第33話

 眠れずに起きていたかいも、突然、脳裏に健沙と健沙が追い掛ける青いスポーツセダンが入り込んできた。


「え!?」


 気持ち悪いと思ったのは一瞬で、その光景と、その光景を見せているものが何かは気付く。


「誰の魔法!?」


 精神感応の魔法というのも察しが付き、それを誰が使っているのかを探ろうとするのだが、介の集中力はアップになってくるスポーツセダンによって千々ちぢに乱れた。


 音も聞こえている。大輔だいすけのスポーツセダンは甲高い音を立てており、アクセルを思い切り踏み込んでいる事がわかる程。


「ヤバい……ヤバい!」


 顔をしかめて叫ぶ介に、かたわらにいたリーヴが身体を震わせる。


「どうしたの?」


 リーヴには精神感応の魔法が届いていないからだ。


「大輔叔父さんが、狙われた!」


 どうしていいのか分からないという風に視線を彷徨わせる介。大輔の車には動力噴霧機があるがタンクは空であり、仮にタンクが満タンだったとしても運転しながら使うのは不可能だ。


 リーヴは飛び起きると、大輔の位置を探る。介と大輔の居場所の把握だけは正確だ。毅世子きよこの時も、リーヴの能力は活かされている。


「これ……もう近くまで帰ってきてるかも」


 こちらから武器を持って合流できれば――それをいうまでもなく、介は冷蔵庫からジュースを取り出し、水鉄砲と共に掴んで部屋を駆け出す。


 玄関の施錠ももどかしいと、転がり落ちるくらいの勢いで階下へ、そして自転車置き場でスポーツ自転車に跨がる。


「介くん、行くよ!」


 前カゴに入ったリーヴは、自分が案内するかと告げた。


「うん!」


 ジュースを入れた水鉄砲と、背負った鞄の中にある盾を確かめ、介は自転車を走らせた。


 今、脳裏に見えている光景は、県道を北へ走った交差点とクロスする国道。


 ――大輔叔父さん!


 消すことのできない精神感応の魔法で送られてくる映像では、スポーツセダンの中に入ってきた健沙が、大輔に見下した様な笑みを浮かべている。


「ぐあ!」


 そして大輔の悲鳴。革張りのシートに赤い斑点をつけたのは、健沙の魔法だ。


 左足の太ももを深々と切り、大輔の喉から悲鳴がほとばしる。


鷹氏たかし、今から見せてやる。このおっさんが、どんな無様に命乞いするかをさぁ!」


えびすさんッッッッ!」


 自転車を走らせる介の足にも力が入る。


 長いともいえない県道を抜け、国道の交差点へ――、


「介くん、ここからは私が行ってくる!」


 猛スピードで迫る大輔のスポーツセダンを見つけたリーヴは、カゴから飛び降りた。子ネコ程度の体しかないとはいえ、そのネコも時速40キロを超えて全力疾走できる動物だ。リーヴの浅ましいといわれた姿は、今ばかりは役に立つ。


「大輔さーん!」


 リーヴが走ってくのを見た大輔は、運転席側の窓を開ける。


「リーヴ!」


 声を掛けるために減速した大輔の顔は、真っ赤に染まっていた。左耳が削がれ、流れている血で片目を塞がれてしまっている。


「大輔さん……生き残って……! 私が治すから!」


 ここを切り抜けたら、リーヴの魔法は完璧に大輔を生還させるだけの効果がある。


「ああ、頼む。でも、それより前だ。介くん、来てるんだろ? これを渡してくれ」


 助手席からダッシュボートの上に避難させた桐箱を手に取り、窓の外へ押し遣る大輔。


「しっかり、持って行ってくれよ」


「大輔さんは?」


 水鉄砲を持っていった時にもらったハーネスを着ているリーヴは、大輔が作った最後の武器を背に乗せ、健沙と大輔の乗るスポーツセダンを見る。


「俺は、足止めする。近くに介くんがいるんだろ? 介くんが来たら、勝てる」


「何いってんだよ、おっさん!」


 健沙けなさの声と共に、ピチッと何かが破裂する様な音がした。


「ああああ!」


 大輔に悲鳴を上げさせたのは、左眼球の破裂。


「リーヴ、頼んだぞ!」


 大輔は声を出すことによって痛みを無視した。左足の感覚は怪しいし、左耳は殆ど聞こえていない。左目は今、潰された。


「おっさん――」


 健沙は諦めろといおうとしたが、今まで健沙が感じた事のない痛みが言葉を遮る。


「てめェは!」


 左手をハンドルから離した大輔が殴りつけたのだ。


「てめェは!」


 殴りつけた。


「ここで!」


 ただ殴りつける。


「俺の道連れだ!」


 ひたすら殴る。


「だから、黙って――ぐああああ!」


 黙れと思ったのは大輔だけでなく、健沙もそうだった。


 大輔の左手を切断する。


「一石二鳥!」


 これで大輔は自分を殴れないし、左手が切断された激痛は意識を混濁させる。気絶しなかったのは大輔の精神力だが、平常心を保つのは無理だった。


「大輔さん!」


 走るリーヴは、全力疾走を始めた車では距離を離されていく事を承知で治癒の魔法を大輔へと向けていく。効果を発揮できる範囲がどれ程かは分かっていない。当然、走りながらだ。


