第7話 男の意地

「……きっと私の頭がおかしいと罵りたくなるわ」


「そんなことないよ」


「私の心の闇を知ったら離れたくなるわ」


「誓うよ。ずっと傍にいる」


 言葉の力は何よりも温かく、雪解けのように凍えた心を溶かしてくれる。


 ジェシカの訃報を聞いて以来、誰にも見せてこなかった心の中の扉をロキが開けてくれた。私は彼の言葉を信じてみたいと思った。


 私は意をけして全てを話すことにした。数日前孤児院にジェシカの遺骨が届けられたこと。ジェシカのリップを塗るとジェシカの生きている頃の記憶が見れること。そして何故か姿声形全てがジェシカの生き写しのように変身できること。虐められていた記憶、殺された時の記憶、楽しかった記憶……


「笑われるかもしれない。でもあの時確かに鏡にジェシカが写って、私に復讐をお願いしてきたの……」


 全て伝え終わる頃には時計の針が一回りも二回りも進んでいた。ロキは私が全て話終わるまで黙って話を聞いてくれた。


「つまり……エレナはジェシカの仇を取りたいんだね?」


 私はその言葉に強く頷いた。


「私の可愛い妹を……苦しめた奴に罰を与えたい」


 私は今、どんな顔をしているのだろう? 酷く醜い化け物のような姿に映ってはいないだろうか? でも私はどうしても許せなかった。どうしてジェシカは殺されなければならなかったんだろうと思うと胸が張り裂けてどうにかなりそうだった……


「明日の朝、ここを出ていくわ。ジェシカの婚約者……アデクに会いに行くの」


 今日の花売りの時に有益な情報を掴んでいた。アメストス伯爵家は東に別荘があり、その近くには珍しい宝石の取れると噂のある鉱山があるらしい。なんでもその宝石を皇帝陛下に献上すると口からでまかせで伯爵は約束をし、伯爵自らその鉱山に籠っているという。しかし数ヶ月経っても思うように宝石が見つからず、ついには息子を呼び寄せて手伝わせてるという噂だ。


 街では出世したくて必死なホラ吹きアメストス、と笑い話になっていた。


 その噂話が本当なら伯爵夫人はアメストスの本宅に。伯爵と息子のアデクは別荘にそれぞれ別居している形になる。ジェシカの一番の敵が夫人だと想定するならまずはジェシカの死を知らないこの二人から近づくのがベストだろう。


「エレナ、僕も一緒に行くよ」


 ロキは私の手を取り、ぎゅっと握りしめると思いがけない言葉を発した。私は一瞬聞き間違いかと思って目を丸くし、一呼吸置いてから「え?」と聞き返したがロキは怯むことなく曇なきまなこでもう一度「一緒に行く」と囁いた。


 そんなのダメに決まっているわ、と今度は強い口調と共に牽制の意味を込めて握られた手を振り払った。


「これは、ジェシカが私にお願いしたことよ!! 誰にも邪魔はさせないし、誰も巻き込みたくないのよ!」


 もう自分自身では感情が抑えられなかった。こんなに声を荒げて怒ったような声を出したのは久々だ。まだ幼い頃よくつまらないことで癇癪を起こし、ママン達を困らせたことがあったけど今回はその時の気迫さえも凌駕しているような気がした。


 私が最年長になり、妹や弟達ができてからはこんなに感情的に怒ったことはほぼなかった。妹を失い、良き姉でいたいと理想で形作っていたものが徐々に壊れ始めたのだろうか……?


