第3話 


「ひなさん? 大丈夫ですか?」


 死神さんが私の顔を覗き込むように声をかける。

 どうやら私は呆けてしまっていたらしい。

 私は気持ちを整える為にふうと息を吐いた後、手に持った緑茶を一口飲んだ。


「大丈夫です。 すいません、少しぼーっとしてました。 ……やっぱり、今起こってることは大変なことなんですね」


 そう言いながら、改めてテーブルの椅子に腰かける。

 死神さんは私の言葉を聞くと、顔を覗き込む為に前のめりになっていた姿勢を整えた。


「そうですね。 普通では起こり得ない事です。 先ほど話した通り、私たちは人への干渉を禁止されている。 とは言え、人に見られてしまう事は極々稀に起こりうる事です。 その為、万が一人に見られてしまった場合でも我々死神が干渉できないように対策がなされているんです。」


「対策……?」


「死神が人に見られてしまった場合、人が必ず持っている死への恐怖心を増大させ、幻覚を見せます。 簡単に言えば、私たちの姿は人にとって、形容しがたいほどに恐ろしく、異形の存在として見えるようになっています。 間違ってもこれ以上関わろうなどと思わないほどに。 さらには、それによって生じた防衛反応を刺激することによって、やがて死神を見た事自体を忘れていきます。」


「なるほど……。 よくできてますねえ……。」


 その話に、私は素直に関心して大きくうなずく。それと同時に、死神さんの言う異常事態とはなにを指しているのかにも答えが出た。


「だけど……私には、死神さんがそう見えていない……。 それが、異常事態……て事ですよね」


「その通りです。 それどころか、あなたは最初に公園で出会った時、私に一目ぼれしたと、そうおっしゃっていましたよね? それはおそらく、本来は死への恐怖心を増大させ私の姿に反映させる所を、あなたにはそれが無かった事で死に抱いている感情……おそらく『渇望』を増大させ私の姿となっているのでしょう。 つまりひなさん、あなたは死への恐怖心が全くない……それどころか、焦がれているんですよ。死に。」


 死に焦がれている……。 そう、なんだろうか? それは、私が『死にたい』と、そう思っているという事なんだろうか。

 思い当たらない訳ではないし、死にたいと思ったことがないわけでもない。でもそれは誰にだって少しはあるものなんじゃないのかな? ……分からない。

 まあいいか。 今はそれより気になっていることがある。


「それじゃあ、今私に見えてる死神さんの姿は死神さんの本来の姿じゃないって事ですか?」


「え? ……ええ、まあそういうことになりますね。」


「私が死神さんに抱いている……その……へへっ……す、好きって言う感情も嘘って事ですか?」


 私は顔に上がってきた熱と赤くなった表情を隠すようにちらちらと死神さんの反応を伺う。

 死神さんは少しだけ驚いた表情をした後に、一度目を瞑りながら一瞬だけうつむく。

 すぐに顔を上げると、口を開いた。


「おそらく、そうでしょうね。 嘘というより、死への渇望が増大されている訳ですから、それを私への恋心と勘違いされているのでしょう。」


「いえ、それは違います。」


 私は間髪入れずに否定する。

 死神さんは少し眉をしかめてこう言った。


「……違いません。」


「違います。」


「違いません。」


「違います。 恋心と別の感情を勘違いするだなんて、私そんな子供じゃないです。」


「……わかりました。 そういうことにしましょう。」


「そういうことです!」


 死神さんの表情はあまり大きく動く訳ではないけど、完全に呆れているような気がする。

 死神さんはもう一度深く瞬きをして、視線を私に合わせて言った。


「話を戻しても?」


「はい、すいません。」


 死神さんの視線から、なんとなく『早く話をさせろ』という意思を感じ取った私は、少しだけ反省して大人しく話を聞くことにする。


「それでは、ひなさんに少し質問をします。」


「質問ですか? 分かりました」


 死神さんから質問なんて、いったい何を聞かれるのだろう。 好きなタイプとかかな?


「ひなさん、あなたは死への恐怖がないのですか?」


「んー……どうなんでしょう? 正直、自分でもあまりピンときていないんですよね」


「ならば何故、死の宣告を受けた今も尚、あなたは取り乱すことも悲しむこともなく『普通』のままなんですか?」


「……え?」


「あなたは私が死神である事を信じていない訳ではありませんよね? この本の内容が嘘だとそう思っている訳でもない。 状況が理解できていない訳ではないはずです。 そうですよね?」


