第27話

 高橋たかはし悟依さとえの家は、一見しただけならば平凡だ。


 両親は健在、食うに困る様な収入でもなく、標準的な一軒家を祖父母から相続した一家である。


 ただ平凡でなかったのは、この家で聞けない言葉があった事。



 おはよう、ありがとう、ごめん、おやすみ――その4つが決定的に欠けていた。



 放課後、7人で遊んだ後、夕日が沈みかけた頃に帰宅すると、母親と父親が並んでいるところを見た記憶があまりない。


 この「ただいま」といって「おかえり」と返してくれた最後の日がいつだったかなど、記憶の彼方に消えている。


 ――ご飯、冷蔵庫に入っているから。


 母親がいうのはそれだけで、冷蔵庫に入っているご飯はレトルトだ。


 父親は母親に背を向けてテレビを見ており、帰ってきた悟依へ視線は向けるが言葉はかけない。


 薄らと埃を被っているダイニングテーブルで三人が食事をしたのもいつかは忘れてしまったが、その日、何があったかは覚えている。


 ――酸っぱい。何でいっつも、こんな味ばっかりなんだ。


 ――そう。じゃあ勝手にしたら。もう作らないから。



 そんな両親の会話から発展したケンカだ。



「だから――」


 大輔だいすけのアパートを見上げながら、悟依は呟く様にいう。


「みんなの話が聞こえる教室は……一緒に笑い声をあげられる7人が好きだった」


 思い出す顔は6人。


 小蔵おぐら敬香けいか地浜ちはま友幸ともみえびす 健沙けなさと浮かんだ後、濱屋はまや毅世子きよこ西谷にしたに みやび中津川なかつがわ真誠まことの3人の顔が浮かぶと、悟依はギッと歯を食い縛った。


 毅世子、雅、真誠の3人は、死体が見つからない以上、死亡ではなく行方不明となっている。真誠と雅が消えた山からは、その後、警察の調査で浮浪者の行き倒れが発見された。ネットでは、その浮浪者が二人を襲ったのだといい、面白おかしく書き立てられているのも、悟依のしゃくさわる。


 ――鷹氏たかし……。


 アパートにいる介の顔を想像すると、悟依の歯軋りが強くなっていく。


 ――仲良し7人組が、これからも残していく思い出を奪いやがった。


 その思い出の始まりが、どうしても浮かんでしまう悟依である。


 ――鷹氏に最も怒ってるのは、私だ。


 怒りと共に扇谷おうぎがやつ保育園の思い出がオーバーラップしてくる。


 ――ねェねェ、悟依ちゃん。どうしてパパとママが離れてるの? 変だよ。


 園児から出て来た何気ない一言は、悟依が家族を描いた絵に向けられていた。父親が左側、自分が真ん中、母親が右側だが、手を繋ぐでもなく、三人がそれぞれ立っている。


 ――手を繋いでお出かけしないの? 遊ばないの? 変だよ。


 誰がいってきたのかは忘れた。


 次に強烈な事が起きたのだから。


 ――やめな。絵は自分が好きな様に、楽しく描いていいって先生がいってるのに。


 横から突き飛ばすような勢いで声を放ったのは敬香だった。


 ――変、変って、あんたの絵の方が変よ。何? このグシャグシャの毛むくじゃら。ハリネズミなの? これが海? ハリネズミが渦巻きに突っ込んでいったの?


 それは過剰な言葉だったが、悟依にとっては問題ではない。


 悟依の家族を――悟依を否定せず、仲良し7人組にしてくれた敬香の行動なのだ。


 ――ケイタカをめてるんだろ、鷹氏なんて。みんな、鷹氏にしっかりしてほしいって思ってくれてるのに。


 出てこいと仁王立ちしている悟依だが、介が出てくるまで、その影が随分、長くなるまでの時間が必要だったが。



 ***



 良い日なのか、悪い日なのか分からなかった。


 結局、大輔は昼を過ぎても帰ってこず、聡子には空振りさせてしまったところは悪い日だったのだろうが、昼食を介、聡子、リーヴ、リューの4人で食べられた事はいい日である。


