第8章「髑髏と少女編」

第40話

 遂に6人目の行方不明が出たと、テレビは一層、賑わった。


 メディアスクラムが組まれ、被害者女児の自宅にまでレポーターが押し掛けるような事こそなかったが、押し掛けるようなことがなかったからこそ、市立しりつ松嶋まつしま小学校にほじくり返されたくない過去がある事は暴かれる。


「ちょっと前に出て、上着を脱げ」


 録音された男性の声は、もうずっと昔の、小蔵おぐら敬香けいかたちから見れば曾祖父の時代の教員だ。


「並んで見たら分かるだろ。ベルトをしてるのとしてないのとだと、これだけ見た目の締まり方が違う。ベルトをしめてる方が、ピリッと締まって見える」


 レポーターは、この音声の教員は男子児童を二人、並ばせ、ベルトを締めている男子児童と、サスペンダーでベルトを吊っている男子児童を比べたと伝えている。


「サスペンダーなんか、バカのボンボンに見えるんだ。このバカボンが」


 児童の笑い声に「悪質ですね」とコメンテーターが在り来たりな言葉を前置きし、


「昭和だからといって、これは酷い。しかも、この児童は、日本人の母親とカナダ人の父親を持つハーフだったそうです」


 昔は良かったなど、決していえない例だという。


「サスペンダーは本来、腰の高さでボトムを固定できますから、寧ろ締まって見えるはずなのですがね」


 ファッションの知識よりも、先入観でモノを見ているのかという責め方は、今だからこそと反撃されそうではあるが。


 後に校長にまで出世したという男性教員の録音は、まだ続く。


「何が同じだ。書く欄が二つあるのに、一つの欄に詰めて書いてるのはお前だけだろうが!」


 ローマ字で自分の名前を書き取る授業での事だ。そのハーフの児童は、掻き込む欄が二カ所あるが、一カ所に二度、自分の名前を書いたのだそうだ。


「すみません。僕の間違いでした。許して下さい」


 男子児童が口にした言葉は、いわせてはならない言葉のはず。


 録音は暫く無音になるが、録音が途切れたのではない。


 沈黙だ。


 これがラジオであった完全に放送事故になっているくらいの沈黙の後、


「もういい」


 男性教員はそういった。


「イジメですか……」


 コメンテーターが端的に纏めたが、司会者は「それだけではありません」とテロップを映させた。


「これが一人だけ、このクラスだけの事であればイジメなのでしょうが、これを見て下さい」


 テロップに映し出されるのは、この被害を調べた結果である。


「各クラスに、それもどの世代にも一人、こういう児童がいたのです」


「えェ!?」


 コメンテーターたちは一様に、態とらしい程、驚いた声を上げた。


「各クラスに一人、こういう何をしても責められる生徒を意図的に作る事で、残りの生徒の不満や不安を解消させる。そういうシステムを作っていた可能性があるのです」


 それも実は新しい発見ではない。世代でいえば、大輔が小学生だった頃の、少し前に暴かれたシステムだ。とはいっても、最初に録音された年を考えれば数十年の時間が流れている。


「教員が中心となってイジメを行い、それを都合よく利用していた、という事ですか?」


 確認を取るようなコメンテーターの質問に、司会者は大きく頷いた。


「後の校長にまで出世した元教員は、これを必要悪だと思っていた、と発覚当時、コメントしています」


「とんでもない話ですよ」


 コメンテーターのうち、教育評論家の肩書きを持つ男が静かだが、強い口調でいう。


「裁ける法律はないですが、これは犯罪行為ですよ」


 いきどおりがあっても、怒鳴ったり叫んだりしないところは、肩書きよりも人間性に寄るところだろうか。


「小学生ですよね? この頃、絶対にしてはならないのは、児童の自信を奪う事ですよ」


 この男性教員が自信を奪う事を主たる目的にしているかどうかは分からないが、こういう扱いで犠牲者が自信を失うのは仕方がないくらいに思っていたのは間違いない。


「自分はできないんだ、ダメなんだなんて骨身に染みた子供は、チャレンジする事すら頭から消えてしまう」


 結果、確かにそうなった子供は存在した。このシステムは今も市立松嶋小学校に生きており、介は運動に関しては自信を持てず、ドッジボールでも敬香けいか毅世子きよこが投げるボールは「受け止められない」と思い込んでいた。


