第28話

 本来、かいの水鉄砲はこういう場面には弱い。圧力を掛けっぱなしにしていては故障の原因になるため、普段は圧力を抜いてしまっている。そんな様では敵を見つけたとしても、ポンプでの圧縮を行った後にしか発射できない。


 それは介にも決定的な隙になっていたはず。



 しかし悟依さとえは魔法を放たなかった。



 今、悟依は思考を巡らすことを優先している。


 ――確か……。


 友幸ともみが教えてくれたである。


 大輔が恐れた友幸の魔法は、精神感応だけではない。



 最も恐るべきなのは予知だ。



 友幸の予知が告げたのは、まず「聡子に手を出すな」という事。


 ――野村さんを巻き込んだら、鷹氏たかしは後先考えずに教室でもやり始めるんだったっけ。


 悟依はそれでも負ける気はしないが、介を殺しても教室内で自分たちの秘密が暴露されるのは不本意だ。


 ――野村さんを見逃しても、鷹氏が外出してくる。そこを狙えば問題ない、だったよね。


 そこまで思い出していた事が、介に水鉄砲を発射させる時間を稼がせた。


 ――外さない!


 歯を食い縛る介は、もう二度と基本を外さない。右手を押し付け、左手を引く。その力を釣り合わせることで銃を支え、射線を真っ直ぐ悟依に向かわせる。


 発射速度そのものは目で追えるスピードであるが、肌に触れれば確実にむしばむ必殺の一撃だ。


 悟依が取った行動が回避だったのは当然である。


「……え?」


 しかし現実に見てなお、介は自分の目が信じられなかった。

 

 射線を左右に避けたのならば、あるいは後退したというのであれば当たり前の事だが、悟依が取った行動は


 跳躍ちょうやくですらなかった悟依の行動に、介は目を見開かされる。


「飛んだ……?」


 悟依は浮かび上がって回避したのだ。


 ――そういえば、飛んでた人がいた……。


 夜だったからハッキリと分からなかったが、家を燃やされた時、空を飛んでいる女児を見ている。


「介くん、逃げましょう!」


 自転車の前カゴでリーヴが叫ぶ。停止は致命的なミスになる。


「わかった!」


 介は自転車を水鉄砲をラックに収めるのももどかしいとばかりに、遮二無二しゃにむに、ペダルをぎ出す。


「空を飛ぶって事は風か!」


 祖父の足を切断した魔法だと、介は歯を食い縛って。


 風の切れ味は折り紙付きだ。枯れ木のように痩せた祖父だったが、それでも足を切断しろといわれれば斧を振り下ろしても、一回で切断できるか怪しいものである。


 自転車の車輪やフレームにも、そこまでの強度はない。


 ――逃げろ! 逃げろ!


 狙いを散らす様に、介は蛇行させる。県道へ出る道は、今の時間帯はほぼ無人で空いているが、それでも周囲の迷惑を考えてはいられない。


 しかし背に感じた痛みは、切り裂かれた痛みではなく、衝撃。


「!?」


 前へつんのめってしまう介の鼻を突いた臭いは、生臭さ。


 その臭いを、介は知っている。


 ――これ……の臭い?


 酸素原子が3つ繋がって生成されるオゾンは、通常ではできない。


 生成される最もメジャーな理由であり、介が知っているその理由は、落雷。


「電撃魔法!?」


 介は恐ろしい想像をしてしまっていた。



 高橋たかはし悟依さとえは、二種類の魔法を持っている――?



 介は知らない事だが、地浜友幸は精神感応と予知という二種類の魔法を持っている。それが友幸だけという理由はない。


 そして有利な点が一つ確定した。


 ――盾だ……盾があれば、防げるんだ!


 今、背に受けたのが軽い衝撃だけで済んだのは、背負った鞄の中にある盾のお陰。


 ラテックスは高い絶縁性を持つ事に加えて、魔法少女に対してはアレルゲンとなる。


 盾は全身を覆う様な防具ではないが、この場合、背を守れるならば十分だ。


 介は気を取り直し、自転車を漕ぎ始め――、


「ダメか!?」


 頭上を通り過ぎていく影に、介は吐き捨てさせられる。


 飛翔している悟依は、介を飛び越えて眼前に回ったのだ。


 ――いいや!


 介はブレーキを掛けて立ち止まる。悟依は飛んでいるというよりも、浮かんでいるに近かった。


 ――遅い!


 鞄から盾を取り出し、リーヴがいる前カゴに入れる。大輔がこういう状況を想定していたかどうかは不明だが、盾は前カゴに納まると介の上半身を上手く隠してくれた。


 ――丁度いい!


