第6章「虚無への供物編」

第29話

 市立しりつ松嶋まつしま小学校は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。


 中津川なかつがわ真誠まこと西谷にしたに みやび濱屋はまや毅世子きよこに続き、高橋たかはし悟依さとえと、わずか半月の間に4人もの行方不明者を出したのだから当然である。


 授業は午前中だけに短縮され、放課後の外出もできるだけ控える様にと告げた担任の顔色が悪いのは気のせいではない。


「チッ」


 えびす 健沙けなさは午前中に帰宅するのが嫌いだった。特に平日は。


「ただいま」


 勝手口から上がっても返事がないのは、消え入りそうな声でいったからだけではない。


「あーあ、バカじゃないか」


 居間から聞こえてくるのは、平日の昼間だというのに、当たり前の様に笑っている父親の声。


 見ているのは平日の昼間だからこそやっているバラエティ番組の再放送で、寝転がっている父親の横には母親の姿も。


「最近のテレビはレベル低いわぁ。顔が良いだけのバカにとっては、セーフティネットかも知れないけど」


「ははは、いえてる」


 妻の言葉はテレビより出来が良いと、健沙の父親は笑う。


「こういうバカは、若い頃はチヤホヤされて、年取ってからは自分の世間知らずさに焦って、変な男に掴まって腹ポテ婚からのスピード離婚ってパターンだな」


 父親の笑い声は多分に嘲笑も含んでおり、それに同調している母親も同様だ。


「こんな人生、絶対、嫌だわ~」


 背を反らして笑った母親は、そこでようやく健沙に気付く。


「おかえり。早かったのね」


 まだ昼前だという母親は立ち上がろうとしないのだから、昼食を用意する気はない。


 健沙も慣れたもの。


「午前中だけの短縮授業。もう夏休みまでそうなるって」


 鞄を置き、自分の部屋へ戻ろうとする健沙の背に、顔をテレビへ向けたままの父親の声が向けられる。


「お前の学校、大変な事になってるな」


 バラエティ番組が終わって切り替わったローカル情報番組で、今日も不可解な事件として4女児行方不明事件が扱われていた。


「4人の女子児童が行方不明になった松嶋小学校ですが――」


 女性レポーターの話す内容に、父親は「様変わりしねェなァ」といっているのだが、居間、流されている内容は健沙にとっては感情を波立たされるものである。


「実は最初の女子児童が行方不明になる直前に、同じクラスの男子児童宅が火事になり、その家に住む母親と祖父母が亡くなるという事件も起きています」



 鷹氏たかし家の事だ。



「ああ、あったあった。悲惨な火事だったなぁ」


 健沙の父親にとっては有り触れた事故だが、今の健沙にとっては全ての発端となった忌々しい記憶になっている。


 ――証拠なんてないし、どうやっても私たちは無罪なのに。


 介の家族を殺したのも家を全焼させたのも、全て魔法という証明のしようがないものを使っているのだから、敬香を始めとした7人に法的な処分は下りようがない。


 ――寧ろ、4人も殺してる鷹氏をどうにかしろよ、警察!


 対する介は魔法なんて持っていないのだから4人に対する殺人罪だろう、と顔が紅潮していくのを自覚する程の怒りを感じる。


 その怒りに染まった頭に、母親の声が届く。


「でも、この男子も、凄い事になってるだろうにね」


 かいの事だ。


「火災保険に三人分の生命保険が、この子ひとりに来るんでしょ? 人生イージーモード」


 父親の保険金だけで介が大学まで行く教育費をまかなえるのだから、今、介はどれだけのものを持っているかと考えると、健沙の怒りは爆発した。


「無能な奴……」


 まずは何故、そんな制度があるのだという怒り。


 ――価値がある奴を助ける制度を作らずに、何でそんなの作ってるんだ!


 介に対し、「いじめられて泣く事が社会貢献」と思っているのだから、健沙にとって、その社会貢献を放棄した介に価値などない。


「どうして私たちが苦労させられなきゃならないんだ」


 介護施設の清掃パートなどという薄給でコキ使われている両親を救わず、介如きを救う――、


「有り得ないだろ」


 それら、健沙の言葉は独り言というには大きすぎ、母親の顔をテレビから自分へと移させた。


「何かあったの?」


 怪訝けげんそうな顔をしている母親へ、健沙は「何でもない」としかいわない。


 いわれない母親だが、女のカンか、続ける。


「何かあったら、一朗いちろうがいってくれた事を思い出しな」


 一朗――母の弟であるから、健沙にとっては叔父にあたる。


 叔父は北海道で警備員のパートをしているため滅多に会えないが、会った時、健沙によくいった言葉がある。


 ――健沙はやれば何だってできる子だろ。もしも、お前をめてる奴がいたら、それしかできない可愛そうな奴だと思ってれば良い。そんな奴のいう事を真に受けず、お前はお前らしく生きていけ。


「昔、親切心を裏切られて、逆恨みされ、みんなによってたかっておとしめられたから、一朗は人の痛みが分かる」


 その話は又聞きくらいしかしていない健沙だが、確かに叔父の言葉は支えである。


「よかれと思って小説にネコなんていらないだろってアドバイスしたら、暴言で返されたんだったっけ? で、結局、その作者は人気が出なくて追い込まれて自殺して、何故か叔父さんは刑務所に行かされた」


「そう」


 母親はゆっくりと頷いた。


「みんなバカだから、敵を作って叩く事しか能がない可哀想な人たちなんだよ。関わるだけムダさ」


「うん」


 健沙は頷くと、自室に入っていく。


 自室へ入り、両親からもらった携帯電話で敬香へメールを打つ。



 ――鷹氏より先に、おっさんをやろう。



 叔父で思い出した。


 健沙の叔父――明津あくつ一朗いちろうは、水風船のような膨らんだ腹に、薄い頭、170に届くか届かないなの短軀たんくだったが、健沙にとって大切な事を教えてくれた恩人。


 その恩人と同じポジションの男がいるではないか。


 ――鷹氏の始末なんて、オモチャをもらえなくしてからの方が面白い。


 大輔の始末は介を殺す事より優先順位が高い。


 180に届こうかという長身に、白髪交じりとはいえ切り揃えられた短髪、中年のラインになってしまったが中肉を保っている大輔の姿を思い出すに、健沙は吐き気がする程、嫌悪感を覚える。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る