第4章「冥土行進曲編」

第17話

 晴れた市立公園の芝生広場で、かいは子供が持つには大きな75センチ超の水鉄砲を構えていた。


 7リットルのタンクを銃床にセットし、手動ポンプで加圧して発射するという水鉄砲は、最大圧力で発射した場合、7メートル近飛距離が出るというもの。


 その水鉄砲を構える介の肘を、大輔だいすけが軽く叩く。


「脇を締めるんだ。開いてたら当たらないぞ」


 構えの指導だった。


「脇を締めて、肘はアバラ骨から離さないで」


 そうすると身体を折り畳む様な体勢になり、大輔は顔をしかめさせる。


「これ、窮屈……」


 こんな状態で狙いをつけられるのかという意味も含ませているが、大輔は一言。


「慣れて」


 小さく背を丸めているような格好になり、はたから見ても荒々しさから無縁、寧ろ背を丸めた様な格好は、大輔や介にとってはとでもいうべきものになっている。


 反発を覚えてしまうのも仕方がないとは、大輔も重々、思っているが、何も無意味な事をさせている訳ではない。


「銃を固定しないと、狙った場所に飛んでくれないんだ」


 水鉄砲ではあるが、これは「銃」なのだ。


 肩幅程度に足を開き、右肘も左肘も肋骨に突けて構えるのは、銃を固定するため。


「慣れてくれ」


 大輔からは、そうとしかいえなくとも、介もまるで分からない訳ではない。


「人間の身体は静止しない……だっけ?」


 誰かがいってたとしかいわないのは、そんな言葉を口にしていたのが、敬香けいかたちの内の誰かだったからだが。


「骨で支えろ……」


 忌々しいという顔は大輔からも、それがどこから出て来た言葉かを想像させた。


「忘れなよ、そんな事」


 だから一言。


「銃は固定できないし、できても無駄だ。固定するっていうんなら万力で締め上げたり、リベットでかしめたりすりゃいいが、それでも発射したら反動でブレる。銃は――」


 大輔は介の背後に回り、右手と左手をそれぞれ取った。


「右手で押し付けて、左手で引きつける。そのプレッシャーとテンションで固定する。これはライフルもピストルも同じ」


 窮屈だった姿勢は、益々、窮屈になる。


「引き金を引くっていうけど、引こうとしちゃダメだ。人差し指だけを動かすのも無理。絶対に中指や薬指が動いて、引き金を引こうとしたら拳を握り込んでブレる。押してる右手と、引いてる左手の両方に力を入れて、絞るみたいに動かすんだ」


 たかが水鉄砲であるが、それだけしてやっと射線は直線になる。


 7メートル先に置いた的代わりにしている金魚すくい用のポイが破れた。


「よし。何とか……」


 大輔はふぅと息を吐き出した。


 汗を掻かされているのは、夏へと向かう陽射しのせいばかりではない。


 ――やっていけるか?


 一人目の真誠まことは事故、二人目のみやびを幸運で仕留めた自覚が生んでいる苛立ちと焦りだ。


 ――罠の効果的な仕掛け方は? 敵が近づいてこようとしなかったら? そもそも一人ずつ呼び出せる方法だったのか?


 少しでも考えれば、いくらでもボロが出てくる行動だった事は間違いない。


 介が勝った理由を考えれば、行き着くのはただひとつ。


 ――運が良かった。


 大輔が思っている通り。だから今、身に着ける武器が必要となる。


 ――ある程度、離れて闘える手段が必要だろ。


 残り5人が持っている魔法の射程がどれ程かはわからないが。


「大輔叔父さん?」


 考え込んでいる大輔へ、介が心配そうな声をかけた。介は大輔を信用するしかない。大輔がお手上げといえば、それ以上の進展は望めないのだから。


「ん? あぁ、腹減っちゃって。お昼にしようか」


 東屋あずまやに置いているビニール袋へ顎をしゃくり、大輔は介の肩を押す。


「フライドチキン、買ってきた」


 傍目で見れば、小学生の甥と40代の叔父が遊んでいるように見えるはず。


「ありがとう」


 礼をいった介が「いただきます」と手を合わせた、その時だった。


鷹氏たかしくん!」


 名前を呼ばれた。


 女児の声である。


 今の状況から、介も大輔も身体を硬くして振り向く事になるが、振り向いた先にいるのは、敬香ら5人の誰でもなく、


「野村さん」


 ホッとした顔を見せる介。大型犬のリードを引いて――というよりも、寧ろ大型犬がリードを引っ張っている様にも見える格好で走ってくるのは、最も心許せるクラスメートの聡子さとこである。


