第12話

 二つ並んでいる座椅子の内、かいが使っていない方に身体を預けている大輔だいすけは、何度も溜息の様な深呼吸を繰り返していた。


 眠気は来ていない。


 ――疲れてるハズなんだがな。


 警察や消防の対処や、介との生活の準備など、なれない事の連続で疲れている自覚はあるのだが、大輔は目が冴えてしまっている。



 誰も経験するはずのない状況が、不必要なまでの緊張を敷いているからだ。



 姉と両親が殺され、実家が――正確には義兄が建てた家なので生まれた家ではないが――燃やされ、しかもそれが魔法という得体の知れないものを駆使する介の同級生の仕業だった等、大輔が頭で処理できる量を超えている。


 だが少しだけでも状況を理解しようと頭が働いてくれるのは、寝室から居室まで歩いてくる黒猫のお陰かも知れない。


「眠れないんですか?」


 黒猫はリーヴと名乗り、人の言葉を話せるのだから。


 そんな不思議な黒猫リーヴへと向ける大輔の顔色は悪い。


「ストレスに弱いんだ、元々」


 市立しりつ松嶋まつしま小学校を卒業して、40人中39人のユートピアそのものからは解放されたのだが、その反動かストレスがすぐに体調に出る様になっていた。


 今も生活を軌道に乗せるストレスもそうだが、一週間の忌引きも強いストレス源である。


 ――仕事してたら休みたいと思うのに、休んだら休んだで負い目に感じる。


 こういう気質が、生け贄役に選ばれる原因の一端である事は自覚していた。どこか罪悪感を覚えてしまうからこそ、人を心から恨めない。


 ――介くんも、同じだろうに。


 しかし今のストレスは介とて同じだろうに、と考えると、やはり苦笑いばかりが大輔の顔に浮かんでしまう。


「介くんより体力があるから、始末に負えなくて」


 介が今、眠ったのは電池切れのような状態だからだ。大輔が同じようになるには、まだもう少し時間がかかる。


「心の傷は、直せるかどうか分からないけど……」


 リーヴが近寄ってくるが、大輔は「いい」と片手を上げて遮った。中津川なかつがわ真誠まことを殺した事で戻った治癒の力は、介の怪我を全快させる程だが、それで心の傷が治るとしても大輔は望まない。


「介くんが眠れないなら、かけてやってほしいけど、俺はいい」


 原因となっている罪悪感が消えてしまう事を、大輔は望まない。


 ――それも含めて、俺なんだ。


 やり直したい過去はあるが、この人生であったから介と出会えたのかも知れないと思えば、消す事にすら躊躇ためらいを覚えてしまう。


「……ごめんなさい」


 リーヴの言葉は、何に対しての謝罪だろうか?


 大輔に間違った気遣いをしてしまった事か、それとも介に復讐を決断させた事だろうか?


 大輔の口から出て来たのは――、


「まぁ、いいさ」


 もう口癖になったと思った。


 よくはない。


「これから、二人でやっていこうと思ってたんだ。中学を出て、高校を卒業して……。卒業式には、俺が父兄として参加して……」


 額に当てた手が震えているのを感じた。


「小学校は違うだろうな。でも中学の卒業式になったら、多分、いわれるんだよ。俺、友達と約束があるから、叔父さんは先に帰っててよって。写真も、自分のスマホで撮るんだろうな」


 そういう未来があるのを、大輔は姉や両親の教育故だと思ってた。



 復讐よりも自分の未来を――。



「仕返し、したいんだよな」


 大輔の呟きは誰へ向けた訳でもなかったのだが、キィと軽く軋んだ様な音を立てさせて居室のドアを開けた介の耳に届いていた。


「……うん」


 介は消え入りそうな声だったが、大輔はゆっくりと顔だけ振り返り、


「どうしたら止められる?」


「……」


 介は即答できなかった。


 ただ一筋、目から涙を流し――、


「知らないよ」


 絞り出す様な声だった。



「それを知ってる人は、みんな、殺されたんだから……」



 祖父も祖母も母親も、確かに介へ仕返しをする事の無意味さ、また自分が幸福になる事が至上と教えたが、もうこの世にいない。


 今度は大輔が黙る。


「……」


 黙ったまま、介の身体を抱き寄せた。


 ――誰か一人なら、耐えられたんだろ。


 母親、祖父、祖母の一人でも残っていたならば、介は耐えられた。イジメにも、家を燃やされる事にも、母親か祖父か祖母に支えられて耐えられたはず。


 日々のイジメに加え、家を燃やされ、支えられる家族を奪われ、残された大輔は自覚している通り介の両親に遠く及ばない。


 ――言葉が、出ないんだ。


 介へ向けられる言葉は、全て借り物。姉、義兄、両親、祖父母、先輩、初恋の相手――そんな連中から借りてきた言葉を、ただ小賢しく振りかざすのみでは、介に止める術を教えられない。


 だから抱きしめた介へいう言葉は震える。


「頑張れるか? 地獄行き確定なのに……」


 大輔の目には涙はなかった。


「やる」


 そして介の目からも、もう涙は消えた。


 大輔も震えを一度、ギリッと音を立てて歯軋りして止める。


「ルールは……」


 目はリーヴへと向けた。


「7人を殺せば、リーヴは人間に戻れる。7人は、リーヴを守ろうと思っている人間が、悪意や敵意を込めて、アレルゲンになるものを武器にしたら、致命的な被害を受ける」


 大輔の視線に、リーヴも一瞬、たじろぐ。


「そう……」


 頷くリーヴは、黒猫にされて数百年の生を繰り返しているが、こんな二人に出会ったのは初めての事。


 醜い黒猫を守ろうという者が皆無だった事もあるが、7人に対する殺意を維持できる者は、もっと少なかった。


 ――魔女が望んだのは、これ……。


 リーヴの理解は唐突である。


 姫を守るナイトを魔法少女が攻めるのではなく、リーヴの存在をにして、殺意を武器に狩人が向かっていく状況だ。

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