第41話

 かいと起きだしたのは、気が早くなった太陽が姿を見せ始めた時間。こんな生活を始めてから眠れなくなっていたが、それが顕著になっている事を、否応なく自覚させられる。


 介に向かってリーヴがいう。


「ごめんなさい」


 リーヴが持つ治癒の魔法が有効なのは、どうやら怪我だけだったらしい。脱水症状を起こしていた時も、その原因となった地浜ちはま友幸ともみの精神感応の魔法に対しても、リーヴは無力だった。介が眠れていたのは、心を癒やせるかも知れないと向けられていたリーヴの魔法が効いていたからではなく、ただ限界を迎えた脳のブレーカーとでもいうべきものが落ちていただけ。


「大丈夫だよ」


 介は手を伸ばしてリーヴを撫でた後、今までは大輔が寝ていた寝具を整える。


 寝室を出て居室へ移り、冷蔵庫を開けた。


 冷蔵庫には、ほぼ何も入っていない。賞味期限が切れそうなベーコンと卵、野菜室にしなびかけたレタスがあるくらい。


 フライパンに油を引き、ベーコンを軽くあぶった後、卵を割る。ジューッと音を立てるフライパンにふたをして、蒸し焼きにすればベーコンエッグのできあがりだ。


 ――そういえば……。


 そうやって作っていると、大輔と母親の違いを思い出す。


 母親は目玉焼きターンオーバーにしていたが、大輔はそれができずサニーサイドアップにしていた。


 ――大輔叔父さんも、ターンオーバーはできないっていってたっけ。


 祖父母がターンオーバーで作っており、祖父母に習った母親も自然とターンオーバーで目玉焼きを作る様になったのだが、大輔は違ったらしい。


 介もターンオーバーでは上手く焼ける気がせず、そう思うと……、


「長かったんだよな」


 大輔と一緒に生活していたのは、高々、一ヶ月にも満たない期間であるのに、自分が今まで生きてきた十年と少しよりも、密度が濃い生活をしていた事に気付かされる。


 祖父母よりも、母親よりも、介は大輔に似ていた。


 大輔は希和のあ――介の父親の様にはなれないといっていたが、介は父親には悪いと思うのだが、大輔こそが父親だったように思う。


 ベーコンエッグを皿に取り、同じ皿に、ゆで卵とざく切りにしたレタスを添えてサラダ風にする。


 カップスープと、丁度、一食分だけ残っていたレーズンパンを取り、食卓へ向かう。


「いただきます」


 手を合わせる。


 サラダの味付けは、マヨネーズやドレッシングではなく、先日、聡子が介を救うためにも使った岩塩を削った。


「~ッ」


 岩塩の加減を間違えてしまったサラダは塩辛く、形容しがたい顔をさせられてしまったが。


 それで舌がバカになってしまったお陰か、調味料を間違えたベーコンエッグも食べられた。


 それらをゆっくり食べ、丁寧に皿を洗う。


「介くん……」


 そんな介を、リーヴが見上げていた。


 バカ丁寧にベッドメイクし、洗い物をしている介に、どうしても思ってしまう事がある。


「介くん、危ないと思ったら、逃げていいですからね。私は、介くんがいてくれるなら、別にこのままでも……」


「リーヴ」


 介は皿を洗う手を止めなかった。


「……今更なんだ」


 今更、止められるかという言葉がくれている。


 リーヴの方を向かないのは、もうわかってるだろうという態度だ。


 ――そうですよね……。


 介が始めた復讐である。何より、魔女が仕組んだデスゲームは、リーヴを守るという気持ちも必要だが、魔法少女に対する殺意と敵意も同様。7人もの魔法少女を殺し尽くすまで、その殺意と敵意を保持するには、狩人側にも苦痛を要求する。


 介は、既に呪いか祟りかという世界を生きているのだ。


「介くん」


 それでもリーヴはいう。


「ずっと、一緒にいて下さい」


 その言葉は、介を振り返らせる。


「え?」


 介にも覚えのある言葉だった。


「死なないで下さい……」


 せめて生きて欲しいと思うのは、あの日、家族を喪って大輔の元に来た介と同じ。


 大輔は、この戦いはどちらもグダグダで、よりグダグダになった方が負けていくと考えた。


 その通りである。


 介が生き残っている理由は、9割が運の良さだといっても過言ではない。


 その介に対し、リーヴは繰り返した。


「死なないで下さい……」


 大輔が死に、介までもが死ぬ事になる未来を想像すると、リーヴはこの何百年かで最も深い恐怖を覚えてしまう。


 介が口にした時、大輔はいった。


 ――当たり前だ。


 だが大輔は、もういない。


「……約束できないよ」


 介がいえるのは、それだけだ。



 大輔ですら、介との約束を守れなかったのだから。



 水道を止め、皿を水切りパットに置いた介は、鞄を持ち上げる。ブラックライト、くくわな、水鉄砲、盾、銃――大輔がくれた武器が入っている鞄だ。


 掃除機もかけたかったが、校区外にある大輔のアパートから市立しりつ松嶋まつしま小学校までは自転車でも時間がかかってしまう。


 踏み台を利用して部屋のブレーカーを切った介は、玄関から出て行く前に一度、室内へ向けてお辞儀した。


「ありがとうございました」


 大輔との生活を送った部屋への感謝。



 今日が最後の日になるのだと、介は覚悟を決めている。



 それはどういう結末になるとしても、だ。

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