 その上、盾は銃座としても機能してくれる。


 そして逃げながらでもモータを回していた水鉄砲は発射できる状態にあった。


 悟依が着地する体勢に入ったのと、介が水鉄砲を構えたのは、ほぼ同時。


「おおッ!」


 雄叫びを上げて銃口を向ける介だったが、ここで致命的なミスをしてしまう。


 確かに悟依は飛んでいるというよりも浮かんでいるという方が正しいし、そのスピードも自転車よりは速い程度、移動と攻撃を同時にできないと弱点も多いが、下りる時だけは自由落下のスピードになる。


 そして頭上から下りてくる的は、例えプロでも難しい。



 銃口で追ってしまった介は、盛大に外した。



 着地地点に水溜まりすら作れないのでは、靴を履いている悟依の足を捉える事すらできない。


 着地と同時に、悟依の手から電撃か飛ぶ。黄色いギザギザの光線になっているのは、如何にもアニメ的、ゲーム的な光景であるが、それに触れてもアニメやゲームでお馴染みの光景になると想像できる。


「くッ!」


 目を手で覆わされる介だったが、その電撃は前カゴに備えさせた盾が防いでくれた。


「行けッ!」


 ひるんでしまった身体にムチ打って、介はそのまま体当たりする勢いで自転車を走らせる。盾を前面に出しているのだから、体当たりも場合によっては致命傷を与えてくれるはずだ。


「おっと!」


 だが悟依はひらりとかわし、通り過ぎた介の背へ向けて電撃を放つ。


 射線が直線でなく、飛び退きながらの狙いに慣れていない事が相まって、介の背中越しに心臓を貫くという様な真似はできなかったが、肩を掠めて転倒させる事はできた。


「痛ッ!」


 アスファルトでしたたかに身体を打ち付けた介だったが、こちらも転んでもただでは起きない。


「介くん!」


 同じくアスファルトに投げ出されていたリーヴが、水鉄砲をくわえて走る。


「ありがとう!」


 それを取ろうとする介は、伸ばそうとした左手が激痛で動かない。


 ――うるさい!


 その痛みを押し殺し、水鉄砲を取る。モータはリーヴが動かしていた。チューンと甲高い音を立ててモータ回転している。


 銃身下を左手で掴む感触すら怪しかったが、介はグリップを右手で掴み、全身の力を込めてトリガーを絞り込む。


 しかし――、


「!?」


 介が思った光景は、そこに現れない。


 タンクが示している液位が基準を下回っていた。


 ――弾切れ!


 モータを使っている弊害は、速射性がない事ともう一点、700ccしか入らないタンクであるから一気に消費してしまうというものがある。2度の射撃でタンクは空だ。


 銃口から垂れる程度しか出なかった事に、悟依は笑う。


「残念だったね」


 嘲笑。


 ゆっくりと――殊更ことさら、ゆっくりと手を上げる。最後に見るこの世の光景だとばかりに。


「盾……盾!」


 どこに落ちていると探す介の姿は、悟依にとってこの上なく滑稽こっけいだ。


「どうせなら、見つかるまで待ってやろうか?」


 手を掲げた状態で、悟依は一度、停まった。


 ――見つけて手を伸ばした所を撃つ方が面白い。


 強まっていく笑みの中で悟依が見ている介は、顔を青くしている。呼吸するのも忘れているのだろう。


「息苦しい? そんなの、私は慣れっこだけど」


 嘲笑の下で悟依は、それこそ保育園の頃から続けている水泳を思い出していた。余計な音を消してくれる水中で培った集中力と、呼吸など望めなくとも動ける身体は、悟依が両親からもらった宝だと思っている。


