第11話 叶わなかった願い

 その後も、久々に会った反動なのか二人は散々ジェシカの姿のエレナを甘やかした。


 お腹は空いてないかい? 長旅で疲れただろう? 病み上がりなのだからあまり無理をしないでおくれ。何かにつけて会話が続き、午後の炭鉱作業開始時間になるまでなかなか解放してもらえず、ボロが出ないよう緊張していたためようやく一人になり安堵のため息が漏れた。


 バルド伯爵は本当にジェシカが娘のように可愛くてしょうがないみたいで実の父親のようにフランクに接してくれる。アデクも心底ジェシカに惚れ込んでいるようで何かとべったりくっ付きたがり、終いには行ってくるよと出かける前に右手を取られキスを残して去っていった。つまり二人ともジェシカにベタ惚れである。


 私は昼食がまだだったのでお言葉に甘えて軽食を用意してもらった。そして空き部屋に案内してもらい、ここを自分の部屋だと思って自由に使っていいとのことだったので部屋に籠り休むことにした。


 ポシェットに待機していた小鼠に化けたロキを机の上に出して、軽食で出たパンを差し出した。ロキは愛らしくパンを受け取ると、おっととと小さくよろめきながら目を輝かせた。


「小さすぎて不便かと思ったけどすごい! この姿だといっぱい食べれるね!」


 本人は無自覚なんだろけどなんと可愛らしい姿なんだろう。自然と頬が緩んだ。私もパンを口に含み、本題へと話を移した。


「とりあえず、やっぱり二人はまだジェシカの死を知らないみたいね」


「確かに。知ってたらあんな態度にはならないよね」


「亡霊が会いに来たってことになるものね、普通はもっと気味悪がると思うわ」


 冷静に今の状況を整理していく。今はまだ通用する方法かもしれないが二人がジェシカの死を知るのも時間の問題だ。それまでに色んな証拠を集めないと私たちは真相に辿り着けずに積んでしまう。


「それにしても何故夫人はすぐお二人に連絡をしないのかしら? 下手したら数ヶ月も帰ってこない相手によ?」


 普通に考えたら仮に本人が嫌っていても家族として迎え入れた以上、二人に報告する義務がある。それも早い方がいいに決まっている。遅くなれば遅くなるほど何故すぐに報告しなかったと怒られることは明白なのに。ましてやあれほどジェシカを溺愛している二人が何も文句を言わないとは思えない。


「わからないことだらけだわ」


 とりあえず皿にある食事を平らげ、食器を下げるついでに屋敷の中を見て回ることにした。


「と、その前に」


 一応食べ物を口にしたのでリップが薄くなっていることに気づきもう一度色を重ねる。そしてロキを両手で掬い上げて抱くと、意識を集中させるためお互い目を閉じた。



『ジェシカ見てごらん。これがうちの鉱山で取れる珍しい宝石だよ』


 アデクはジェシカに2センチにも満たない小さな石を手渡した。それは小さくても魅力的な色を放っており、光に翳すとキラキラと輝いた。燃えるような赤い宝石はルビーともまた違う赤で怪しくしかし妖艶に存在感を放っていた。


『でもねこんな小さい宝石じゃ加工も難しいし売り物にならないんだ。物はすごく良いものなんだけどね……』


『でもアデク様、とても綺麗な赤です……』


 ジェシカはその宝石に魅了されたのかいつまでも見つめ続けた。


『……宝石ばかり見つめているのは焼けちゃうな、こっちを見て僕の愛しい人』


 アデクは綿菓子のような甘い言葉を囁き、ジェシカの髪に戯れ合うようにキスをした。ジェシカはくすぐったそうにふふッと笑うとヤキモチ可愛いですねと微笑んだ。その表情を見て満足そうにアデクは笑った。


『すみません。兄の目の色も赤色で……この宝石を見たら少し思い出しちゃっただけです』


『そうだったのか……君は元の場所に帰りたいのかい?』


 ジェシカはその質問にどう答えればいいのか少しだけ迷って困ったように笑った。


『意地悪なこと言うんですね。アデク様をお慕いしてるのは本当です。でも……』


『でも?』


『兄とは喧嘩別れのような形になってしまったので……できるなら、もう一度会いたいなとは思います』


 そう言ってもう一度手のひらに収まる小さな宝石を見つめた。


『あと、大好きなお姉様にも、もう一度会いたいです……』


 ジェシカは少しだけ悲しそうに俯き、涙がこぼれないように唇をそっと噛み締めた。アデクはそんなジェシカの涙を優しく手で拭い、そっと抱き寄せた。


『……父が皇帝陛下と約束した宝石の献上さえ成し遂げられれば僕に爵位を譲ると言っている。その時まで君には礼儀作法の勉強を頑張ってもらうとお願いをしたね』


『はい』


『父の案件も片付き、君が礼儀作法を学び終わる頃、ようやく式を挙げられる。まだ数ヶ月かかるかもしれない。でもその時がきたら君の家族を僕たちの結婚式に全員招待すると約束をしよう』


 アデクは跪き、そっとジェシカの手を取りキスをした。その誓いの行為にジェシカは嬉しかったのか大粒の涙を流した。その愛らしい姿を見てやれやれ、うちのお姫様は随分泣き虫さんだとアデクはもう一度強く抱きしめた。




––––それは、ジェシカの幸せな記憶の欠片だった……


「あっ……」


 気がつけばとっくに頭の中の映像は止まっていたのに幸せの余韻に浸っていた。ボトボトと大粒の涙が頬を伝い、床へとこぼれ落ちた音でふと我に返った。ロキもよくみると小鼠の小さくて愛らしい目に涙を溜めているようだった。私はそっと机の上にロキをおろしてあげると自分の服の袖で涙を拭った。


「やっぱり、許せないわ……、どうしてこの二人の幸せを奪うようなことしたのか……その幸せを奪った人を絶対に許すことはできない!」


 二人はこのままいけばきっと普通に幸せになれただろう。誰かがジェシカを殺さなければ……! どうして?あの子が一体何をしたというの……? それもこれも息子を取られたと勘違いしたイザベラ伯爵夫人の魔の手が二人を引き裂いたに違いない。早く、あの女の証拠を掴まなくては……


「落ち着いてエレナ。腑が煮えくり返っているのは僕も一緒だよ」


 珍しく怒気を含んだ声だった。ふとロキを見ると毛を逆立てて口から少し炎が漏れ出てるようだった。小鼠が怒りを顕にする時の特徴だった。


「まずはこの屋敷から調べよう。何かわかるかもしれない」


「でも、ジェシカが殺されたのは本宅のはず。ここで証拠が出るとは思えないわ」


「いいんだ。とりあえず何でもいいからアメストス家の情報を集めよう。出ないと……怒りで我を忘れそうだ……」


 ロキは小さく身震いをし、ぴょんと机を蹴り上げ飛ぶとエレナのポシェットに着地ししがみつく。それを慌てて掬い上げ、優しく鞄の中へ入れると二人は部屋を飛び出した。

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