第39話

 リーヴに導かれてきたのは大輔だいすけのアパート。


「やっぱり、鷹氏たかしくんなの?」


 聡子さとこは青い自転車の前カゴに乗せているリーヴへ話しかけたが、リーヴは何もいわない。体力がない以前に、今やリーヴの声は聡子にも聞こえるが、リーヴは無言を貫きたかった。


 ――聡子ちゃんはダメ。巻き込んじゃダメ。


 魔女の呪いは、リーヴを守る騎士と、リーヴを狙う魔法少女を戦わせるゲームではなく、復讐に凝り固まった狩人に、魔法少女を狩らせるゲームだと気付いたから。


 かい大輔だいすけを、リーヴは巻き込んだと思っている。


 ――聡子ちゃんは、巻き込めないんです。絶対に。


 聡子が復讐に走るとは思えないが、迷わせるはずだ。迷わせ、苦しめ、そして残り二人とはいえ、小蔵おぐら敬香けいか地浜ちはま友幸ともみに狙われ、傷つけられる。


 ――大輔さんを殺してしまったのに、聡子ちゃんまで傷つけられたら、介くんは救われないんです……。


 リーヴが聡子に求めるのは介を助ける事だけ。


 自分を助けてくれとは思わない。


「くーん……」


 リューがリーヴの方を心配そうに見上げていた。


「リュー、大丈夫。リーヴちゃんも、鷹氏くんも、私が助ける」


 聡子は駐輪場に自転車を止め、大輔と介の部屋に急ぐ。


 リーヴが抜け出してきた小窓は開いているが、玄関は当然、閉まっている。


「でも、確か……」


 介がいっていた事を思い出す。


 ――スペアキーを置いてるんだ。郵便受けの中に……あった。


 介がしていたように、郵便受けに手を入れて探ると、鍵らしい感触が。


 ――電磁石を使って、裏側に貼り付けてるんだ。ボタンを押したら取れるようになるの。


 スイッチを切ると、手の中に鍵が落ちてきた。


「行くね、リュー。リーヴちゃん」


 二人に謝ってから、聡子は鍵を開ける。すーっと冷気が流れてくるのは、リーヴが冷房をかけていったからだ。


 リーヴが開けていった窓を閉め、介と大輔の寝室を覗くと、タオルケットを腹に載せた介が寝ていた。


 体温はエアコンのお陰で上がっていないが、顔色が悪いのは脱水症状を起こしかけているからか。


「鷹氏くん!」


 駆け寄った聡子は、軽く頬を叩いた手にすらかさつきを感じる程。これで済んでいるのも、リーヴが運んでいた水のお陰である。


「お水!」


 キッチンへ急ぐが、手にしたコップに水を入れようとした所で手を止めた。


 ――お水じゃダメだ……。脱水症状が進んでいると、お水も吸収できない。


 保健体育で習っている。水分補給は、水だけではなく塩分も必要だ。


 しかし単純に食塩を加えただけでもダメ。


 ――お塩が濃すぎると、余計に脱水症状が進む。


 一番、早いのは救急車だが、聡子は携帯電話など持っていないし、大輔のアパートには固定電話もない。


 介がスマホを持っているのは知っているが、それを探すという思考に至るには、もうワンクッション、聡子に余裕が必要だった。


 介の状態を見てしまった聡子に余裕などなかったが、余裕がないからこそ聡子はが出る。


 ――塩……。


 大輔と介の事で思い出すのは、大輔が料理をする、それも割と得意で凝り性だったという事。


 ならば、この部屋には――、


「岩塩!」


 あるはずだと聡子は調味料が集められている棚を見た。


 普通ならば一般家庭には食卓塩しかないが、凝り性の大輔ならば岩塩を持っていてもおかしくない。


「あった!」


 大輔が調味料を整理するタイプだったため、容易に見つかる。削るためのおろし金も同様に。


 岩塩を削りながら、理科の授業を思い出す。


 ――海水に含まれている塩の量は、1リットルに34グラムです。


 ビーカーに入れた塩の少なさに驚かされたものだ。


 しかし、それ以上に驚かされたのは、介がいった事。


 ――でも海水って食塩だけじゃないから、これだと海水じゃないんだ。


 介は食塩水と海水が違う事を知っていた。


 そしてもう一つ。


 ――海水なら、4倍に薄めると人間の血に近い濃さになるらしいよ。


 血と聞いた時は気持ち悪かったが、今ならば分かる。


 ――こういう時、一番、飲みやすいのがソレなんだ!


