第10話

 ――あまり遠くへは行かないようにな。


 外出する前、大輔だいすけはそういった。本来、大輔のアパートは市立しりつ松嶋まつしま小学校の校区外である。かいには土地勘らしい土地勘がなく、また家族を失って一晩しか経っていないのだから、外を彷徨うろつくだけでも数え切れない危険があるからだ。


 本来、大輔も介を一人にすべきではない。


 それでも大輔でなければできない事は多いのだ。


 焼け跡から見つかった三人の遺体を引き取り、葬儀の手配を進める事など、その最右翼。一週間の忌引きが認められているのも、本来は葬儀、相続に関する手続きのためなのだから。


 だから大輔は釘を刺して出かけたのだが、しかし介は部屋を出た。


 確かに介と大輔の趣味は合うのだから、部屋の中にあるマンガやゲームで十分、暇は潰せるのだが、潰すしかない暇はかいに余計な事を考えさせてしまうのだから。


 考えてしまう、思い出してしまう事は一つ。


 ――あいつら……。


 あの夜、祖父に文字通り命懸けで助けてもらい、転がり出た家の外で見た光景だ。


 空を飛んでいる女児がいた。


 まるでもう上がれといわんばかりに、下から上へ手を振る女児がいた。


 風呂場を指差して笑い合う女児もいて、それとは別に開けっ放しになった玄関を指差す者もいる。


 玄関を指差しているのは、上がり框の寸前で切断された祖父の足か、それともLDKまで引き摺られて、炎に焼かれている祖父か。


 引っ張るようなジャスチャーをしている女児もいて、皆、総じて笑っている。


 何より異様なのは、隣家に全く延焼する気配のない業火と、この大火事の中、野次馬が一人もいないという光景だった。


 炎に照らされる顔を、介は知っている。


 ――中津川なかつかわさん……。


 ――えびすさん……。


 ――高橋たかはしさん……。


 ――西谷にしたにさん……。


 ――地浜ちはまさん……。


 ――濱屋はまやさん……。


 ――小蔵おぐらさん……。



 介を目の敵にしている、「仲良し七人組」――。



 ――絶対、あの七人なんだよ!


 この異様な火事を起こし、異様な状況作り出したのは、この七人の仕業だと介は確信しているのだが、何の証拠もない。彼らはマッチ一本たりとも持っておらず、仮に持っていて、それで火を点けたとしても、周囲の家々から人が出てこないようにする術はない。


 だから警察も消防も、介は錯乱状態にあるとし、つじつま合わせの長所を作った。


 大輔の自転車に乗り、自分がいた町へと走らせる。介には27インチの自転車は少し大きいが、ホームセンターで売っているようなお手軽なチャリンコではなく、昔ながらの小汚いという印象があるが、有名メーカーの自転車を扱ってくれる店で買った高級品は、軽くスピードが出せた。


 昨日、大輔に連れて行ってもらった介の家へ!


 ――もう何も残っていないと思っていたら、納屋の中にお祖父ちゃんが大切にしていた釣り道具が残ってた!


 探せばもっともっとあるはず……という思いは、空振りだった。


「ない」


 呟きは呆然とした響きを、悔しいくらい暑い空気に溶かせていく。


 残っていたのは納屋の中だけ。家の中に残っていたものは、本当に残骸としかいいようがなかった。


 ポケットを探ると出てくる、大輔が見つけてくれたブラックライトが唯一の形見である。


「……」


 涙が零れそうになるが、目を力一杯瞑り、上を見上げて耐えた。


 ――誰か……。誰か……。


 大輔にいてほしかったが、今日はいない。


「そうだ……」


 だから思いつけた。大輔がいっていた言葉「裏山から来たのか?」だ。


 自転車を走らせた。



 ***



 昔は国立大の女子寮があった山は、ひっそりとしている。町内で最も高い位置にあるため、上水用の排水タンクが設置されていて、昼間でも暗い。介が生まれた頃、女子寮が廃止になった事もあり、夕方ともなれば無人だ。


 その山に、黒猫はいた。


 ネコは思う。


 ――何年だろう。


 ここに、いつまでいられるだろうか?


