第16話

 はっきりと言ってしまえば、客観視できる者からすれば大輔だいすけも7人も、どちらも頭が良いとはいえない。どちらも考えている事も立てている計画もグダグダで、よりグダグダになった方が負けるといった塩梅あんばいだ。


 西谷にしたに みやびには、特に自覚が欠けていた。


「……」


 隣室の母親が起きた気配がすると、雅はさげすんだ目を壁越しに向ける。


 ――早く行けよ。


 母親に対する雅の感情は単純だ。



 忌々しいという感情である。



 三段ベッドが示す通り、雅は三人兄弟。


 上に兄、下に弟と異性であるのに、三人を同室にしなければならない元倉庫しか借りられない親に抱く感情など、雅にはそれしかないのだ。


 ――夜職のくせに。


 壁越しに母親へ向けられる視線にあるのは軽蔑の光か。


 のそのそと母親が動き出す気配に溜息を吐き、かたわらに放り出しているゲーム機に手を伸ばす。テレビにも繋げられるし、携帯機としても使えるゲーム機は、兄弟全員、それぞれが自分専用を持てるように3台ある。


 軽蔑している母親だが、何もかもを放棄している訳ではない。住居に関しては我慢を強いているが、衣と食、またレクリエーションに関しては、並みの親以上のものを用意していた。


 ――これくらいで、感謝すると思うな。


 それでも雅はそう思う。


 ――早く出ていきたい。私は、こんな親みたいにならない。


 だから中学卒業後は働くつもりでいた。


 ――スーパーは契約農家はやってても、契約漁師なんてやってない。それをやったらブルーオーシャンだろ。


 15歳で働くなど無謀と見る者が殆どだろうが、雅は勝算があると考えている。幸いな事に、雅の住んでいる辺りは漁師町。幼なじみの家は漁師ばかり。


 ――早く、私は家を出てやる。


 ゲーム機の電源ボタンに沿わせた指に力を入れようとした雅だったが、別室から聞こえてきた母親の「あ」という短い呟きに一瞬、動きを止めた。


「雅、雅」


 別室から呼ぶ母親の声はうざったい他ないのだが、


「これ、あんたの同級生でしょ?」


 母親の方から子供部屋に来て示したスマホの画面には、雅の苛立ちを最大値にまで高めてしまう。


 ――ガンバレ、カイ!


 そう題名がつけられた動画は、クラスの保護者で構成されているメッセージアプリのタイムラインに流れていた。


 投稿者の名前は、亜野あの大輔だいすけ。亜野という名字の同級生はいないが、映っているのが誰かはわかる。


 ――鷹氏たかし……!


 コンビニからネコ缶とミネラルウォーターを買って出て来たかいが、自転車に乗って走っていく動画だ。


 苛立ちが怒りにまで振り切れてしまうが故に、雅は思い出す。


 ――知らない。僕は、元の大学女子寮の近くに住み着いてる黒猫と遊んでただけだから。


 この自転車が向かった先だ。



 ***



 ――相手の領域に踏み込むな。


 大輔が介に強くいったのは、その一点。


 ――クモだと思え。


 この7人は肉食獣ではなく、肉食昆虫――クモは昆虫ではないが――だと思えというのは、言い得て妙というものだ。


 ――クモの巣に乗り込んでいったら、確実に殺されるぞ。


 魔法という、個人で自由自在に使用できる爆弾を持っているような状況なのだから、相手のペースで動かれては勝ち目などない。家を全焼させようと思えば、介と大輔は合法・非合法を問わず、山程、道具を持っていかなければならないが、7人は体一つで可能なのだ。