 救急車を呼ぶ事に頭が回らない程、余裕のない聡子だが――いや、余裕のない聡子だったからこそ、介がいった事を思い出せた。食塩ならば95%以上が塩化ナトリウムが、岩塩に含まれる塩化ナトリウムは80%以下。残り20%超にミネラルなどの栄養素が含まれる。


 ――34グラムの4分の1……8グラムとちょっと。


 計量カップとはかりを駆使し、聡子は作った。


 作った岩塩のジュースを口に含み、


 ――戻ってきて!


 聡子は祈る様な気持ちと共に、介の口へ運んだ。



 ***



 地浜ちはま友幸ともみは緊急事態になった事を感じ取っていた。


 大輔の予想通り、友幸の予知はである。


 眠りから覚める事のない夢を見せられ、衰弱死させれるという予知は、「介がこのままならば」だ。


 夢の中で家族を生き返らせ、大輔の死を納得できるものにすれば、この地獄へ介が戻ってくる理由はなくなる。


 だがインターフォンが鳴った時から、夢は友幸のコントロールを離れた。


 ――野村聡子!



 原因は聡子の介入しかない。



 聡子が作った岩塩のジュースが、介の意識に横やりを入れた。介の意識が強靱さを取り戻したとだけは思わない。友幸にとっても、介は劣った存在であり、利用されるしかない存在だからだ。


 ――私のコントロールを超えるなんて有り得ない!


 介と聡子がいるアパートへ、友幸は全速力で自転車を走らせる。介が死ぬ可能性が低下しているのは直感していたが、ハッキリと否定されたかどうかに予知は使えない。


 ――もし予知して、覆っていたら!


 外れれば友幸にダメージが来るという制約のある予知の魔法で、生死に関する事は禁忌とすらいえる使い方だった。



 生死を予知し、それを外してしまった時に来るダメージは、あるのみ。



 今、介の生死を予知し直し、生存が出てしまうとコンフリクトを起こしてしまう。コンフリクトは、友幸を必ず殺す。


 ――ケイタカ……チクショウ!


 友幸は自転車を走らせながら、こんな使い方をするしかなくなるまで追い込みをかけてきた仲良し7人組のリーダーを思い浮かべる。


 ――今の私を見たら、笑う? 慌てて手を貸してくれる?


 それは分からなかった。友幸にとって想像のできない事態といえる。


 今の友幸が想像しやすい世界は、一つ。


「鷹氏……救えない奴!」


 介。


「家族があんなになったのも、家が燃えたのも、全部、自分のせいなんだよ! お前は、何もかもをかぶって泣く事だけが社会貢献だったのを、簡単に手放してんじゃねェよ!」


 歯を食い縛ると、炎天下の中で自転車を漕ぐ息苦しさが増して行くが、増すペースは苦しさよりも怒りが早い。


「お前が生きてるせいで、全部こうなった!」


 怒りのボルテージが上がる。


「謝れ、死んで償え!」


 頂点に達しようとした時、


「自分が生きている事を――」


 不意に途切れた。



 介の死を予知した魔法が破れた瞬間である。



 ――自分が生きてる事を、死んで償え……。


 意識が拡散していく中でも、友幸は最後まで叫び続ける。


 誰も聞いていない、聞くことのできない叫びを最後に、友幸の全てはと化した。



 ***



 目を覚ました介が初めて見たのは、夢の中でも助けてくれた女児の顔。


「鷹氏くん……よかった……」


 声を震わせる聡子を、介は思い切り、その両手に抱きしめる。


「幸せだった!」


 聡子の顔がすぐ近くにあるのに、介は遠慮も何もなく大声を張り上げた。


「幸せだった! 幸せで、幸せで……本当に幸せで――!」


 悔やんでも悔やみきれない。


 だが介を抱きしめる聡子の頬には涙が伝っているというのに、介の相貌から何もない理由は、一つだけ。



 介は死へと続く偽物だとしても、楽園を壊して、地獄へと帰ってきた。

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