第21話

 何を言われたのか、かいも一瞬、理解できなかった。



 逃げるなよ――それが意味する所は敵からの襲撃という事。それは大輔が最も警戒していた。



 リーヴが目立っている中ならば襲われる確率は低いとみた大輔の思惑は、あっさりと崩れた事になる。


 リーヴが悲鳴をあげた。


「逃げて下さい!」


 それはいわれるまでもない。


 介は歯を食い縛って、自転車のペダルを漕いだ。


 魔法の射程がどれくらいかは分かっていない。雅は火の玉を投げつけてきたのだから、自分が投擲できる距離が射程という事になるが、毅世子きよこの魔法は不明だ。


 残る魔法は精神感応、電撃、水、念動、風、不明の6種だが、介に語感から射程を推測しろというのは難しい。


 そして考えるまでもなく、自転車を漕ぐ方が優先だ。こちらは自転車、毅世子は徒歩だった事は幸いである。毅世子は味が速いといっても、小学生の中では、だ。50メートル走のタイムが8秒前半といっても、時速20キロ程度。その最高速度を維持できるはずはない。1000メートル走となれば、3分台半ば。こちらになると時速15キロ程度。こういう風に、走るスピードは距離に比例して落ちていく。対する介の自転車は、型落ちではあるが大輔から借りているギア付きスポーツ自転車。時速22キロは平均して出せる。


 ――逃げ切れ、逃げ切れ!


 必死で自転車を漕ぐ介。


 しかし足を鈍らせる思考が頭を走った。


 ――いや、これ、逃げてもダメだ!


 毅世子は追跡しようとしている。自転車の方が速いとしても、人のいる方へ逃げてこうとすれば必然的にスピードが落ち、追い付くかどうかは別として、介と大輔が住んでいるアパートまで追跡される可能性は十分にある。


 ――バレちゃいけない!


 母親や祖父母の二の舞だ。アパートと大輔を失う事は、もう介を回復不能に陥れてもおかしくはない。


「はぁ……はぁ……」


 息切れしながら、介は――、



「戦うぞ」



 大輔は、自分の領域へ獲物を引き込んで行うのが狩人の戦い方だといった。


「自分の領域を、作るんだ!」


 ペダルを踏む足を緩める事になっても、頭の中に地図を思い浮かべる。


「叔父さんはジュースを使うっていってた。なら、こっち――!」


 自宅とは反対側にある、リカーショップも兼ねたスーパーだ。


 毅世子が追い付いているかは分からないが、介は頭をフル回転させて、ここを選んだ。


「介くん、私は籠の中に残ります。何かあったら、連絡しますから」


 毅世子を用心しての見張りだ。


「助かる!」


 介は転びそうになりながら店内に入り、探す。


 ――本番はジュースを使うそうですよ。


 リーヴが教えてくれた大輔の言葉に従って、ジュース売り場に急ぐ。


 ――炭酸? 清涼飲料? 水……?


 余りにも選択肢は多い。


「考えろ……考えろ……」


 大輔はジュースを使うといった。それは魔法少女に致死の効果があるアレルゲンのはずだ。


 ――ジュースはジュースでも、こっちだ!


 果汁が含まれているだけのものではなく、使うとすれば100%ジュースだ。


 それもアレルゲンになるもの。


 本人が陰性であっても、リーヴを守ろうとするものが悪意や敵意と共に利用すれば致命的なダメージを与えられるとはいうが、その詳細まではリーヴも知らない。手探りの部分が存在し、そこは大輔の領分になっている。


「ジュース……」


 棚を前にして、介は迷いを浮かべてしまう。100%のジュースといっても、複数の種類がある。リーヴが告げてしまった、大輔が本番はジュースを使うといっていた、という言葉が迷わせる。


 アレルゲンといっても、その幅は非常に広い。ステンレスのハリガネを使ったくくわなが有効だったのは、金属アレルギーは皮膚との接触でも炎症になるからだ。ブラックライトの紫外線も同様。


 しかし食物は?


 体内に摂取しなければならないものも存在し、そういうものが肌に触れた時はどうなのかを、リーヴも知らないでいる。


 介の頭が付いてこないのも当然だ。


 ――みかん、リンゴ、ぶどう……。


 ジュースにばかり目が行く。オレンジやグレープフルーツにはアレルゲンが含まれているが、みかんはそれらに比べて薄い。リンゴも、果実そのものにアレルギーがある場合でも、加熱や濃縮還元すれば変質する。その量がどう関係するかを、介は想像できないし、その賭けに乗れる程、豪胆でもない。


 手っ取り早いのは牛乳であるが、牛乳も体内に入ればの話。皮膚をおかすかどうかは知らない。


 ――肌に触れただけで危ないもの……。


 そんな果物を思いつけただろうか?



 ***



「!」


 スーパーから駆け出て来た音に、自転車のカゴの中でリーヴが耳をピンッと立てた。


「介くん!」


 振り向くが、介を見つめるのではなく、視線を行き来させたリーヴが示している事実は、一つ。


 ――濱屋はまやさん!


 介もギョッとした顔をさせられた通り、毅世子の姿が駐車場に見えている。


 時刻が災いした。


 仕事帰りの買い物に来たお客で手間取った会計が、毅世子が追い付く猶予ゆうよとなった。


 ――それにしたって、僕の行き先を当てられるって何なんだ!


 タネを明かせば、毅世子は当てずっぽうだったのだが、それが介には分からない。運の良し悪しよりも、自分を探すレーダーでもついているのかと思ってしまう。


 自転車のスタンドを上げてまたがり――、


「いた」


 慌てて漕ぎ出せば、毅世子に見つかってしまう。


「クッ……クッ……」


 慌てた事がミスを重ねる結果になった。ギア付きのスポーツ自転車は、速度によって適切なギアチェンジが必須。


 慌てて大きいギアで走り出しても、加速はかからない。



 そして静止状態からの加速は、自転車よりも人が速い!



「逃がさない」


 毅世子の50メートル走は8秒50を切る。その俊足が今、更に冴え渡っていた。


「介くん、歯車!」


 リーヴの声も半ば悲鳴としか聞こえない。


「歯車……ギアか!」


 その声に、介が7だったギアを1まで落とす。


 加速が戻った。タイムロスは1秒か2秒というところか。


 祈る暇も余裕もなく、介は自転車を走らせる。


 ――魔法の射程外へ!


 必死の形相を浮かべて自転車を漕いだ介は、何とかその距離を保てたらしい。

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