「子供の一番の価値は未来への可能性ですからね。それを奪う事になるなんて、これは犯罪です。本当に」


「そして事実、調べていきますと、この松嶋小学校、自殺者がいるんですよ」


 テロップが切り替わる。


 世代でいえば受験戦争から就職氷河期にかけてという長いスパンのデータであるから、当時は無視されてきたのかも知れないが、今、並べられるとハッキリ分かる数字になっていた。


「そして今です」


 中津川なかつがわ真誠まこと西谷にしたに みやび濱屋はまや毅世子きよこ高橋たかはし悟依さとええびす 健沙けなさ地浜ちはま友幸ともみの6人が行方不明。


「闇を感じますね」


 関連の有無は、調べたところで無関係としかでてこないのだが、並べられた時、人はどうしても繋がりを感じてしまう。


「嫌なニュースね」


 敬香の母親は、昼食時に見たくないという顔だけはした。


「俺が小学校に上がるか上がらないかって頃に発覚してるんだな。酷い事もあったもんだ」


 敬香の父親も、同様に。


 ワイドショーという番組の性質上、視聴者に多かれ少なかれ見られる事ではあるが、こういう両親の顔が敬香は嫌いだった。


 ――その一人も、他の子の役に立ってるならいいじゃない。


 敬香は思う。


 ――動物実験に使われるモルモットと、どこが違うの?



 人の役に立つなら良いではないか。



「敬香も、こんなのになったらダメだぞ」


 父親のいう「こんなの」とは、果たしてどちらを指しているのか。


 敬香の答えは決まっている。


「当たり前」


 これも断言しているというのに、対象は酷く曖昧だ。40人中39人のユートピアを肯定しているのか否定しているのか、聞く側によって真逆になる。


 総じてこの親子が肯定派なのか否定派なのかといえば肯定派なのだが。


 40人中39人のユートピアが発覚しなかったのは、教師が中心にいたからというよりも、生徒や保護者の満足度が高かったからだ。不満を持つのが被害者側の1家族のみならば、文字通り圧殺し続けてきた。


「そんな事より――」


 両親と妹の間に、兄が割り込む。


「北高が夏の地方予選から返ってきたら、俺、そのまま合宿に合流するから」


 兄は中学生であるが、県内の強豪校に呼ばれる程の実力を持ったバスケットボール選手だ。北高は県立高校であるが、スポーツ推進校であり、郡部にある利点を活かし、広々とした敷地に陸上競技や球技などの専用コートやグラウンドを整備している。合宿所も同様に。


 県内の強豪校に招聘される兄の存在は、母親にとっても誇らしい。


「わかってるよ。頑張ってきて」


 既に用意万端だ。


「雰囲気に呑まれるな。逆に高校生を飲み込んでやれ」


 父親の言葉に、兄は「当然だ」と胸を反らす。


 そんな兄を横目で見ながら、敬香も負けない。


「私も、お兄ちゃんなんて追い抜くから」


 心中では納戸も繰り返してきた言葉であるが、口に出したのは初めてだった。


「敬香が?」


 兄はフッとバカにした様な笑い方をするのだから、それが敬香には面白くない。


「私だって、中学生の男子と練習して、ずっと勝ってるもん。パワーで勝てないとしても、スピードで圧倒してる」


 先日も、ドリブル突破からの3ポイントシュートは、中学生の度肝を抜いた。


「ミニバスしか経験していないからってバカにしてるなら、お兄ちゃんの目なんて節穴よ」


 兄も中学生だろうといわれれば、返す言葉もない。


 兄の顔が不機嫌になるのだが、そこは父親が割り込んで宥める。


「兄妹揃って天才だ。いいじゃないか」


 自慢の子供たちだ。



 今、ワイドショーを賑わせている市立松嶋小学校の事など、この二人には無関係でなければならない――そう思う程に、自慢の。



「とんでもない事になってるけど、もう一学期も明日の終業式だけ。夏休みは、思いっきりやりなさい。何でもね」


 母親は手を伸ばして、兄妹の背をパンッと叩いた。


「うん。夏休みは――」


 敬香は少し目を細めた。


「楽しまないと。他の6人の分まで」


 言葉の裏に隠しているものは、父親も母親も兄も分からない。


 仲良し7人組の生き残りなのだから、敬香が夏休みまでにすべき事は一つ。



 ――鷹氏たかし、お前をっとかないと、楽しい夏休みになんないんだよ。



 生かさず殺さずを貫かなければ40人中39人のユートピアは維持できないが、維持よりも優先すべき事を敬香は覚悟した。

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