「へッ」


 だが大輔は薄笑いを発し、残った右目で前方を睨み付ける。


「お前は、道連れにするって、いったァーッ!」


 右足が床につくまでアクセルを踏む。急速な加速が健沙を革のシートに押し付け、


「こ……この……」


 震えているつもりはないのに、健沙は手が伸ばしにくい。時速160キロ超える速度に達すると、腕を伸ばそうとするだけで慣性が阻む事態になる。


 ――魔法。風の魔法……!


 もう大輔の首を狩れば良いと思った。


 だができなかった。


 このスピードで運転手を失った車はどうなるのか?


「お前が思ってる通りの結末にしてやるぜ!」


 大輔は思いきりハンドルを切り、タイヤの悲鳴を無視してブレーキを踏む。


 一拍、置いてアクセルを――、


「介くん!」


 絶叫しながら思い出すのは介の姿。まだ赤ん坊の頃だ。退院した姉へはお祝いを、赤ん坊の介には誕生日を刺繍してもらったクマのぬいぐるみを持っていった。


 かわいいと思った。


 そのかわいい甥に、ぬいぐるみではなく武器を渡していく今に少なからず後悔はある。


 ――これから中学、高校、大学……就職、結婚……!


 全て自分が親代わりになるつもりだった大輔だが、どうやらダメらしい。


「勝つんだよ!」


 大輔の絶叫。


 しかし壁にぶつかる轟音によって、近くに来ている介の耳に届けるには、あまりにか細くされてしまった。


 スピンを始めたスポーツセダンは、まずリアがぶつかり、その衝撃で半回転し、もう一度、壁へ激突した。フロントはもぎ取られ、今まで車体を前へと進める力になっていた300馬力という大パワーは、全てボディに炸裂する。


 車体は五十センチ程、宙に浮き、今度はアスファルトへ叩き付けられた。


 エンジンすらも貫いた衝撃は、この青い愛車のボディに赤い炎となって現れる。


「大輔さん!」


 リーヴが叫ばされた。まるでネズミ花火の様に回転したスポーツセダンは、最後に火を噴いた。


「……大輔叔父さん……」


 呆然とした顔をする介であったが、何もかもを忘れて立っているのではない。


「リーヴ、叔父さんの武器を頂戴……」


 リーヴが背負っている桐の箱を開ける介は、そこに入っている銃を手に取った。桐箱には大輔が手書きしてくれた説明書があるが、それは一瞥するに留める。


 今、介の目には、助手席からいずるようにして出てくる健沙の姿が見えているのだ。


 回転式弾倉の銃リボルバに、ペイント弾を装填していく。全部で6発。


 それをゆっくり、静かに構える。右手と左手は重ねる事になり、水鉄砲を構える時とは違う位置になるが、些細ささいな問題だ。


 右手を押し付け、左手を引くという動作に変わりはない。腕を伸ばせば、照門、照星、利き目が一直線になるよう練習もした。


 狙いは、うずくまっている健沙。


 ――たくらんけ!


 が出そうになる健沙は、燃え盛る車内に充満した焼けたプラスチックの煙は肺も気道もむしばまれている。顔が膨れあがって目も開かない。


 何もいえず、何も聞こえず、息も、自由に立ち上がって歩く事すらも不可能。


 リーヴを守ろうとする者が悪意と敵意を持って攻撃した場合、アレルゲンは致命的なダメージとなる――このルールは絶対だ。


 ――ズルだろ……お前、ズルしただろ!


 口に出せない言葉は不平不満。


 今まで介が先に触って「けったん」と叫んでも遅かったといい、ドッジボールが掠めた程度でも当たった事にして来た、そんな行動が取れない事を指して、「ズル」といっているのだろうか?


 そもそも、どこに隠れるか、鬼に掴まらない場所はどこかを探す思考力の勝負だったかくれんぼを、ペース配分など考える必要すらない、10メートルから20メートルのダッシュという、ルールで脳筋御用達の謎ゲームにできなかった事に対して、いっているのであろうか?


 ――お前、できるだけ自分たちを有利にして、俺たちを不利にしてからじゃなきゃ戦わない弱虫の集団なんだよ。


 炎の中で、大輔は薄笑いを浮かべた。



 ――



 それが大輔から贈られる評価だ。競うのが好きでもいいし、勝つのが好きでもいい。だが仲良し7人組は、相手を任すのが好きなだけだ。


 楽をして、できるだけ楽をして、勝つ事より相手を叩き潰して負かせよう――そういう考えを正当化しつづけてきた戎 健沙は、介の銃弾を崩れそうになっている顔面で受けた。ドッジボールなら、セーフだったが。

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