 ――そういえば、水泳だけはお母さんがやらせてくれてたっけ。


 スイミングスクールに通いたいと、悟依が告げた時、母親はいった。


 ――勝手になさい。


 そんないい方でも、悟依は母親が認めてくれたのだと思った。


 ――私が決めた事を認めてくれた。もし私が水泳でトップになれば、お父さんもお母さんも、私の事、誉めてくれる。


 それを今、悟依は存分に楽しむ。


「息ができない、存分に動けない。当たり前。できなくて当たり前。お前なんて」


 介など、もう動けなくなって当然だと見下しながら、もう一つ、悟依は思い出す。


毅世子きよこなら、もっとできたけど」


 同じスイミングスクールで切磋琢磨した仲だという悟依は、介が盾を見つけるまで待つのを止めた。


「毅世子いる世界へご招待する」


 しかし悟依は見る。



 掲げていた手を下ろして電撃を放とうとする瞬間へ、無遠慮に割り込んでくる車を。



 アスファルトでタイヤを鳴らしながら、急制動で割り込んでくる青いスポーツセダン。


「介くん! 乗れ!」


 助手席のドアを開けて叫ぶのは、その車を駆る大輔だ。


「大輔叔父さん!」


 介は水鉄砲も盾も諦め、リーヴを抱えて飛び込む。


「間に合って良かった」


 大輔も肩で息をしていた。


「場所、分かったんだ……」


 息も絶え絶えの介に、大輔はスマートフォンを指差してみせる。


「GPSだ。介くんが時速4キロ以上で移動したら警報が俺の方に来るようにしてる」


 自転車でアパートを出た時から、大輔は介の下へ向かっていたのだ。


「ありがとう……」


 礼をいう介の顔を歪める痛みへ、リーヴの魔法が灯される。


「介くん、今、治します」


 今の介は水鉄砲も満足に構えられないが、10分後には万全だ。


「高橋さんは……?」


 リーヴの魔法が効果を発揮するのを待ちながら、介が気にしたのは窮地を脱せたかどうかだが……、


「追ってきてるな」


 ルームミラーを一瞥いちべつした大輔は、マウンテンバイクを走らせてくる悟依の姿を見つけた。


 車と自転車ならば車の方がスピードが出るといっても、町中で自転車を振り切ろうとするのは難しい。それを知っての追跡だろう。


「大輔叔父さん、気を付けて。高橋さんは攻撃は電撃だけど、空も飛ぶんだ」


 二つの魔法を持っているかも知れないといわれるが、大輔は「なるほど」としか思わない。


「イオンクラフトか」


 イオンクラフト――乱暴にいうなら、電圧で物体を浮かばせている。軽いバルサ材を浮かべくらいならば現代の科学でも可能であるが、40キロを超える、しかも人体を浮かべるというのは魔法だ。


 悟依の魔法は電撃だけというのならば、アースを持つ車は絶対的な防壁となるのだろうが、


「そういう使い方ができる奴か……」


 ヤバイと大輔は歯を鳴らす。車は機械的分野と電気的分野で動いている。介の家を燃やした時、ブレーカを焼き切ったのが悟依の魔法だったとすれば、車のヒューズを吹き飛ばす事もできる。


「ちょっと手順が変わるが、誘い込むぞ。武器もある」


 大輔は介に後部座席を指した。


 そこにはチューブが接続されている銃がある。


「これは……?」


「動力噴霧機」


 大輔が告げたのは、エンジンで圧力を上げ、液体を噴出させる道具だ。


「車に組み込めないかって相談したら、すぐできるっていう連絡が来てな。それで、野村さんには悪い事したが……」


 今日、慌てて出て行ったのは、これが理由。


「回復しました!」


 治癒魔法が効果を発揮したとリーヴが告げると、大輔は「よし」と短く答え、ハンドルを切った。


 三人が乗るスポーツセダンは河川敷へと下りていく。


 悟依のマウンテンバイクも程なくして市道に現れ、それを余所よそに大輔はスポーツセダンに急制動させた。ブレーキを踏んでハンドルを切り、土煙を上げさせる。駆け下りてくる悟依と相対する方向へ車を向け、助手席の窓を開けろと介に告げた。


「最後のチャンスと思え!」


 大輔が始動させた動力噴霧機は、車のエンジンから動力を取っている分、桁外れの圧力を発揮してくれる。


「すれ違い様に叩き込め!」


「はい!」


 銃を持った介が助手席から身を乗り出したところで、大輔はスポーツセダンを急発進させた。


「!?」


 坂を駆け下りてこようとしていた悟依は、思わずブレーキを握りしめる。


 キーッと車輪とブレーキシューが悲鳴の様な音を立てる中、銃を構える介を睨んで。


 ――鷹氏ィィィッ!


 歯が砕けるのかと思う程、強く食い縛る悟依は、マウンテンバイクを投げだし、飛翔を試みる。


 十分な呼吸もできず、身体に重さを感じても、それは自分が戦ってきた水中と同じだと思っていた。


 介も大輔も、この世界に生きていないだろうというあざけりをにじませて。


 だが――、


「知ってるさ」


 銃を構える介はいう。


 水ばかりが呼吸を阻害するものではない。


「息をする度、肺を焼かれる熱の中に、僕はいたんだ!」



 介が魔女狩りの男EL CAZADOR DE LA BRUJAになったのは、臓腑ぞうふまで焼きつくの中だ!



 しかし悟依は静止したのは、介に飲まれたからでは断じてないというだろう。


 飛翔しようとする瞬間、マウンテンバイクの慣性に逆らう一瞬があったための静止であり、物理法則だ、と。


 だがそれは悟依が得意とする言葉「そんなの言い訳にならない」だ。


 静止した悟依に、動力噴霧機から放たれた強烈な一撃が浴びせられる。


 呼吸も満足にできず、自在に身体を動かせる事も難しい世界が悟依の世界であったはずだが、魔法少女の最期に現れる光景が見せ始めるのは、悟依の強がりなど通用しないものだった。


 ――勝手になさい。


 母親がそういった時、悟依は「いい方は兎も角、応援してくれた」と思ったが、実のところ、悟依が封印していた「続き」がある。


 ――あの男の血なんだから、どうせデキがいい訳ないんだから。何でもいいわ。水泳でも、サッカーでも。


 母親は振り向きもしなかった。


 ――怒っても、悲しんでもいなかった……。両親は、私に関心がないんだ。


 封印された記憶がよみがえったのは、悟依の体が泥に変わる時が来たからだろうか?


 ――私には、価値がある。こんな無価値な鷹氏が……。


 意識が消えた時、悟依は無価値どころか有害な汚泥と化してしまうのだが。

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