第42話

 こんな事件が起きていても、松嶋まつしま小学校は市立しりつである。短縮授業にするのは兎も角、終業式の日程は市内一円、全ての小学校と同じ7月末。


 壇上で語る校長は、疲れを隠しきれない顔で何度も「大変な時期ですが」を繰り返した。


 確かに大変な時期という言葉に間違いはない。


 鷹氏たかし家の火事により児童の保護者3人が焼死した事件を皮切りに、6人の女子児童が行方不明になった。そんな大事件が半月余りの短期間に起きてしまったのだから、その対応に追われている状況は、顔色が悪くなる理由であふれかえっている。


 終業式は粛々と進む。校長に続いて壇上に登った生活指導からも、淡々と用件のみを伝えるに留まり、生徒が皆、思っている「学校の行事は長引いても短くなる事はない」を完全に覆す事になった。


「10時半」


 教室に戻った介は、教室の時計が午前中という事に目を細めていた。去年までならば、終業式を終えて教室に戻ってくる時間は12時前になっていたと思う。それだけ今、市立松嶋小学校で起きている事件の大きさを感じさせられる。


 40人中39人のユートピアを、たに 孝司こうじが作り出したのは日本がバブル景気に沸いていた頃で、それが暴露されて崩壊したのは21世紀になったばかりの頃だったからこそ、今、昭和・平成の負の遺産として新鮮味を帯びていた。


「それぞれ、机の上にあるワークブックを確かめて下さい」


 担任も疲れの色が濃い。校長は学校を統括する立場としての苦労だが、担任の苦労は最前線に立っている者が負うべき責任であるから、質が違う。


 何よりも、障がい者の姉を持つ中津川なかつがわ真誠まことの両親、夜の仕事をしている西谷にしたに みやびの母、シングルマザーである濱屋はまや毅世子きよこの母、荒っぽいというブルーカラーのイメージそのままの地浜ちはま友幸ともみの両親、昼間から暇を持て余しているえびす 健沙けなさの両親、娘に興味がないが故に失踪はある種の好機であると考える高橋たかはし悟依さとえの両親――それらの相手は、一筋縄でいくはずがない。


「一番、上のプリントに書いてあるものが足りない人は手を上げて」


 憔悴しょうすいしている担任を見ると、介はどうしても6人の保護者から、どんな責められ方をしているのかを想像してしまう。6人の両親がどういう人柄であるかは知らない介は、それ故に6人がそのまま大人になった姿を想像してしまい、自分が受けた仕打ちと似た様な詰め方をされるに違いないと思う。


 だが気の毒とは思わない。


 ――先生は、いつもいってたから。


 思い出すまでもなく、介は忘れない。



 ――イジメや嫌がらせは、見ているだけでも同罪です。



 ならば介が受けてきた事は何だというのか。全員が見ていて尚、動かなかった。担任もクラスメートも、見て見ぬフリをしていた。


 ――見て見ぬフリをしていただけで、見ていた訳ではありません……っていう?


 そういう事をよくいっていたのは――と介が思い出そうとしていると、まず西谷 雅の顔が浮かぶ。介の瓜実顔、細面を揶揄するために「細長ほ・そ・な・が~」といっていた雅は、介がやめろというと「動画サイトで昔のCM見たたけだから。鷹氏になんて関係ない」と、お決まりの言葉をいう。


 しかし雅が最悪かといえば、これも違う。


 ――いいや、もっと酷いのがいたな。


 そう思う相手は、この教室に「かつて存在した」と過去形で語られるようになったグーループ、仲良し7人組の生き残り。


 小蔵おぐら敬香けいかだ。


 敬香は雅の言葉を引き継いで、「自覚があるの? 頭が細長いって。だったら本当の事。名誉毀損でも何でもない」といって終わるのが、いつものパターンだった。



 見て見ぬ振りも同罪ならば、担任教師の様子は正当な罰といえるはず。



「!」


 そう考えてしまった時、介はハッとした顔をさせられた。


 ――こんな事、考えた事ってなかったよ。


 他者を無責任に断罪する事は、介にとって禁忌といってもいい程であったから、介は今まで仲良し7人組に何をされようとも反抗しなかったはず。


 ――最も効果的な仕返しは、殴りつける事ではなく幸せになる事。


 両親も祖父母も大輔だいすけもいっていた事を目指していた介ならば、こんな感情は浮かばない。


 ――変わっちゃったんだ。


 そうはいっても、介はもっと以前から自分の変化に気付いていた。



 大輔が死んだ日、そして自分を生還させてくれた聡子を抱きしめた日、介の目からは一粒の涙も零れなかったではないか。



 その時、介は大輔の口癖になったいたものと同じ言葉を口に出してしまう。


「どうでもいい」


 よくはない。


 よいはずがないのだが、介には、大輔がそうであった様に、これ以外の言葉は喉を通ってくれないらしい。


 そして、そんな呟きを、席の近くまで来ていた聡子が聞いていた。


「どうしたの?」


 目をぱちくりさせながら介の顔を覗き込む聡子に、介は「え?」と素っ頓狂な声を返してしまう。


 誰も手を上げなかった事で、担任は「じゃあ登校日に」と短く小さく呟いて出て行った。夏休みも安穏としていられる訳ではなく、今日も胃の痛い職員会議でもあるようだ。


 介は自分でも手慣れてきたと思う程、素早く机の上にアルワークブックを指差す。


「ワークブック見てた」


 その誤魔化し方が上手いかどうかは兎も角、指差したワークブックには「夏休みの友」とかかれており、


「友達になった覚えもないし、できれば来て欲しくないなぁって」


「あははは、確かに」


 聡子が笑ったのは、介の誤魔化し方が上手かったというよりも、聡子の性格から来る明るさだ。


 そして聡子は、できるだけ明るい話題を持ってきてくれている。


「夏休み、遊ぼうよ。どこへ行く訳でもないけど、部屋でゲームしてるのも楽しいよ」


 立て続けに家族を亡くした介に限界が来ているのは、聡子の目からも明らかだった。


 介が眠らされていたのは友幸の魔法によるものだったが、聡子は知らない。


 知らないからこそ、介が久しぶりに饒舌じょうぜつになったのには、大輔の死が影を落としていると感じ取れる。


 しかしゲームといったのは失敗だ。


「僕、ゲーム……持ってないから……」


 介は苦笑いと共にそういった。介が持っていたゲームは、本体ごと、あの夜の火事で消えてしまった。


 そして買い与えてくれる保護者も、もういない。


「あ……」


 バツの悪い顔をする聡子だったが、介は「ありがとう」といい、ワークブックを手提げ鞄に放り込んで席を立った。


 そして振り返りもせずにいう。


「遊べる時間があったら、遊ぼうよ」


 その言葉は自然に出た。



 涙を流す事ができなくなった介が、自然に出せる言葉――それはだけ。



 ポケットから出した紙片を、敬香の机の中へと放り込むためのカモフラージュ。


 ――決着をつけたかったら、僕はあの山の中にいるからこい。自分より弱い相手にしか吠えられない犬じゃないならな。


 思いつく限り強く、短い言葉で書かれた紙片は、介が生まれて初めて放った挑発だった。

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