第35話
朝食の準備を母親に全て任せるのではなく、ある程度は自分で作る習慣があるからだ。
制服に着替え、リビングダイニングへ続くドアを開ける聡子は、いつも通り。
「おはよう」
挨拶をしたリビングダイニングでは、既に母親がキッチンに立っているのもいつも通り。
「おはよう」
カウンターキッチンから顔を覗かせた母親は、にっこりと笑い、
「お父さんは、まだだけど」
今朝も、父親はまだ寝ている。父親は朝食を取る習慣がなく、ミルクを一杯、飲んでから出勤する。ギリギリまで寝ていたいのだそうだ。
「仕方ないお父さんね」
聡子は笑い、冷蔵庫からシナモンパウダーとグラニュー糖を取り出す。
「シナモンシュガートーストを作ったら、お父さんも食べていくかな?」
娘が作ってくれた朝食なら食べてくるかなと
母親が無音では寂しいというのでつけられているテレビが伝えた、深夜に起きた事故のニュース。
「亡くなったのは、市内に住む
「え?」
亜野は珍しい名字ではないし、大輔も有り触れた名前であるが、亜野大輔という名前と共に、炎上した青いスポーツセダンが映ると、聡子は一人しか思い浮かべられない。
「大輔さん……!?」
シナモンシュガートーストを横に置き、慌ててテレビの方へ移動する聡子。
「現場の国道は見通しの良い直線道路で、警察ではスピードの出し過ぎが原因とみて現場検証を進めています」
画面に映っている青いスポーツセダンは、介の叔父である大輔の愛車とよく似ていた。リアもフロントも潰れているため、隠すまでもなくナンバープレートはなく、炎上した車は元が青ではないかもと思わされるが、聡子は全て繋げて考えてしまう。
「酷い事故ねェ」
車が炎上するスピードがどれだけか知らないが、と聡子の母親は顰めっ面を見せている。
「スピードの出し過ぎって、どれくらい出してたのかしら?」
その上、娘の言葉が眉間に皺を刻む事になってしまう。
「これ……ひょっとしたら、鷹氏くんの叔父さんかも……」
聡子は青い顔をしていた。
***
リーヴの治癒魔法も、身体の怪我は完璧に治せるが、心の傷には効果が薄い。
嫌な気分のまま、寝たのか寝ていないのか分からない目覚めを迎えた時、見上げていた天井は白いクロス張りではなく、杉の羽目板。
「え……?」
一瞬、介は自分の居場所が分からなかった。大輔のアパートは、アパートだけに天井も壁もクロス張りだった。
杉の羽目板だったのは、大輔のアパートではなく、亡き父が建てた自宅である。
「!」
跳ね起きた介は、自分が横になっていたのがマットレスではなくベッド――あの日、焼失した自室にあったシングルベッドだった事に気付く。
周囲を見回せば、全て見覚えがある。
父親が介のために用意してくれた12畳の部屋に、二十年でも三十年でも使える様にと選ばれた学習机やベッド。量販店で3万円も出せば買える程度のものなど一つもない。
テレビ台、そして大輔が「介くんの初めてのゲーム機は俺が!」といってプレゼントしてくれたゲーム機だ。
「僕の部屋」
頬を一度、叩いた介は、思わず笑ってしまった。夢ではないのかと頬を叩くなど、それこそベッドの向こうの本棚に並べている漫画によく出てくる。
「僕の部屋だ」
そう思うと、パジャマを脱ぎ捨て、整理箪笥からシャツ、ポールハンガーに掛けられている制服に袖を通す。
部屋から出ると右に両親の寝室、左手に納戸があり、90度曲がっている階段。
階段を下りれば玄関と廊下、突き当たりのLDKは一階の半分を占める。
「おはよう!」
殊更、大きな声を出す気はなかったが、介の声は自然と大きくなり、LDKにいた祖父の
「何よ!?」
キッチンに立ち、胸を押さえて目を全開にさせられていた佳奈に、介はもう一度、「おはよう!」と告げた。
「おはよう、お母さん、お祖父ちゃん!」
食卓について目を丸くしている祖父を余所に、LDKと隣り合わせになっている和室へも向かう。
そこには療養している祖母の
「元気じゃのぅ」
三人への挨拶が終わったところで哲治は苦笑いし、同じように苦笑いする佳奈が焼き上がったばかりの目玉焼きとウィンナーを載せた皿を持ってくる。
「元気が良いのはいいけれど、もう少し静かにして」
「ごめんなさい。でも……」
自分の席に着いた介は、並べられた朝食に声を震わせる。目玉焼きは、大輔が作れなかった両面焼き。両面焼きの目玉焼きとウィンナー、それにちょっとしたサラダと、味付け海苔を添えたご飯というのが、介にとっていつもの朝食だ。
「いただきます!」
手を合わせた後、それらを一気に掻き込む。
味は……どうでもいい。
美味しいに決まっている!
***
「人は、空気がなければ3分、水がなければ3日、食糧がなければ3週間で死ぬ」
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