 ――釣るぞ。


 大輔はそういって、保護者用のメッセージアプリに、自分が投稿した動画を拡散させた。


 ただし賭けである。


 介が真誠まことを仕留めた山へ向かった事を簡単に思い浮かべられる動画であるから、全員が来てしまうかも知れない。


 残り6人が一度に来たら、これには抵抗する手段など皆無だ。


 ――ただ、一人だけの可能性は高い。


 大輔がそういういい切ったのは、6人が全員、スマホを持っている訳ではない事と、今日、介と一悶着あった雅の情報から。


 ――来るなら、一人で来る。もし介くんに突っかかってきたのが、小蔵おぐら濱屋はまやだったら危ないだろうけど。


 この「仲良し7人組」の中心は、その二人のどちらかだというのが大輔の読みだ。特に足が速いのがその二人という情報からの推察である。


 そして思えば、鷹氏たかし家を全焼させた火事も、その直前で介に吹っ掛けてきたのは小蔵おぐら敬香けいかだった。


「……大丈夫」


 木陰に隠れる介は、リーヴを抱きしめて呟く。大輔を疑う気持ちは薄いが、それでも話している事は全て可能性の話だ。


「来るなら、一人で来る可能性が高い。それか、全く来ないかも知れない」


 確実な策ではない。大輔が流した動画も、大輔のさじ加減で行ったのだから素人の仕業だ。広がりすぎるし可能性も、届かない可能性もある。


 ――狩人は、自分の場所で敵を待つ。空振りが当たり前だと思え。


 大輔の言葉は、真理だろうか? 言い訳だろうか?



 真理である――介はそう信じるしかない。



 来ないならば来ないで仕方がないし、こちらから相手の元へ向かっては、クモの巣に自分からかかりに行くようなもの。


 大輔が用意してくれるものは、介が使つかこなせば勝てるものだ。


「エサは僕」


 リーヴを抱きしめる手に力を入れるのは、大輔を信じると決めても、恐怖までもは払拭できないからか。成長期を迎えて身長が伸びる時期の女児と、まだ成長期まで3年も4年もかかる男児では、明確な体格差がある。殴り合いをしたら負けても当然という程の。


 そもそも身体的に介は劣等。走るのも跳ぶのも7人に劣り、挙げ句、介に家を全焼させるような魔法はないのだから。


 恐怖は、このまま空振りして、夕暮れと共に帰宅する事を望み始めているのだが――、


「低次元な」


 聞き覚えのある声が、山道から聞こえてきた。


「……」


 顔を出すまでもなく、介が聞き間違える訳がない。



 雅だ。



 ――本当に一人できた!


 仲良し7人組と名乗っていても、図書室での事件は介と雅だけの事。


 序列はあるのだ、厳然と。


 介が茂みからそっと顔を出して見てみれば、山道の中心に雅が仁王立ちしており……、


「土の色が変わってる。掘り返してるのが見え見え。木から離れすぎてるんだから、落ち葉はこんな道の真ん中には積もらない」


 そこは介が大輔の罠を仕掛けた場所だ。


「落とし穴なら、ちゃんと考えて掘れ。低レベルが」


 雅は手に持っている木の枝を、介が仕掛けた罠の上に突き刺す。


 バチンと音を立ててくくわなが始動し、ワイヤーが枝を締め上げるという光景は雅の予想とは違っていたが。


「は……?」


 括り罠を実際に見るのは初めてだった雅は一瞬、思考を止めてしまう。


 しかし介は動けない。


 経験不足と、介の中に残っていたタブーの意識だ。


 その代わり、身体を震わせた事で茂みを蹴ってしまう。


「そこか!」


 揺れた茂みを雅が振り返る。


 その視線と共に放たれた火の玉は、介の頭スレスレを飛んでいった。幸い、草木にも当たらず虚空へと消えたが、輝いてすら見える火の玉は、木の発火点である200度とはいわなかったはず。


「ひ……」


 悲鳴すら短くしてしまう恐怖が介の胸を突き抜けていったが、突き抜けていったものは複数ある。


 恐怖と、それに勝る驚きと、その二つの影に隠れていたが、


 ――火!


 それは家を焼き、祖父を殺した攻撃だ。


 介が思わず腰を浮かしかけたところで、雅の目が向けられる。


細長ホ・ソ・ナ・ガ~」


 雅の口から出たのは、瓜実顔うりざねがおの介を揶揄やゆする言葉だった。


 介と自分を隔てている茂みを回り込もうともせず、雅は真っ直ぐ歩き、そして――、


「……」


 介は動けずにいた。


「ラグビーボールを横にした様な顔のくせに!」


 リーヴが返した言葉を、雅はどう判断しただろうか。確かに雅は、東アジア人的な短頭、そして絶壁頭といわれる膨らみの少ない後頭部になっている。


 雅が思ったのは、ただ一つ、「負け惜しみ」でしかない。


「お前――」


 右手に火の玉を出現させ、それを介へと投げつけようとする。


 だがもう一度、その火の玉は上へ的を外した。ドッジボールでもサッカーでも、シュートは浮き上がりやすい。それが理由だ。


 介は後転する様に後ろへ下がる。


 ――低次元。


 雅はそう思った。前へ出てこられたら虚を突かれる形になり、また的が大きすぎても狙いは難しくなるが、背後では逆だ。


 ――逃げたら、追い掛ければいいだけ!