 息を弾ませている聡子は二人の前で立ち止まり、東屋のテーブルに広げられているフライドチキンを見る。


「こんにちは。ピクニック?」


「うん、そんなところ。叔父さんが、色々と気を遣ってくれてて……」


 介が饒舌じょうぜつになるのは、自分がやっている事がクラスメートを殺す訓練であると隠したい気持ちからかも知れない。


「そう。私も」


 聡子はくるりと背中を見せ、背負っていたリュックサックを示す。


「この公演、遠いけど、犬と遊ぶのにいいから」


「そうなんだ」


 と、介が聡子の大型犬へと目を遣ると、その大型犬の目は聡子でも介でも、ましてや大輔でもなく、リーヴに向けられていた。


「やだやだ……」


 じりじりと下がっていくリーヴに、介は手を伸ばして背を撫でる。


「リーヴ。リューは何もしないよ」


 1キロ程度しかないリーヴはかなり小さく。また野良ネコにとってカラスや野良犬はトラウマを植え付けられても仕方がない存在なのだろうが、聡子の愛犬リューは、決して他人を傷つけたりはしない。


「リュー、座って。ネコちゃん、見下ろされたら怖いでしょ」


 聡子が窘めるのだが、リューはこの時、聡子の言葉を聞かなかった。


 いや、良い意味で。


 リューは座るのではなく、屈んでいずるようにリーヴへ近づく。


「リューったら」


 聡子が笑ってしまう。その姿は、敵ではない事を明確に示し、寧ろ友達になろうという風に見える。


「リーヴ」


 介はリーヴの背を撫でる様にして、軽く押した。


 前へつんのめるリーヴに対し、リューはリーヴの顔に鼻を擦りつける様な仕草を見せる。



 それは甘えたい時の仕草であり、本当にリーヴと友達になりたいという事だ。



「よかったじゃないか」


 大輔も笑った。


 笑いながら、


「野村さんだったっけ。どうしよう。一緒に、お昼食べてく?」


 大輔もホッとさせられた聡子と、少し一緒にいたい気分だった。厳めしい顔ばかりでは、どれだけ外出だ、外食だといっても気分転換にならない。


「はい。お願いします」


 聡子も満面の笑みで頷くのみ。


「じやあ、お茶でも買ってくるよ。介くん、野村さんと待ってて」


 大輔は席を立ち、少し離れた自販機へ向かった。


 その姿が十分、離れたところで――、


「ゴメン」


 急に聡子が謝った。


「え?」


 介が顔を向けると、聡子はバツの悪そうな顔をし、


「本当は、心配で探してた。この前、中津川さんの事、西谷さんや小蔵さんがいってた時――」


 そこで聡子は一回、大きく息を吸った。



「鷹氏くん、泣きそうな顔をしてたのに、泣かなかったから」



 泣かなかった事を、しっかりしたからだ、とはいわない。


 聡子からは、介が泣かなかったのではなく、「泣けなかった」ように見えたのだから。


 だからこそ、旺はゾッとした。


 ――バレた?


 介が泣けなかったのは、真誠を殺したのが自分であるし、いずれ敬香たちも殺す気でいたからだ。そして今、雅は事故ではなく、介が明確な殺意を持って殺した。


 それを見破られたかと目を見開いてしまう介だったが、聡子は違う。


「お家の事とか、大変なんでしょ? 心配しかできないし、話を聞く事しかできないし……でも、一緒に遊んだり気持ちを楽にするのは、できるから……」


 介が一家全滅を経験してしまったからだ、と思うのが、聡子の気質ではないか。


「本当に、もっと前から声をかけて、色々としてあげられたら良かったし、そうしないといけなかったんだけど……」


 介がクラスでどういう扱いをされているか知っているのだから、もっと出せる助け船はあったはずだと思っている。



 聡子は、介が最も心を許せるクラスメートなのだ。



 本当は、復讐を考える必要はない。家族を殺され、家を失った事実は残るが、大輔は十分、親代わりをしてくれるし、亡父が残したものは介が大学を出て就職し、生活と仕事が軌道に乗るまでを過ごす十分だった。


 聡子がいるのだから孤立もない。


 何なら大輔のアパートは市立松島小学校の校区外なのだから、転校という選択肢もある。



 しかし、介はそれを選ばなかったのだ。



 ――今でも……?


 その道を選択する事は可能かと、一度、逡巡しゅんじゅんする。


 しかし……、


「今更」


 その呟きを聡子が聞いていなかったのは、幸か不幸か。


 ――もう僕は、二人、殺した。あと5人だ。



 今更、復讐以外の選択肢を選べるものか!



 だから込めた。


「ありがとう。嬉しいよ」


 有りっ丈のウソを。

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