「ゴメンね。冷蔵庫に入れてるウィンナーをチンして、お夕飯にしてね」


 外の景色がオレンジ色になってしまっては、聡子も遊びに出っぱなしという訳にはいかない。


「うん、ありがとう。大輔叔父さん、喜ぶよ。こっちもゴメンね」


 介が手を合わせて詫びるようなジャスチャーをすると、聡子と一緒に帰ろうとしているリューが鼻を頬に擦りつけてくる。


「リューくん、またね。ありがとうね」


 介はリューの頭を撫で、見送った。


 アパートのドアは閉まる時、どうしても重い音を立ててしまい、その音に少しリーヴが表情を暗くしてしまう。


「ちょっと寂しくなりますね」


 今日の日中が、どうしても賑やかだった分、夕焼けは寂しい気持ちにさせられてしまう。


 介も夏の夕方は、少し長いと感じる。


「うん……」


 言葉を濁しつつスマートフォンの画面を見る介は、そこに大輔からのメッセージを見つけるのだが、その内容は期待していたものではなかった。


 ――物置に、新しい武器が一つあるのを忘れてた。出かける時は、用心のために持って行ってくれ。ちょっと大きめの鞄に入れてる。


 介が期待していたのは聡子への詫びであるが、これは事務連絡とでもいうべきか。


 ――うん、わかった。


 介からの返事が短いのも、これは仕方がないとリーヴも思う。


「あの……野村さんが作ってくれたウィンナーだけでなく、何か作り足しませんか? ご飯食べながらだと、大輔さんも色々と……」


 仕方がないと思うからこそのフォローだった。


「そう……だね。ちょっと野村さんが教えてくれた飾り切り、追加してみようか」


 介もそういうと、大輔がいっていた鞄を取りに物置へ向かう。


 ――注意はしておかないと。


 介は外出する時、常に毅世子との一件を忘れない、と心得ている。


 大輔の見立てでは、そろそろ敬香たちが気付く頃だという。そうなれば、毅世子の時と同じく遭遇戦となり、待ち伏せができない事が増える。


 そのために大輔が用意した武器は――、


「盾?」


 鞄から出て来たものに、介は首を傾げさせられた。出て来た盾には大輔からの手紙が同封されており、


 ――この盾は、ラテックスを貼り付けてみた。ラテックスもアレルゲンだから、これで叩くと効果があるはず。


 身体能力で勝る相手ばかりであるから、打撃武器というのは実用的ではないのだが、盾を用意したのは、想定している使い方が武器だけではないからだ。



 ――また、ひょっとしたらにも役立つかも知れない。



 このゲームの詳細なルールは分かっていないが、魔法少女の弱点がアレルゲンだというのならば、アレルゲンを利用した防具も存在しているのではないか、と考えた結果、大輔が出した答えだった。


「大輔さんも、必死だから」


 だから聡子の事を気遣う余裕がないのかも知れない……とは、リーヴも上手いフォローではないと思う。


 それでもいった。


「うん」


 返事をする介も、わかる。



 聡子と共に救われる未来は、介が投げ捨てたのだ。



「行こうか」


 介は盾を鞄に入れて背負う。括り罠は盾と一緒に入れて、水鉄砲はスポーツ自転車に増設したラックに収め、ポケットの多いカメラ用のベストを羽織る。ポケットの中には、祖父の形見であるブラックライトも忘れずに。


 アパートの駐輪場から出て行く。


 この時、もしも外にいたのが毅世子だったなら、介を仕留める事ができたかも知れない。窒息させるという、暗殺に向く魔法の使い方を知っていた毅世子ならば、待ち伏せは最も成功率の高い作戦なのだから。


 だが悟依は待ち伏せていたというよりも、待ち構えていたという佇まいで……、


「鷹氏」


 自転車に跨がった介へ、魔法ではなく声を投げかけたのだ。


 これは油断だというだろうか?


「!」


 介は7人の顔も姿も忘れないのだから、声だけ忘れているはずもなく、振り向きざまにラックから水鉄砲を引き抜いた。


 ボタンを押してポンプを動かし、狙いを付けてトリガーを……。

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