第5章「幽霊と推進機編」

第23話

 ボールペンを喉の気管に突き立て、芯を抜く事でストロー状にして気道確保するなど無茶苦茶だ。激痛と引き換えにする必要がある以前に、小指の太さにも満たない穴で十分な空気を取り込む事など不可能なのだから。


「カッ……」


 毅世子きよこへの銃撃がかいの残されていた全てで、泥になった毅世子の横で大の字になってしまう。


 ――息が……。


 空気が足りない。そもそも魔法は、。毅世子が残した水の魔法は、今も介の気管を塞いでいるのだ。


 ぼんやりする介でも酸欠で暗くなる視界の隅に、駆けてくるリーヴの姿は見えたが。


「介くん、頑張って!」


 駆け寄ったリーヴが声と共に介に浴びせるのは、真誠まことを殺した事でリーヴに返ってきた魔法。



 治癒魔法だ。



 リーヴの治癒魔法は、死んでいない限り必ず効く。


 ただし発動から、その効果が発揮されるまで10分かかる。それも徐々に治るのではなく、10分後に突然、全てが回復するという方式のため、介は10分間、酸欠の身体で命を抱えて耐えるしかない。


「介くん! 介くん!」


 意識を手放すなと、リーヴは介の頬を叩き続けた。


 意識を手放すと、この状況は簡単に地獄へ続いてしまう。それでも酸欠は思考を低下させていった。低下した思考が行き着く先は、憤怒ふんどでも憎悪ぞうおでもなく諦観ていかんであるのに。


あきらめないで!」


 呼ぶ声も、リーヴは必死に大きくしていく。


 ――諦める……。


 それでも介の目はスーッと細まって行き……、


野村のむらさん……」


 口にした名前は、介を日の当たる場所に出してくれるかも知れない女児の名前。


 野村のむら聡子さとこがいった言葉は、ずっと覚えている。


「諦めるのは、いい意味の前進……」


 それはリーヴが涙をこぼしてしまう言葉――、



 ではない!



「諦めるのは、明らかに見る……って言葉。明らかに、見るんだ」


 介の身体は死にひんしているが、10分、本当にただ10分間、リーヴを信じる事で助かるのは明らかなのだ。


 それを見ている介が、容易に意識や命を手放すものか!


「……あァ」


 10分を耐え抜いた介が、ゆっくりと身体を起こす。


「感謝しなきゃ……」


 フーッと深呼吸したのは、介もリーヴも同じ。


 しかし出した名前は、ちょっと違う。


「野村さんに」


「リューくんに」


 介は聡子に、リーヴはリューに。


 そういわれると介とリーヴは顔を突き合わせて笑った。


 笑いは、リーヴの魔法でも回復させられない気力に変わってくれる。


「帰ろう。叔父さん、ご飯作って待っててくれるよ……」


 廃工場を抜け出して、倒れているスポーツ自転車を起こした。



 ***



 夕暮れの体育館に、小気味よいリズムでボールの跳ねる音が響く。


 敬香けいかがバスケットボールのコートでドリブルしている音だ。


 敬香はライン際で、ディフェンスに半ば背を向ける様な格好でボールキープしている状態。


 ディフェンスは敬香よりも余程、背の高い男子、しかも中学生である。


「……」


 肩越しに中学生男子を見る敬香は、フッと軽く笑みを浮かべ、ダンッと一際、大きい音を立てさせてボールを床に叩きつけた。


 ――ドリブルミスだ!


 すぐさまディフェンスはボールが見える方向へ飛びついてしまうのだが、ボールは敬香から離れていない。


 リズムとドリブルする手を右から左へと変え、まさしくラインギリギリを駆け上がる。


 ――ここ!


 自分の身体をスクリーンにして、奪おうと少しでも押せばラインの外へ出てしまう位置に、ボールはコントロールされている。


 ディフェンスへとプレーヤーが動く。ここは流石にドリブルしている敬香がスピードで上回る事はできないが、ゴール下への突入口は二人がかりででもふさぐぞ、と両手を上げられている状況を突破する方法はドリブルだけではない。


 もう一度、床がダンッと大きな音を立てさせられた。


 ボールを左から右手へ戻し、敬香自身は急ブレーキからバックステップする様に二人から離れる。その時もボールは、まるで敬香に吸い付く様に追従していた。


 その行動が意図する所は――、


「3ポイント!?」


 相手チームの5人は、全員が全員、驚きの表情を見せる事となる。


 小学生がするミニバス用の5号ボールではない。


 中学生用の、しかも男子用の7号ボールだ。


 重さは0.5キロにもなり、とても小学生の女児が3ポイントシュートをゴールリンクまで届かせられる重さではない。


 ゴールリングにも触れられずに落下するはずと目で追う両チームの面々は、誰もが予想を外した。



 敬香のシュートは異様なまでに伸び、しかもまったくブレずにゴールネットでバスッという乾いた音を立る。



「イッ、エーィ!」


 硬く握った拳を天井に向かってはッすぐ突き上げた敬香に、周囲の中学生もタジタジだ。


 しかも、そのシュートがホイッスルと同時――ブザービートとなっている事など、神懸かみがかったタイミングといわざるを得ないくらい。


「すげェ」


 全員、異口同音にそういった。


「小学校のミニバスじゃ満足できねェっての、仕方ない」


「そうだな。しかも中学でも女子用の6号じゃない。俺たちが使ってる7号だ」


 小学生のレベルではないと賞賛の言葉が重ねられていく。確かに敬香は自在に操っているといっていい。


「天才ですから」


 おどけて笑うのがウケるのも、才能と女児故だろうか。


「じゃあ、休憩したらもう一回――」


 と、明るい声でもう1ゲームという敬香だったが、気分良く次のゲームへは進めなかった。


「ケイタカ」


 呼びかけてきた声によって、敬香が振り返らされた体育館の入り口にはえびす 健沙けなさがいる。


「悪いんだけど、ちょっと……」


「何? センパイたち、待たす事になるんだけど」


 敬香は、健沙に呼ばれた事が気に食わないという感情を隠しもせずに、大股で近寄ってきた。


友幸ともみ悟依さとえも……」


 仲良し7人組のが集まっているのだから、事態が動いたはずなのに敬香の興味は薄い。


「何よ?」


 面倒臭そうな声を直そうともしない。


 敬香にとって、真誠まことみやびの失踪など、今、中学生とプレイしているバスケに比べて価値などないのだ。


毅世子きよこもやられた」


 だから悟依が告げても、態度は不変。


「急がないでしょ。私、まだ試合したいの」


 きびすを返し、コートへ戻ろうとする敬香だったが――、


「やっぱり、鷹氏たかしだった」


 友幸の声が敬香の足を止めた。


「ちょっと毅世子が心配だったから、今日の放課後から魔法を毅世子に繋いでた。案の定、毅世子は鷹氏を追い掛けてた。で――」


 そこからは友幸も声を潜めてしまう。一度、「毅世子もやられた」と悟依がいっていても。


「……ちょっと断ってくる」


 敬香はコートに戻り、中学生に軽く謝って体育館を出た。


「マジなら、今後の大事な事、決めとかないとね」


 魔法少女が動いた――。

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