきて、今にも食いつかれそうだ。


(考えろ、考えるんだ皐月!! 魔力のあるもの、魔力のあるもの……どっかに無いの?魔力のあるもの、……――そうだ!!)


「あれが、あるじゃん!!」

 子狐は自分が呼ばれたのかと思ってビクついた。


 皐月は子狐を足元に下ろすと急いで馬車の中に戻り、自分の鞄を逆さまにひっくり返す。出発前にヘンリー殿下から渡されたものを思い出したのだ。



『皐月、これは噴出した魔力ガスを採取したものだ。サンプルとしてドメック領から持ち帰ったもので、この瓶の中にはとても高濃度の魔力が入っているから絶対に開けないように』


『ふーん、これがねー。すっごくキラキラしていて綺麗な物ですね』


『ああ、魔法を具現化した時も綺麗な場合が多いと思うが、魔力とは元来、綺麗で尊いものなのだよ』


『でも、これ開けられないなら検査もできないですね……』


『まあ、……そう、なるか、な?』



(そのあとは、みんなで爆笑したんだった。よし、十本ある。これを使って、フェンリル親子を遠くへ誘導してみよう)


 *****


 皐月は行動に出る。

「エミリー、弓は使える?」


「はい! 大丈夫です。 直ぐに準備します」


「アル。早く獣人に戻って、矢にこの瓶を括り付けて」


 アルはふわっと光に包まれて獣人に戻ると涙を拭って矢に瓶を括り付け始めた。


 エミリーは自分の上半身ほどある弓の弦を思いっ切り引っ張り、尻尾とポニーテールをブルンと揺らして、一気に矢を放った。

 濃い魔力につられてフェンリルの親子は矢が飛んで行った方向へ引き付けられている。

 地面を揺らしながら移動を始めた。


「やったー!」と、アルジャンはガッツポーズを出す。


 その間も皐月は考えていた。飛行距離は約百メートルってとこだろう。魔力瓶の重りが付いているしそう遠くには飛ばない。瓶が十本として一キロ移動してもらうのが精いっぱいの計算だ。 


「1キロ圏内に魔法石が埋まっているところか、ガスが噴出した場所はある?」


「はい、皐月様。ここから西の方向に魔法石の廃採掘場があります」


「そこだ! エミリー、フェンリルがそっちへ向かうように矢を飛ばして誘導してよ」


「かしこまりました」


 エミリーは、フェンリルに着かず離れずの距離を保ち、一定間隔で矢を放った。

 皐月とアルジャンも急いで後を追った。エミリーが最後の矢を放った時、廃採掘場の正面に到着した。ここまでの誘導が成功し、フェンリル親子は今は使っていない採掘場の中へ消えて行った。

 その様子を近くの木の上から確認したエミリーは、作戦が成功したことにホッと胸を撫で下ろして、笑顔で後ろを振り返った。が、次の瞬間、エミリーの笑顔は一瞬で驚愕と恐怖に歪んだ。


「さすが皐月様の作戦でした、って、え? ええ――――きゃあああああああぁ――」


 絶叫したエミリーが見たのは、皐月とアルジャンが立っていた地面が突然陥没し、二人が地面の下に落下していく瞬間だった。


「さあぁーつうぅーきいぃーさまぁーーっ、――アルジャあああぁーーンっっ」


 エミリーは穴に近付いて力の限り叫んでみたが、穴の底からは全く返事がない。


「――どうしよう。こんな深い穴は私一人では無理だ。助けを呼びに行かなきゃ」


 直径約3メートルほど、深さは全く分からない。不気味で真っ黒で、底が見えない穴は、そう、さっきフェンリルが開けた口の中みたいだと、エミリーはゾッとして背中が冷たくなった。


「早く援軍を呼ばなきゃ!!」

 エミリーは急いで踵を返した。



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