「……そう、ですね。 もう十分に証拠を見せてもらってますし……。 あ、ただでも、まだ少し混乱してしまって頭が現実についてこれていないのかもしれません。」


 実際、さっきから考えがぐるぐるしてしまっているし、現実であることは理解できていても、どこか他人事に感じてしまっているのかもしれない。


「なるほど。 その可能性もありますね。 それでは、今改めてあなたに告げますので、しっかりと想像と理解をしながら聞いてください。」


「……はい。」


「それと、両目を閉じて私がいいと言うまで開けないでください。」


「両目を? 何故ですか? キスされますか?」


「しませんしできません。 後でわかります。」


「残念です。」


「閉じましたね? それでは、死の宣告をします。」


 死神さんは、心なしか声のトーンを下げてそう言った。

 厳かに変わったその雰囲気に、私はゴクリと生唾を飲み込む。


「あなたは今から約九日後、自ら手首を切り、死亡します。 これは決定された運命であり、確実に訪れる未来です。 そしてもちろん私の嘘でもありません。」


 死神さんの口から、再度の死亡宣告がされた。

 私は死神さんに言われたように、その未来を想像してみる。

 私は死ぬんだ。 

 これは避けられない運命。 

 それも自殺をするんだ。

 自殺……今の私は、死んでしまおうなんて考えていないけど……だけど、そうなる自分を想像できない訳でもない。

 なんの前触れもなく、そうなりたいと思ってしまう瞬間は確かにある。

 日々を生きる中で何となく抱えていた死への感情。

 死にたいというより生きていたくないという感覚。

 ……死んだらどうなるんだろう? 私はいなくなってしまうんだろうか。

 泣かせてしまう人もいるんだろうか? 誰が泣いてくれるんだろうか。

 九日間か……。 なにができるかな? なにがしたいかな。

 ……そういえば死んだら死神さんと一緒に居れたりするのかな? そうだといいなぁ。


 体感で三分くらいだろうか。 それくらいの時間が経ったころに、死神さんの声が聞こえた。


「それではひなさん、目を開けて私を見てください。」


 私はゆっくりと目を開ける。 そこにはなにも変わることなく死神さんの美しい顔があった。


「……だめみたいですね。」


「なにがですか!?」


「今、ひなさんには私がどう見えていますか?」


「え、すごくかっこいいです。」


「そうですか。 やはりあなたには恐怖心が芽生えないようです。」


 なるほど、そういう事か。

 もし、深く死について考える事で、私の中に恐怖心が芽生えた場合は死神さんが恐ろしく見えるはずってことか。


「なるほど。 これで死への恐怖が芽生えてくれるのが一番早い解決法だったのですが……。 そもそも、ここまでひなさんにいろいろと説明をしてきたのも、余命宣告を現実の物と理解していただいて恐怖心を少しでも芽生えさせるためだったんです。」


「そうだったんですか?」


「ええ。 そうすれば、私の事を目視した瞬間に異形の存在と認識し、おそらくひなさんはその場で気絶。 そのまま、私と出会った事も夢だったんだと思い込み、やがて忘れていきます。 そうすればあとは、万が一を考え、ひなさんが死亡するまでひなさんの前に姿を見せなければそれで済むはずでしたが……。」


 なるほど、そうすれば一度姿を見られてしまっていてもリセットすることができるって事なのか。


「ひどいですよ死神さん。 危うく死神さんを忘れてしまうところだったじゃないですか。」


「そうなってもらう方がよかったんですがね。 そもそも、ひなさんの死因が事故や他殺であればもっと話しは簡単でした。」


「どうしてですか?」


「事故や他殺の場合は、あなたの心情や運命に関係のない外部の事情で引き起こされる死だからです。 その為、姿を見られてしまったとしても、すぐに私が離れて二度と関わらなければ、九日もあれば死の運命は正常に戻ります。 ……しかし、これが自殺であった場合、私を目撃してしまった事でどう運命が変わってしまうのか予測できないんです。」


「うーん……なるほど?」


「ですから私は、あなたが死亡するまで、近くで監視し続ける必要があります。」


「え、じゃあこれから死神さんがずっと一緒に居てくれるんですか?」


「そういう事になりますね。」


「うわぁ……いきなり同棲だぁ……。」


 私は喜びを隠すことなくそう言った。 死神さんは相変わらず少し呆れている気がする。

 しかし、私には少し気にかかっていることがある。

 それは、九日間も死神さんの手を煩わせてしまうこと。

 死神さんだって忙しいはずなのだから、本当は面倒だと思っているんじゃないだろうか?

 

 私はテーブルの端に置いてある、引き出し付きの小物入れに手を伸ばす。

 そこからカッターを取り出すと、死神さんに言った。


「死神さんがずっと居てくれるの嬉しいんですけど、正直面倒じゃないですか? 死神さんも忙しいんですよね?」


 死神さんは私の言葉を理解するのに時間がかかったのか、少し間を開けた後に返事をくれた。


「まあ、そうですね。 確かに忙しいです。 しか……」


「それじゃあ! 今ここで、私がもう死んじゃえば楽だと思いません?」


 私はそう言うと、右手に持っているカッターを左手の手首に押し当て、刃を肉に食い込ませる。

 それとほぼ同時に、ぐっと右手に力を込め思い切りよく、引き裂―――




 ―――かれることは無かった。

 私の右手は、冷たくて力強いなにかによって止められていた。

 それがなにかを理解した時、私は驚きを隠せずに声を出していた。


「死神さん! 触ってる!」


 それは死神さんの手だった。 人に触れられないはずの死神さんの手が私の右手を止めていた。


「職務の遂行の為に必要だと判断すれば、触れることも可能なんです。 しかし油断しました。 しっかりと理解していると思っていたんですが」


「え?」


「いいですかひなさん? 死の予定より早く死んでしまう事も、運命を変えてしまう行為です。 あなたは、この予定書の通りに死ななければなりません。」


 そうか。

 早く死んでしまっても、私の魂は死神さんに見えなくなってしまうのか。


「ですからひなさん。 私がやるべき仕事は、死の予定日まであなたをあらゆる死の危険から守り抜き、そして予定通り死んでもらう事です。」


 守ってくれる。

 その言葉に私は驚きを隠せていなかったと思う。

 いつの間にか力の抜けていた右手からはカッターがこぼれ落ち、左手の手首には少しだけ刃を押し当てた跡がついていた。

 私の右手を握る死神さんの手は冷たくて、まるで火照った私を冷ましてくれているようだった。

 そんな事を考えていると、死神さんの手から徐々に握力がなくなっていくのを感じる。

 あっ……と私は小さくつぶやくと、離れていこうとする死神さんの手を急いで右手で捕まえる。 絡むように重なった手を見て私は満足すると、死神さんの目を見てこう言った。


「よろしくお願いします。」


「はい。」


 死神さんが短くそう答えると、私の手は捕まえたはずの手をすり抜け、空をつかんだ。

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死神に一目惚れしました ねさき。 @nesaki

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