第42話
こんな事件が起きていても、
壇上で語る校長は、疲れを隠しきれない顔で何度も「大変な時期ですが」を繰り返した。
確かに大変な時期という言葉に間違いはない。
終業式は粛々と進む。校長に続いて壇上に登った生活指導からも、淡々と用件のみを伝えるに留まり、生徒が皆、思っている「学校の行事は長引いても短くなる事はない」を完全に覆す事になった。
「10時半」
教室に戻った介は、教室の時計が午前中という事に目を細めていた。去年までならば、終業式を終えて教室に戻ってくる時間は12時前になっていたと思う。それだけ今、市立松嶋小学校で起きている事件の大きさを感じさせられる。
40人中39人のユートピアを、
「それぞれ、机の上にあるワークブックを確かめて下さい」
担任も疲れの色が濃い。校長は学校を統括する立場としての苦労だが、担任の苦労は最前線に立っている者が負うべき責任であるから、質が違う。
何よりも、障がい者の姉を持つ
「一番、上のプリントに書いてあるものが足りない人は手を上げて」
だが気の毒とは思わない。
――先生は、いつもいってたから。
思い出すまでもなく、介は忘れない。
――イジメや嫌がらせは、見ているだけでも同罪です。
ならば介が受けてきた事は何だというのか。全員が見ていて尚、動かなかった。担任もクラスメートも、見て見ぬフリをしていた。
――見て見ぬフリをしていただけで、見ていた訳ではありません……っていう?
そういう事をよくいっていたのは――と介が思い出そうとしていると、まず西谷 雅の顔が浮かぶ。介の瓜実顔、細面を揶揄するために「
しかし雅が最悪かといえば、これも違う。
――いいや、もっと酷いのがいたな。
そう思う相手は、この教室に「かつて存在した」と過去形で語られるようになったグーループ、仲良し7人組の生き残り。
敬香は雅の言葉を引き継いで、「自覚があるの? 頭が細長いって。だったら本当の事。名誉毀損でも何でもない」といって終わるのが、いつものパターンだった。
見て見ぬ振りも同罪ならば、担任教師の様子は正当な罰といえるはず。
「!」
そう考えてしまった時、介はハッとした顔をさせられた。
――こんな事、考えた事ってなかったよ。
他者を無責任に断罪する事は、介にとって禁忌といってもいい程であったから、介は今まで仲良し7人組に何をされようとも反抗しなかったはず。
――最も効果的な仕返しは、殴りつける事ではなく幸せになる事。
両親も祖父母も
――変わっちゃったんだ。
そうはいっても、介はもっと以前から自分の変化に気付いていた。
大輔が死んだ日、そして自分を生還させてくれた聡子を抱きしめた日、介の目からは一粒の涙も零れなかったではないか。
その時、介は大輔の口癖になったいたものと同じ言葉を口に出してしまう。
「どうでもいい」
よくはない。
よいはずがないのだが、介には、大輔がそうであった様に、これ以外の言葉は喉を通ってくれないらしい。
そして、そんな呟きを、席の近くまで来ていた聡子が聞いていた。
「どうしたの?」
目をぱちくりさせながら介の顔を覗き込む聡子に、介は「え?」と素っ頓狂な声を返してしまう。
誰も手を上げなかった事で、担任は「じゃあ登校日に」と短く小さく呟いて出て行った。夏休みも安穏としていられる訳ではなく、今日も胃の痛い職員会議でもあるようだ。
介は自分でも手慣れてきたと思う程、素早く机の上にアルワークブックを指差す。
「ワークブック見てた」
その誤魔化し方が上手いかどうかは兎も角、指差したワークブックには「夏休みの友」とかかれており、
「友達になった覚えもないし、できれば来て欲しくないなぁって」
「あははは、確かに」
聡子が笑ったのは、介の誤魔化し方が上手かったというよりも、聡子の性格から来る明るさだ。
そして聡子は、できるだけ明るい話題を持ってきてくれている。
「夏休み、遊ぼうよ。どこへ行く訳でもないけど、部屋でゲームしてるのも楽しいよ」
立て続けに家族を亡くした介に限界が来ているのは、聡子の目からも明らかだった。
介が眠らされていたのは友幸の魔法によるものだったが、聡子は知らない。
知らないからこそ、介が久しぶりに
しかしゲームといったのは失敗だ。
「僕、ゲーム……持ってないから……」
介は苦笑いと共にそういった。介が持っていたゲームは、本体ごと、あの夜の火事で消えてしまった。
そして買い与えてくれる保護者も、もういない。
「あ……」
バツの悪い顔をする聡子だったが、介は「ありがとう」といい、ワークブックを手提げ鞄に放り込んで席を立った。
そして振り返りもせずにいう。
「遊べる時間があったら、遊ぼうよ」
その言葉は自然に出た。
涙を流す事ができなくなった介が、自然に出せる言葉――それはウソだけ。
ポケットから出した紙片を、敬香の机の中へと放り込むためのカモフラージュ。
――決着をつけたかったら、僕はあの山の中にいるからこい。自分より弱い相手にしか吠えられない犬じゃないならな。
思いつく限り強く、短い言葉で書かれた紙片は、介が生まれて初めて放った挑発だった。
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