第6話 妹の幸せな記憶

「えっ、エレナ……? それともジェシカ……? どっちなの?」


 目の前で起こった奇跡にロキは狼狽え、ムギは興味深そうに目を細め舌なめずりをした。


「うん、結構。こりゃあ驚いた」


 大魔導士様は口ではそんなことを言っているが全然驚いた様子は微塵にも感じられなかった。むしろ今の状況を楽しんでいるかのようなそんな余裕がそこにはあった。エレナは睨みつけるのをやめ、素直に質問することにした。


「なんでこれが……特別なモノだと分かったのですか?」


 他の人でもこれを見ただけでバレるようなことがあるのだろうか? だとしたら持ち歩くのはあまり得策ではないのかもしれない。


「いや、多分一目見て気付けるのは私レベルの……そうだね、大魔導士クラスだけかな」


 リップケースを投げたことを悪びれる様子もなくムギは自分の人差し指で髪の毛をくるくると弄び始めた。大魔導師という称号を持つ人はこの国に二人しか存在しない。つまり普段持ち歩いていてもそうそうバレることはないと言うことね。というか……


「……もしかして、私の心を読めたりします?」


「あ、気づいちゃった?」


 ムギはニカっと歯を剥き出しにしてアンタ勘が鋭いね! と豪快に笑いながらリップケースを指差した。


「それはね、この世に一つしかない持ち主の記憶を保存できるメモリーリップだよ」


「え! それってもしかしてお師匠様と同じ大魔導師の……!」


 ロキは興奮したようにゴクリと唾を飲む。反対にムギは心底胸糞が悪いとでも言いたそうな顔でその名を口にした。


「あぁ、あたしと犬猿の仲、同じ大魔導士ホップの代物さ」


 ケッと露骨に嫌そうな顔をするのを見て、先程乱雑にリップケースを投げた理由がわかった気がした。しかしだからと言ってジェシカの形見をそんなに粗末に扱って欲しくないものだ


「それは魔力のない人間が使っても発動しないから大抵の奴はそれを特別なモノだとは思わないだろうね」


 まぁ、あたしくらいになると胡散臭い匂いでわかるがね、とムギは露骨に自慢してみせた。


「でもそれとは別になんでアンタ、変身魔法なんて使えるんだい?」


「え? これはリップの魔法ではないのですか?」


 てっきりこの効果も何か不思議な力で起こっている魔法だと思っていた。ロキに貴方の目にはどう映っているの? と問いかけるとロキの口からも紛れもないジェシカの姿だとお墨付きをもらった。


 しかしムギは首を横に振った。


「いいや、このリップ自体にはそんな魔法はかかってないよ」


「じゃあこの現象は一体……」


「もしかしてアンタ……意外と魔法の才能があるのかもしれないね」


 ニンマリとムギは口角を上げて笑うと、とりあえずしばらくはここに好きなだけいな! とほぼ命令のような口調で立ち上がると、酒! 飲んでくる! と見た目がすごく綺麗な美人なのに中身はおっさんのようなことを口走りながら出ていってしまった。


……世の天才は変人が多いと聞くけれどムギさんも相当な変人みたいだ。


「ジェシカ……いや、エレナ」


 改まってロキが声をかけてきた。まだ私がジェシカの姿になっているから頭が混乱しているらしい。このままではややこしいからリップを服の袖で拭おうと手を伸ばした時だった。


「っ!」


––––頭の中にジェシカの記憶が蘇る。



『ジェシカ!!』


 この間見た紫色の頭の男……確か名前は……そう、アデク。アデクは愛おしそうにジェシカの髪を撫で顔を埋めている。


『あぁ……僕の愛しい人……』


『アデク様……』


 照れくさそうに微笑むジェシカ。二人が並ぶと絵画のような美しいワンシーンのように思えた。アデクはジェシカの美しい金髪を指で掬い、そっと口付けを交わす。


『……母は君にとっては厳しい人かもしれない、でも僕はきっと君を大切にする、僕を信じて』


『はい……アデク様』


 桜色に染まる頬に一筋の嬉し涙を流すジェシカ。それは何よりも幸せそうで見ているこっちも胸がいっぱいになった。頭の中に流れる映像が途切れても、その幸せの余韻で思わずエレナの頬にも涙が伝う。



「エレナ! どうしたの?」


 突然人形のように固まり、動かなくなったかと思うと小さく嗚咽しながらジェシカの姿で涙を流すエレナを見てロキは思わず両手を握りしめた。


「ジェ……シカ……、ちゃん、と、幸せ、だったん、だね」


 よかった。本当に良かった……辛い思い出だけじゃなくて……貴方の事をちゃんと思う人がいてくれて……


 初めてジェシカの幸せな記憶に触れられて思わず嬉しくて、しばらくはしゃっくりをしながら泣き続けた。ロキは泣き止むまで優しく背中を摩り続けてくれた。


「落ち着いた?」


 真っ白いハンカチで涙を拭ってくれながらロキは上目使いで顔を覗き込んできた。


 そして唇にそっと手をあてられ、紅を指でぬぐられると魔法が解けるようにエレナは元の自分の姿へと戻った。目の前で起こった出来事をまじまじと見つめられて少しだけ恥ずかしい気持ちになる。


「エレナ……君はさっきジェシカは元気だと言ったよね?」


 それは静かに、でも淡々と核心へと近づいてくる。


「それは……本当のこと?」


 じっと獲物を狩るライオンのように鋭い目で嘘を制す。エレナは少し視線を泳がせてから小さく首を横に振った。ロキの目が悲しみの炎で揺れ動いた気がした。


「……よかったら全部話してくれないかな?」


「きっと、信じないわ」


 鏡に映るジェシカが復讐を願っていたなんて……言ったって誰も信じてくれない。だってきっとあれは私の妄想だもの……。ロキは頑なに口を開かないエレナを見て悲しそうに呟いた。


「どうしてそう思うの?」


 右頬に手を添えられ、優しく撫でられる。まるで泣いている子供をあやすように。ロキの質問に上手く答えられなくて黙り込んでいると顔の火傷跡をくうで撫でるような動作を見せて、触ってもいい?とロキは聞いた。


「……うん」


 爛れた皮膚をなぞるように優しく指が伝っていく。


「僕ね、エレナが守ってくれたあの時。めちゃくちゃ後悔したんだ。だってエレナってば一週間も目を覚まさなかったんだもの」


 その声色は僅かに震えていて火傷跡を辿る指にも伝わってきた。


「ようやく目が覚めたと思ったら……君は僕のことをすっかり忘れていて……でも僕、今度は君を守れるくらい強くなりたくてそれでお師匠様についていったんだ」


 ふふっとまだあどけなさが抜けない少年にも青年にも見えるような甘い笑顔でロキは笑う。


「今まで傍にいてあげられなくてごめん。これからは君の傍にいるから……どうか僕を信じて」


––––僕を信じて。


 ジェシカが幸せだった頃の記憶の彼も同じ言葉を言っていた。ジェシカもこんな嬉しい気持ちで言葉を受け止めていたのかな? 心の底からこの人を信じたいと願ったのかな……


「……」


 神よ、一人で全部抱え込もうとしていた復讐という名の重荷を、この人と分かち合っても許されるのでしょうか?

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