 思考が鈍ってしまう程の空腹は、日付の感覚を薄れさせる。


 薄まった思考が縋り付くのは、昨夜の記憶しかない。



 サラミスティックと水をくれた介と大輔――黒猫の目から見ると、親子の様に見えた。



 ――あの子……また来ないかなぁ。


 優しくしてくれた記憶は、苦労しても思い出せない。だれも、こんな不細工な黒猫を可愛がろうとしないのだ。


 ――水……水……。


 水を求めて彷徨うろつき、目に付いた水溜まりへ……、


 ――ダメだ。


 水溜まりにはタバコの吸い殻が捨てられていた。ニコチンが流れ出てしまい、この水は毒だ。


 ――もう……。


 へたり込んでしまいそうになったところで、黒猫の頭上から影が落ちてきた。


「ネコ……」


 顔を上げるまでもなく、黒猫は誰が自分をも降ろしているか分かった。


 昨夜の男児だ。


「これ……サラミスティックじゃないけど、缶詰。それと、お水だよ」


 缶詰を開け、水はペットボトルの蓋をコップ代わりにして出す。


「……なーん……」


 黒猫は警戒した様にか細く鳴いたが、介は「どうぞ」とネコの方に押し遣った。


 ネコは、しばらくしておずおずと食べ始める。


「うん……おいしい?」


 食べているネコの背を撫でる介。ネコは「に~ん」と顔を上げて鳴いた。


 と、次の瞬間だ。


「ゴメン! ご飯あげるから、少しだけ……」


 介は黒猫を抱きしめていた。


「少しだけ、ネコちゃんの温かさをちょうだい」


 一人でいる寂しさが、答えようのない寒さ介に伝えていた。


「……」


 黒猫は介の首に前足を回す。


「温かいな……」


 ありがとうと繰り返す介。


 その背後で山道を歩いて来る足音がした。


「そんなに寒いなら、温かくしてやろうか?」


 声が届くと、間髪入れずに介は目を剥いた。


「中津川さん……」


 声だろうと忘れない。何をしたかと同じくらい忘れない。


「ねェ、寒いなら、温かく……ううん? 熱くしてあげようか?」


 笑っている真誠まことは、家を燃やしたのは自分だと自白している様なものではないか。


「お前が、やったの……?」


 ネコを抱きしめたまま振り返った介を見つめる真誠は、「何、いってんの?」と嘲笑をぶつけてくる。


「派手に燃えてる家があったから見に行っただけよ。何? 私たちが火をつけたところでも見たの? 動画に撮ったの? ないんでしょ? あんたらが、何かやらかしたんじゃない。人のせいにしないでよね~」


 見下した言葉をぶつけてくるのは、火を点けたのが自分だという事を間接的に補強していくのだが、土台が「魔法のような現象」では、誰も裁く事はできない。


「さぁ、寒いんだったら、そのネコをこっちに寄こしなよ」


 火を点けたのは自分だと名乗っているに等しい女児が、介が抱いている黒猫を出せという。



 何をいわれているかは一目瞭然。



「いやだ……」


 震えながらの拒絶は、介の精一杯だった。腕の中で、黒猫もふーふーと恐怖の入り交じった威嚇いかくをしているのだから、一人と一匹にできる精一杯の抵抗というところか。


「はん……出せっていってるの! 何度もいわせないで!」


 真誠が黒猫の頭に手を伸ばす。


「お前は、何もかもカスなんだよ! 動物で癒やされてる暇があったら、もっとしっかりしろ!」


 無理矢理にでも連れていく勢いで。


 奪われた。


 その奪われた振動で、介は前へつんのめり、真誠を押し倒す風になってしまう。


「無礼者!」


 これ程、時代がかった言葉もないものだが、介を示す最も適した言葉は下郎げろう下賎げせんの者が相応しいと真誠は思っている。


 介をける。そもそも小学生5年生は、成長期にある女子の身長は男子よりも高い。


 介を撥ね除け、首根っこを掴んだネコを見せるように持ち上げ、


「お前が、大人しく、大人しく絶望してたら、こんな事、必要なかったのに。叔父さんとかネコとか、お前が巻き込んだのよ」


 何をいわれているのか、介には理解できない。


 ただ黒猫を守ろうという本能が、無駄と分かっていても身体を動かしてくれた。



 ポケットの中のブラックライトを、真誠へ向けて照射する。



「はん?」


 釣りの疑似餌に蓄光させるための紫外線が何だ、と真誠は笑ったのだが……、



 その笑みは、いくらかの間も置かず、悲鳴に変わった。



「なななな!?」


 痛みと焼け付く様な感触が、紫外線の当たった箇所に生まれる。生皮を剥がし、真っ赤な身に触れられた様な、そんな激痛と熱さだ。


「何をしたァ!?」


 叫ぶ声も、語尾は酷くしゃがれている。


 顔全体が湿疹というには、あまりにも巨大な湿疹に覆い尽くされていく。酷い肌荒れやアトピーによる炎症どころではなく、疱瘡ほうそうといわなければならないくらいのものに。


鷹氏たかし鷹氏たかしぃ! どこ行ったァ!?」


 叫びながら、手が当たれば殴りかかろうとでもいうのか、ブンブンと両手を振り回す。


 見えていないのだ。


 腫れ上がったまぶたが完全に目を塞いでしまっている。


「鷹氏ぃ! 鷹氏ぃ!」


 そして叫んでいるから、足が石を積んで作られた不安定な階段に取られた事すら真誠は分からなかった。


 転げ落ちていく。石に削られた疱瘡から血と膿の混じった体液を撒き散らしながら。


 擬音で表現するなら、ガドドドドド……と何度もバウンドし、下まで落ちる。


 下まで落ちた事を告げる音は、ゴシャという何かが潰れた音。


 介には聞き分ける事ができないが、横たわる真誠の姿を見れば、何が起きたのか一目瞭然だった。



 首が折れていた。



「た……かし……お前、覚えて……ろ……」


 目の見えない。身体も自由に動けない真誠は、そういって命の針を止めた。


 ――殺した!


 介の中に生まれる真っ黒いもの。罪悪感と衝撃だ。


 ドクドクと早鐘を打つ心臓の音を間近に感じる介は、そこで真誠の身体が真っ黒い泥――汚泥に変わっていくのを見る。


 その奇妙で残酷な光景の中……、


「魔法少女は、死ぬと死体が残らない。お墓を作って弔わせない様に……」

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