「ロキ、私は正直貴方のことを何一つ覚えてやしない。でもね私の弟である以上、私は貴方にも傷ついてほしくない。私が守ってあげたいの」


 私は姉として、そして同じ孤児院を卒業した仲間として言葉をかけた。確かに……私はロキみたいに魔法が使えるわけでもなければ力が強いわけでもない。何か才能があるわけでもなければ、ましてやジェシカのように美しくもない……、何一つ自慢できるものは持っていないけれどそれでも私は【姉】として生きてきた誇りがある。


「それは、僕にとっても同じだ!!」


 ロキは私の言葉を全てかき消すような勢いでさらに大きな声を出した。でもすぐにハッとしてごめんと言葉を続けた。二人の間に沈黙が流れ、その間を先に破ったのはロキだった。


「……エレナにとっては僕は兄弟のうちの一人だったかもしれない、でもそれじゃ嫌なんだ!」


 燃えるように赤く、宝石のような瞳から大粒の涙が溢れた。


「僕は、エレナを守るために強くなったんだよ。エレナは何ひとつ覚えてないかもしれないけどれど僕は君との思い出全部覚えてる」


 5歳の時、川で溺れそうになった僕を助けてくれた。6歳の時、みんなにお腹いっぱい食べさせたくて一人森にキノコ狩りに行って迷って帰れなくなった僕を一番最初に見つけてくれた。


 ママンが他の小さい子に付きっきりになって寂しがっているときに傍にいてくれた。雷が怖くて泣いていた日は大丈夫だよって言って手を握ってくれた。


 紅龍が襲ってきた日だって怖くて足がすくんで逃げ遅れた僕を庇って君は死の淵に立たされた。運良く戻ってこれたけど僕のせいで死んじゃったらどうしようって一週間君が目覚めるまでずっと泣いていた。


「君は僕にとっての太陽で、僕は君のことが好きなんだ」


 ずっと小さい頃から好意を寄せていて、でも君はきっと僕に対して兄弟以上の感情は持ち合わせていなくて……


「だから君の力になりたいし、君の願望は全て叶えてあげたい」


 それが例え【復讐】という修羅の道でも、君とこの先の人生を歩めるなら僕は喜んでついていく。


「……? 私もロキのことは好きよ。でもそれとこれは話が違うわ。貴方には失うものもある、私には何もないわ」


 好きの意味が全然伝わっていなかった。元々ジェシカと比べられ続け、自己肯定が低くなっているエレナにとって好きという感情は家族の愛以上のものを与えてくれるものもいなかったし、与えるべき対象もいなかった。故に18になるが色恋沙汰にはとことん無知なのだ。


「……あのね、エレナ」


 ロキはエレナの反応にどうしたものかと頭を抱えた。一生懸命伝えたつもりだが弱かっただろうか? だめだ、怖がらせてしまうかもしれないけどもう少し本気を出さないと全然伝わらない。覚悟を決めるんだ。男の意地を見せるんだ。ロキは深く深呼吸をしてからエレナを見つめた。


「僕だって、男の子、だよ?」


「え?」


 言葉の意味がすぐに理解できなくてしばし固まっていると目の前のロキがゆっくり近づいてきた。逃げるのも変かと思って立ち尽くしていると前髪をそっと掻き上げられ、顕になったおでこに優しくキスをされた。


「え?!」


 今度は疑問ではない、驚愕した声色で短く反応をすると少しだけ満足そうにロキは微笑んだ。よく兄弟達におやすみのキスをしていたけどなんだかロキの口付けはそれとはまた違う意味な気がしてならなかった。心の中がザワザワする……


「嫌じゃない?」


「嫌っていうか……」


 よくわからなかった。兄弟のじゃれあいと思えば別に不快な気持ちはなかった。かといってわざわざ男の子だよって宣言して口付けた意味は決して兄弟だからしたという意味ではないのだろう。それくらいはエレナでもなんとなくわかっていた。


 この心がざわざわしているのは果たして嫌悪なのだろうか? でも嫌悪と纏めるのはなんだか違うような気がした。


 ロキはもう一度額にキスを落とし、息が掛かるくらい近い距離でもう一度傷跡を優しく指でなぞった。触れられたところが熱を帯び、顔中に熱が伝染する。


「す、ストップ!!」


 これ以上は心臓が悲鳴をあげそうで気がついたらそう叫んでいた。

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