 そもそも人間の身体は、後退よりも前進する方が速い――とまで、雅が思えたかどうかは、誰にも分からない。


「手前ェんとこのジジイみたいに、焼き殺してやるよ!」


 右手に火の玉を出現させ、それを投げつけようと一歩、踏み込んだ刹那、バチンと引き延ばされたバネが縮む音を聞いた。


 続いてやってくるのは、右足を締め付ける激痛。



 括り罠だ。



 そしてカバーソックスを使っているからこそ、直接、雅の肌に触れたのは、金属アレルギーの原因にもなるステンレスだ。


「うわあああ!」


 真誠が顔面に負ったのと同様に、雅の足首はみるみるうちに膨れあがり、ワイヤーが食い込んだ肌は爆裂でもしたかのように血を振りまく。


「この野郎……この野郎!」


 屈んで足首に食い込んだワイヤーを取ろうとするが、ワイヤーはロープではない。肌に食い込み、しかも炎症を起こしてただれた皮膚に埋もれてしまっているワイヤーは素手で広げる事は不可能、


 それどころか、触れた指先まで炎症が発生していく始末。


 大輔が想定していた通りの展開である。


 ――隙を突く。


 大輔ではなく介が眼前に立っているのは、介こそがエサだったからだ。


 見つけられる事も想定内。



 狩人は自分の領域で勝負するのだから、隠れている場所こそが、正にその領域である。



 そして大輔が一対一ならば介が勝てると思った理由は、仲良し7人組は介をなぶり者にする事を優先する――もっというなら、が目的であるから、こちらにはHPとでもいうべきが存在する点。


 傷つける事も目的にしているからこそ、一人で来る。


 なら一対一にできるという叔父の読み通りだと、介は全力で走った。


 ――ここだ!


 手足の激痛に暴れる雅の背後へ回る介は、ナップサックからもう一つ括り罠を出す。括り罠に使われているバネは1メートルを超える長大なもの。一般的なホームセンターで売っているものではなく、業務用ならば一本だけ買う事もできない。複数個あるのは当然だ。


 その括り罠の輪を、介は雅の頭――リーヴがラグビーボールを横に置いたような、といった絶壁頭へ通す。


「!?」


 雅が喉にステンレスの感触を感じた時には、もう遅い。


 バネが勢いよく収縮する音が耳に届いた次の瞬間には、もう雅は声すら出せなくなる。


 拷問付き死刑など望まない介が執行するのは


「う、うー! ヴー!」


 ワイヤーが喉を締め上げ、腫れ上がる喉が声帯を潰すのだから、どれだけ大きい声を出そうとしても、出てくるのは呻き声だけ。


 そして声帯を押しつぶした喉の腫れは、気管を塞ぐ。


 ――こいつか……! 真誠も、こいつか!


 そこでやって自分に起きている事と、仲良し7人組の友達に起きた事が同一であると気付いた。


 ――こいつが、殺した!


 雅と介では圧倒的に違う点がある。



 介と大輔は、で殺しに来たのだ。



 大輔や介からすれば拷問付き死刑など、ただのに過ぎない。


 二人が挑んでいるのはなのだ。


 傷つけ、痛みを与え続ければ、成る程、相手が自分の行いを後悔する事もあるだろうが、そんな自分に都合のいい話があるはずがない。


 真の復讐者にとって、後悔などどうでもいい。望むのは死のみ。


 ただし雅もステンレスのワイヤーを焼き切ればよかった。


 ただ、自分の顔面や首から下を犠牲にしてまで、その手段を執る覚悟も度胸もない。それがストレス解消しかできない者と、復讐者の如実な差だ。


 雅にHPという猶予などなく、介にも攻撃力などというパラメータはない。


 介のが、雅を締め上げていく。


 ――私は、あの家を出て……。


 雅の意識は完全に潰え、180秒後に残ったのは、真誠が行方不明になった事件で警察が「敢えていうなら、し尿汚泥ですね」とした泥のみ。

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